「リトライ・ライフ」
5
武装トラックから物々しい護送車に入れられて十数時間後、僕が降ろされたのは、とあるホテルのロビーだった。
想定外の光景に僕はどういうことかと首を傾げていると、眼鏡の通信機からLの声が聞こえた。
『想定外の帰還なので、準備に色々と時間がかかっています。なので、そちらのホテルのラウンジで待機していてください』
「へぇ、今度こそ逃げ出すかもしれないぞ?」
『安心してください。月くんがこちらの指示以外の行動をした際のため、スナイパーを何名か配置していますので』
なので、手足がしばらく使い物になりたくなければ、私の指示に従ってください。
と、平然と告げてきたLに、僕は適当に分かったよと返事をして、隠しカメラが内臓されているらしい鞄を手に歩き始める。
『では、月くんの姿が見えるように鞄を隣の席に置いて、お好きな飲み物を注文してください』
「これ、経費で落ちるの?」
『コーヒーでもロマネ・コンティでもご自由に。その場から一歩でも動けば撃ち抜きます』
「トイレに行きたい場合はどうやって合図すれば?」
『尿意が我慢できない場合は、その場で失禁してください』
「おいおい、これ、今カメラで撮影してるんだろう? 僕が公衆の面前で漏らすところ撮影したいって、やっぱり変態だな、お前」
『そういう変態的プレイをお望みでしたら、貴方の飲み物に利尿剤を混ぜるよう指示しますが』
ああ言えばこう言う、まさに子供同士の言葉の応酬だが、その内容はとても子供が話すようなものではない。
そんな、ワイミーズハウスでの一件から、さらに容赦なくなった会話に、一種の楽しみを感じていた時だった。
僕にとって、一番の想定外――そしてなにより、一番あって欲しくなかった展開に、今までの優越感が全て消え去った。
「月! お前、どうしてここにッ!」
突如、背後から聞こえた声に、どうして此処で、遠いイギリスの土地でその聞きなれた声――父さん、夜神総一郎の声を聞くことになるんだと、僕は驚愕に顔を歪めながら振り返った。
「……とう、さん」
何かの間違えであってくれと思ったが、その姿を確認した瞬間、互いに間違いなく相手だと確信を抱いた。
待て、なんで、だって此処はイギリスだ、どうして、日本に居るはずの父さんがこんな、ありえない。
そんな言葉が混乱と共に頭の中を駆け巡っている中、Lの呆然とした声が通信機越しに聞こえた。
『……そういえばそのホテル、ICPOの国際会議の会場から近かったですね』
その単語を聞いた瞬間、そういえばそうだったと、僕はかつての記憶を思い出した。
父さんは刑事局長という地位で、つまりは警察の重役で、そうなるとICPOという国際会議に出席する立場だ。
そして、これくらいの時期に、イギリスに出張に行くと言っていた気がする。
何故、忘れていたのかと言えば、その頃の僕はデスノートを手に入れたばかりで、犯罪者を裁き始めて、父さんがどこに居るとかそれどころじゃなかった。だから完全に忘れていた。
「月――ッ!」
そんな僕の混乱を他所に、僕に向かって走ってくる父さんの姿から逃げるべきかと立ち上がった瞬間、先ほどのLの言葉を思い出す。
動いたら手足を撃ち抜かれる。
否、さすがに父さんの目の前で撃ち抜かれることはないか。そんな光景を父親に見せるほど、Lも非情では――。
『月くん、動かないでください。夜神さんごと撃ち抜いてしまう可能性があります』
ああ、やっぱりこいつは限度というものを知らない。
Lの言葉に必死に逃げそうになった体を抑えながら、僕は席に座りなおす。
そうすれば当然だが、酷く激昂した様子の父さんが、僕の目の前までやってきた。
「月、どういうことか説明してもらおうか」
その怒り心頭といった様子の父さんに、今まで優等生であった僕は、こんな父さんの姿は初めて見たと内心驚く。
否、多分、僕とミサを監禁から解く為に、僕を殺す演技をした時にもこんな顔を見たかもしれない。
ということは、演技じゃない今日、僕は父さんに殺されるのだろうかと、ありえないと言い切れない不安が脳裏を過る。
「父さん、その、なんて説明すればいいか……」
僕は父さんに視線を向けながら、いったい何と言えばこの父さんに今の状況を納得してもらえるだろうかと考える。
「(というか、お前も原因なんだから早く助けろよ……ッ!)」
先ほどから僕に対して動くなとしか言ってこないLに苛立ちを覚えながら、僕は父さんが対面の席に座るのを見守るしか出来なかった。
そして、しばらくの間、父さんと僕の間には、実に居た堪れない沈黙の時間が流れた。
「(おかしい……。今日の僕の予定では、ニアやメロの悔しがる表情を思い浮かべながら、優雅にコーヒーを飲んでLの迎えを待つはずだったのに、なんで、こんな)」
少なくとも、今後一ヶ月は思い出し笑い出来るなと思っていたはずなのに、もはやニアやメロなどどうでもいい。むしろ、ワイミーズハウスで大人しく一週間を過ごしていればこんなことにはならなかったと気付いて、策に溺れた自分への嫌悪感まで抱いてしまう。
「月……」
僕がそうやって後悔を抱いていた時、父さんが沈黙を切り裂くように、僕の名前を静かに呼んだ。
「お前のことだ、色々と考えた末の行動だったんだろう……」
「……」
「だが、やはり私には……お前の選んだ方法にも、色々と言いたい」
父さんが、必死に感情を押し殺している最中であることは、どう見ても明らかだった。
当然だ。目の前に同性の恋人と海外へ、なんの前触れもなく、それも受験前とかいう時期に駆け落ちした、未成年の息子の姿があるのだ。
今、腕を引っ張って、日本に連れ戻されないことが奇跡だ。
そこまで考えて、むしろこの流れならば、自然な方法で日本に帰ることが出来るのではないかと思ったが、しかし相手がLであることを思い出して無駄だと頭をふる。
あのLのことだ、そんなことになれば今すぐにでも僕を撃ち抜いて、そのまま騒動が収まるまでずっと何もない部屋で監禁されるだろう。
「父さん、僕は……」
なんと伝えるべきか、僕が迷っていると、父さんは必死に感情を抑えながら僕に告げた。
「月、私は明日までここに滞在している。明日の十五時、今日と同じ、このラウンジで待っている」
「父さん……」
「だから月、ちゃんと話を整理して、責任を持ってここにもう一度来なさい。……相手と一緒に」
その言葉を理解した瞬間、僕は本気かと、今日という日を呪った。
相手と一緒にということは、つまり、僕は明日、父さんにLを紹介しなくてはならないということだ。
日本から遠いこんなイギリスの土地まで、あのどこからどう見ても不審者でしかない世界の切り札のことを、一緒に駆け落ちした恋人として。
頼むから、ニアとメロに悪戯をしてやろうと考えた僕を殴ってでもいいから止めてくれと、僕は一昨日の自分を恨んだ。
父さんとまさかの邂逅を果たし、明日同じ場所で合うことを約束した日の、おそらく夜。
僕は様々な場所を経由して、ついに僕の自室である地下の牢獄に戻ってきた。
そのドアをくぐった瞬間、僕を出迎えたLはなんの迷いもなく、僕にその言葉を告げた。
「月くん、時間がありません。私たちが恋人であることを夜神さんに信じてもらうため、今すぐにセックスしましょう」
「は……?」
あまりにも唐突に言われた言葉に、思わず間の抜けた声が出てしまうが、どう考えてもこの反応は仕方のないものだろう。
父さんに信じてもらうためにセックスをする。なんて、一体どんな状況で言われれば納得できるだろうか。少なくとも僕は拒絶感が全身を支配して、今すぐにでもLを殴ってしまいたい衝動を抑えている。
しかし、一方そんな問題発言をしたLは、いたって真面目といった表情で、疑問を浮かべる僕に淡々と説明を続けた。
「月くん自身も気づいているとは思いますが、今の私たちは側から見ても恋人同士の距離感には見えません。具体的に言えばパーソナルスペース……相手と物理的な距離感が恋人のものではない。通常、パーソナルスペースを縮めるためには時間が必要ですが、セックスを行うことで短時間で劇的に縮まります。なので、セックスしましょう」
なるほどそういう意味でのセックスかと一瞬納得しそうになって、すぐにこいつのセックスに対する感覚は一体どうなっているんだと頭を抱えた。
父さんを騙すためとはいえ、いくらなんでも性行為をするだなんて。と、考えたところで、そういえば僕もキラ捜査の一環という名目で高田と寝ていたし、ミサの目を利用するために恋人関係になんてものにまでなっていたし、結婚まで許可しようとしていた。
目的のためであればなんだって利用して、貞操観念なんてものはゴミ箱に捨ててしまえるのはLも同じらしい。
とは言え、だからといって、Lの提案を受けるかといえばまた別の話だ。
「いや、待て、たしかに僕たちの距離感は恋人らしくないけど、そんなの演技でどうとでも出来る。僕の演技力を忘れたわけじゃないだろう?」
僕はそう、Lの言葉を強くはねのける。
散々本当の自分を偽って生きてきた人生だ。デスノートを拾う前も、デスノートを拾った後も、僕は優等生の夜神月、キラ事件の捜査に全力で向き合う夜神月と言う仮面をかぶって生きてきた。演技力に関してはそれこそ詐欺師並みに自信がある。
だが、そんな僕の自信に対して、Lは本気かといった表情で指を咥えながら僕を見つめた。
「はぁ、私としては常に胡散臭かったですけどね、月くんの優等生ぶりは」
「それは、お前が執拗に僕を疑っていたからだろう」
「事実、月くんがキラでしたからね」
Lの視線に、一瞬言葉に詰まる。
確かにそこを言われれば僕がキラだったわけだが、だとしても前の僕への疑いようは決めつけに近しいような、異常な執着だった。
死ぬ間際まで僕をキラだと疑っていたのは、捜査本部のビルに居たメンバーの中ではLだけだったのだから、つまり僕の演技力に問題などなかったはずだ。と、僕は他所を向きながらLに反論する。
「僕は父さんが死ぬまでずっとキラじゃないって騙せてきた実績がある。好きでもない相手、ミサや高田と恋人のフリをしてきた経験も」
「私が懸念しているのが、まさにそこです」
いったいなんのことだと僕がLの方に視線を戻した瞬間、目前の距離まで迫ってきた黒い瞳と目が合う。
その近さに思わず後ろに退いたが、ここでLに近づくなと怯えるのは僕の負けのような気がして、僕はお前なんかに怖がっていないと暗闇のような瞳を睨み返す。
一方のLは僕の睨みなど気にすることなく、僕の顔を覗き込みながら唇に親指を当てた。
「月くん、貴方は駆け落ちという方法を選ぶ時、一番最適だと分かっていながら随分と躊躇しましたよね?」
「……それは前も言った通り、お前が相手だから」
それ以外の相手であれば、僕は自分を追い詰めたニア相手でも親しい恋人のような態度をとることができる、はずだ。
しかし、それが重要なのだと、Lは僕の眉間に指を指した。
「そこです。月くんは私相手だと、普段通りの演技力が引き出せないという欠点があります。例えば――」
瞬間、Lの指先が、いやらしく性的な手つきで僕の太ももを撫で上げる。
背中がゾワゾワとする感覚が襲ってきて、僕は一瞬で後ろに飛びのいて、一体どういうつもりかと叫んだ。
「ッ! どこ触ってるんだよ!」
先ほどからセックスをするしないという会話をしているせいか、まるで抱かれる前の愛撫のような指先に、これから僕を強姦でもするつもりかとLを睨む。
しかし、Lはその僕の反応を待っていたようで、言った通りだと呆れたような笑みを浮かべた。
「ほら、恋人同士であれば至って普通の接触でも月くんはこのように拒絶するじゃないですか」
「今はまだ、演技をしてないから反応しただけで……」
「でも不意に触れた時は拒絶するんですよね? 夜神さんと話す中で、いつ予定にない接触をするか分かりません。そんな時に、今のような反応をすれば確実にバレます。何より、普段の月くんであれば誰かが不意に太ももに触れた場合、まず『これはどういう意図なのか』を考えてから対応するでしょう。今の私の接触も、これは自分が試されているのだと以前の貴方ならば気づいていたと思いますが……この数年間で知性が下がりましたか?」
「……殺す」
あからさまに僕を煽ろうとした目的で放たれた言葉に、普段であれば皮肉のひとつやふたつでも返してやったところだが、どうにもこの監視生活で僕はLに対して素直に反応してしまう癖がついてしまったらしい。
自然と喉から溢れ出てきた殺意に、Lは再び呆れたような笑みを浮かべた。
「それにどうやら感情的になりやすく……いえ、これは以前からでしたね。と、このように私相手には感情に流されて出来ないとなれば、不安に思うには十分な理由ではありませんか?」
以上が私とあなたがセックスする必要があると考えられる理由です。と、持論を全て述べたLに、悔しいながらも納得してしまう点がないとは言えなかった。
確かに僕はLに対して、どうにも素直になってしまっている。
一般的な人間関係において素直であると言うのは美点として捉えられるが、しかし僕とLの関係においては全く以て欠点としか言いようがない。
Lの言う通り本来の僕だったら、あいつの指先が太ももに触れようが、それこそ頬を撫でて唇を重ねて来ようが、まずはその意図を探っていただろう。
無論、キラとして活動していた頃は全てが僕の命に関わってくるから常に精神が張り詰めていた。だから目の前の男に「私がLです」と言われても、動揺を見せず瞬時に優等生の夜神月として反応することができた。
その感覚を取り戻せていないようならば、ちょっとした荒療治のような行為だとしても、やる価値があるというLの提案を僕は完璧に否定する言葉が見つからなかった。
「だから……お前と本当にセックスしろって?」
「肉体的な部分で私に拒否感があるのならば、一定量以上の接触を持って克服する方向性が望ましいと思いますが。何より、夜神さんとの約束は明日。時間がありませんので」
とんでもない提案だと言うのに、話せば話すほどLの言い分に納得してしまいそうになるのは何故だろうか。
しかし、この程度の言い争いで負けるほど、僕も鈍ってはいないと、嘲笑を浮かべながら、やれやれといった表情で首を振った。
「むしろお前とセックスしたことがトラウマになってさらに拒否感が酷くなるとは考えないのか?」
「月くんがそんな繊細な心を持っているとは到底思えませんね」
「お前は僕のことを何だと思っているんだ?」
「ああ、言葉が悪かったですね。キラであったあの夜神月ならば、望まぬ相手との性行為程度で摩耗するほど精神力は低くないと言いたかったんです。事実、弥海砂や高田清美とはヤっていたわけですから」
このように、とLは片手の人差し指と親指で輪を作り、もう一方の人差し指を輪の中に何度も出し入れするという、あまりにも下品なセックスのジェスチャーをしてみせた。
あのLがそんな下品な煽り方をするとは思わず、嫌悪感に顔を歪ませたが、そんな僕の反応を初だとあからさまに嘲笑ってきた。
つい拳が伸びそうになったが、ここで暴力に訴えても意味は無いと、先ほど感情的だと揶揄されたのもあって、僕は努めて冷静に言葉を返した。
「第一、僕はお前相手じゃ勃たない。お前だって、僕相手に勃たないだろう?」
「出来ますが」
冷静であろうと思った矢先、Lの口から何のためらいもなく繋がれた言葉に、驚愕するなと言うのは無理な話だった。
「…………本気で言ってるのか」
ようやく絞り出した言葉に、Lはさも当然とでも言うかのように、ごく自然な風体でうなずく。
「ええ、本気です。夜神月、私は貴方に対して性的興奮を覚えられます」
その言葉は僕を揶揄っているようにも、僕の混乱を引き出そうとしているわけでもなく、Lの中の純然たる事実として告げられているように思えた。
待ってくれ、と思わず心の中で叫ぶ。
僕がLに対して今までどれだけプライベートを晒してきたか。自宅へこれでもかと監視カメラを仕掛けられ、さらには約五十日間も監禁され、最終的には互いを手錠で繋ぎ一緒に風呂に入って同じベットを共有した相手だ。
そんな相手がまさか僕に対して性的興奮を覚えられる、なんて、そんな数年越しの真実など知りたくなかった。
「へ、へぇ、お前とは共同生活みたいなことをしていたけど、まさか同性愛者だったとは気付かなかったよ」
隠しきれなかった動揺が言葉の震えとして出てしまったが、なんとか己の心を保つ。
一方で、僕が口にした同性愛者という言葉がしっくりこなかったのか、Lはそういう意味ではないと首を傾げながら親指を咥えた。
「性的興奮を覚えるのに性別を問わないだけです。そして何より、私は今まで難事件にしか興奮を覚えませんでした……人間相手に欲情するのは貴方が初めてです、夜神月」
まるで告白のようだと、自分に向けられた言葉でなければ、僕はきっとそんな他人事でロマンチックな感想を抱いていただろう。
しかし、その言葉があの世界の切り札、Lから僕に向けられた言葉というだけで、背筋に汗が流れて、普段の冷静な僕でいられなくなってしまう。
自分自身でも、一体なぜ、こんなにも混乱しているのか分からない。
つまり、理解できないと己で認めてしまうほど、僕は焦っていた。僕が殺したFBIの婚約者だという女と出会った時でさえ、こんなにも無様な混乱はしなかっただろうに。
「どうしますか、月くん。私とセックスをして夜神さんと合うか、このまま夜神さんと二度と会わず失踪するかの二択です」
あまりにも究極の二択を迫ってくるLに、僕は息を飲む。
もしも僕がセックスを拒絶した場合、Lは父さんと会うことを許しはしないのだろう。
このまま会ってしまえば駆け落ちでないことがバレてしまい、私たちの関係を疑われる。
そうすれば私はあなたを失踪扱いにするしかなく、ならば最初から父さんと会わないという選択肢の方が無難だ。
と、Lが言いたいのはそういうことだろう。
もしもこのまま父さんに会わなければ、僕は結局、父さんの中では勝手に駆け落ちをして、対話の機会を得たにも関わらず逃げ出したドラ息子、という扱いにでもなるのだろう。
それは今までも変わりない認識だが、しかし何も言わずして駆け落ちしたのと、一度対話の機会があったのに逃げ出したのでは父さんの中での納得度が違う。
できれば父さんには、家族には幸せであってほしい。
父さんと会って話をすることで、少なくとも母さんと粧裕には、僕は遠いイギリスの地で恋人と上手くやっている、という話は伝わるだろう。
だから、再びの人生を手に入れたあの日誓ったように、家族の幸せを求めるのであれば、一番の最適解はLとセックスをして、父さんと話をする、ということになってしまう。
「どうしますか」
Lの僕へ選択を迫る声が、再び部屋に響く。
Lとセックスをするか、家族を悲しませるか。
と、そこまで考えて、僕は何て馬鹿らしい考えをしていたのだろうかと気づき、その手には乗らないと薄ら笑いを浮かべた。
「L、まるで僕の選択肢がその二つしかないみたいに言うけど、お前とセックスしないでパーソナルスペースを縮める。という選択肢もあるだろう」
Lの選択は、全くもって典型的な詐欺師のトリックだ。
わざとその二者択一しかないように見せかけて、他の選択肢があることを隠す。
今回のことで言えば、パーソナルスペースさえ縮めることができるのならば、セックスは必ずしも必要ではない。
お前が僕に劣情を抱いていて(正直に言えば前回殺された恨みを晴らしたいからという理由のほうが納得できるが)何とかして僕を凌辱したいのかもしれないが、そんな陳腐な手には乗らないと、僕はLの表情を伺う。
「はぁ……そうですか、そちらの方が大変そうだと思ったので言わないでおいたんですが、月くんがどうしても私とセックスしたくないというなら仕方ありません」
案外簡単に引き下がったLに、安堵を覚えるよりも、まだこいつは何か隠しているのではないかと疑う。そう簡単に引き下がるような提案ならば、Lは最初からしないはずだ。
すると、僕の想像通り、Lはしばらく考える素振りを見せると、仕方ないといった様子でため息を吐き出した。
「では、この方法にしましょう。私は今晩、月くんを抱きしめながら眠ります」
「抱くって、日本語だとセックスの意味になるんだけど?」
「そういう意味ではなく、言葉通り、抱擁のみに留めます。それ以外の接触は行いません」
抱擁、本当にただ抱きしめながら眠るという意味であれば、手錠で繋がっていた時もたまに起きた時、Lの顔が僕の胸元にきていた事もあったから、さほど拒絶感は沸いてこない。許容範囲と言ってもいいだろう。
まぁ、本当は僕に性的興奮を覚えていたというのだから、そんな状態で寝相とはいえ僕の胸元に顔を寄せていたことについては問い詰めたいが。とはいえ、セックスと比べればその差は歴然だ。
しかし、ここで気付くべきなのは、Lの事なのだから絶対にただの抱擁では済まない。何かプラスして条件があるに違いないと、僕はLの瞳を見据える。
「なるほど……それで、その変わりに僕は何をすればいい?」
「……理解が早くて助かりますね」
やはり僕の予想が正しかったらしい。
Lは助かると言っておきながら、その表情はどこか苦々しい色を帯びている。おそらく僕が尋ねなければ問答無用で抱擁以外の何かをしていたに違いない。
Lは渋々といった様子で僕から視線をそらすと、つまらなそうに親指の爪を噛みながら言った。
「月くんには、ある薬を摂取してもらいます」
「……劇薬や毒薬じゃないだろうな」
「そんな無意味なものなんて飲ませませんよ。月くんに摂取してもらうのは、一般的に媚薬と呼ばれる類のものです」
「び、媚薬……?!」
本当にこの世に媚薬なんてものがあることにも驚いたが、何よりそれを僕に飲ませようとするLの魂胆に驚く。もしかして僕に媚薬を飲ませて、自分から求めるよう誘導する作戦か。と、僕の疑いは口に出さずとも、すぐにLも感づいたらしい。
「月くんが想像しているような、急激な興奮をもたらすものではありません。そういった媚薬の用意もあるにはありますが……今回使用するのは一種の酩酊状態にさせる効果がある薬です。感覚としては恋人と一緒に居る時に覚える安心感、セックス時に抱きしめ合っている際の満足感に近いとのことです」
「なるほど、つまりその薬で、疑似的な恋愛感情を僕に抱かせようってわけか」
「はい。月くんのプライド的に私相手に擬似的とはいえ恋愛感情を抱くのは嫌かと思ったんですが」
それでもこの方法のほうがよろしいですかと、Lは訝しむように僕に尋ねてくる。
確かにあのLに対して恋愛感情を抱くような、親密な感情を抱くと言うのは、今の僕にとって望ましいことではない。無論今後ずっとLに監視され暮らしていくことを思えば、少し位は信頼関係を築きあげておいた方が良いだろう。が、それと恋愛感情は別の話だ。まだ僕はLに絆されるわけにはいかない。ただでさえ主導権のない生活の中で、心も落ちてしまったのでは僕はLの傀儡だ。
そんなこと僕のプライドが許すわけがない。しかし、今目の前に差し迫っている問題の解決のためであれば、少し位は譲歩してやってもいいと、僕は仕方がないと肩を竦めた。
「当然だけど嫌だ。でも、お前とセックスするのに比べれば、こっちの方がまだマシだ。いいだろう。その案で妥協してやる」
「はい、感謝します」
そう礼を口にしたLだったが、視線も口調もぶっきらぼうてとてもじゃないが感謝しているとは思えない。その反応はつまるところ、Lの目論見を砕くことが出来たという証拠であり、散々Lに手間取らされた身としては実に気分がいい。
Lは頭を掻きながらドアノブに手をかけると、やる気のなさそうな表情でこちらに振り向いた。
「では月くん、自室で待っていてください。準備を進めておきますので。……逃げないでくださいよ?」
もしも逃げればどうなるか分かっているだろう。と、あからさまにこちらを脅迫する声色に、何を馬鹿な心配をしているのだかとため息が出てくる。
「逃げるわけないだろう」
お前から逃げるだなんて僕のプライドに反するし、何より父さんのためでもある。
そう思えば、これからする馬鹿げた行為にも、少しばかり余裕を感じることが出来た。
「では月くん、手足を拘束させてください」
いざ準備を終えたらしいLが、さも当然といった口調で言ったのは、自分の行く末が早速心配になるような言葉だった。
いくら僕がLに対して拘束され慣れているとはいえ、毎度毎度そう簡単に囚われることを許容すると思われているのが納得いかないと、僕は拘束用のベルトを持つLを睨みつける。
「おい、待て。なんで拘束する必要があるんだ」
「先ほどお伝えしたとおり、今回使用する薬は月くんを酩酊状態にします。そんな理性が利かない状況で、すぐ近くに居る人間で性欲を処理しようとした場合、今度は一転私の貞操の危機ですから。何より、これを機に首を絞められて殺されてもたまりませんので」
なのでこれは私の安全の為です。と、よくもまぁ自分が被害者になる側で物事をペラペラと話せるものだと、Lの話術に呆れを覚える。しかし、同時にいつだか「被害者ぶるのがお前の得意技だ」と言われた記憶を思い出し、こんなところまで似たもの同士かと奥歯を噛み締める。
「僕がお前を襲うなんてありえないな。それより僕としては、お前が僕のことを無理矢理襲ってこないか心配なんだけど?」
「同じベッドで寝る程度で性欲に負けるようでしたら、そもそも月くんと手錠で繋がっていた頃に手を出していたとは思いませんか? その点は過去の経歴から見て不安を払拭していただければと」
そこを出されてしまうと、確かに反論のしようがない。
性的に興奮できる対象と一緒のベッドで寝て、襲わないという部分に関しては、強姦という犯罪行為を行わない。という、別に褒められるべき行為でもなんでもないが、Lに関しては僕にその気があることさえ気付かせなかったほどだ。
それを信頼ならないと言えば、ではどの点がと問い詰められるのは目に見えている。そんな面倒な言い合いを繰り広げるよりは、Lを信頼したという体にして、Lの方から約束を破った際に責め立てることで今後Lとの取引で僕に貸を作らせておくのがいいだろう。無論、一番は何事もないことだが。
「……分かったよ。どっちにしろ囚われの身だ。今更拘束なんてどうってことない」
「ご協力ありがとうございます。では、両手を後ろに」
Lの指示通り腕を後ろに回せば、非常に慣れた手つきでLは僕の腕にベルトを巻きつけ固定していく。
こういった拘束具を付けるのは、基本的に他人に行わせていたように記憶しているが、どうやらL自身もかなり手慣れているらしい。火口を捕らえる際に平然と無免許でヘリを初操縦して、尚且つ巧に動かしていたLのことだから、初めてでも戸惑うことがないだけだろうが。しかし、これから行うことを考えると、なんとも変態ぽくて背筋が寒くなる。
なんて考えている内に僕の腕は完全に固定され、作業を終えたLが次の準備だと、拘束具を運んできた銀のワゴンに手を伸ばしながら言った。
「では、これからこれから薬を挿入しますので、うつ伏せになって腰を上げてください」
「挿入って……おい、薬ってまさか、座薬か?!」
「はい。すぐに用意できたものがこれだけだったので。何か問題でもありますか?」
何も問題などあるはずがない。とでも言いたげな表情のLに、こいつの感覚はどうなっているのかと苛立つ。僕だって錠剤でなく注射で媚薬を打たれるくらいの覚悟はしていたが、座薬というのはまったくもって予想外だ。
先に拘束を許可するのは失敗だったと脳内で舌打ちをしながら、しかしまだ遅くないとLを睨む。
「……自分で入れるから、外せ」
「月くん、座薬の挿入経験はありますか? なければ私がやった方が間違いがなく確実です。入れる場所が浅ければ異物感が強く排泄してしまいますので。というわけで、諦めてください」
「ッ、おい、待て、L!」
今日は散々お前の要望を聞いてやっただろう。とでも言いたげな表情で、Lは問答無用で僕の身体をうつ伏せにさせ、寝間着のズボンを下着と共に引きずり下ろした。瞬間、臀部の素肌が空気に晒される寒気と、Lの指先であろう他人の温度が触れる感覚に、思わず息を飲む。
「おい、L……!」
しかし、僕が止めろと口にする前に、ぴたりと冷たい座薬が窪みに押し当てられ、問答無用で僕の中に侵入してきた。
指よりも細い座薬そのものは簡単に僕の中に入っていくが、しかしそれを奥まで押し込むために、竜崎の長い指が一緒に僕の中を侵略していく。角張った指が、後孔の入口に擦れる度に、身体が震えるような感覚が走って吐息が出た。
「っ……」
本当にこのまま、なし崩しに犯されるのではないか。という危機感が募ってきたところで、心配とは裏腹にLの指はすんなりと抜けていった。
どうやら本当に無体を働く気は無いらしいとLの顔を見上げれば、僕の不安を感じ取っていたのか、Lは酷く呆れたようにため息を吐き出しながら、僕の中に入れた指を拭いていた。
「そんなに騒ぎ立てるようなことではなかったでしょう? 全部入りましたよ」
「あ、あぁ……」
たしかに座薬を挿入するのにかかった時間は一分にも満たず、Lと言い合った時間の方が長いくらいだが。
本気でLは僕を犯そうとは思っていない、と信頼していいのだろうか。今までのキラとLの関係からして、僕がLのことを警戒しすぎているだけなのかもしれない。
と、愚かにも僅かにLを信用しかけた瞬間だった。指を挿入された違和感がまだ残る後孔に、指よりも一回り大きい何かが入ってくる感覚に、何をしているのかとLを見上げた。
「私が寝ている間、何があるか分かりませんので、蓋くらいはしておきましょう」
蓋、とLが言うように、僕の中に入り込んできたものは十センチにも満たないほどの長さで、根本が平べったく出来ているのかそのまま奥に入っていくことはない。だが、僅かな長さとはいえ座薬以上に違和感を訴えるそれに、止めろと僕はLに吼える。
「――ッ! おい! L、なに、いれ、て! お前!」
「エネマグラと呼ばれる前立腺を刺激するための医療用器具です。性的な刺激のためにも使用しますが、安心してください、前立腺を開発していない限り違和感があるだけで済みますよ。最も……月くんに、前立腺を直接刺激して感じる才能がなければの話ですが」
まさかあのキラだった夜神月が、そんな淫乱であるわけがありませんよね。と、Lは平然とした様子で語ると、そのまま僕の下着と寝間着を本来の位置まで戻してから、腕と同じように足もまた拘束用のベルトで固定した。
「おい、こんなの要らないだろ、抜けよ!」
服も戻され、両足を閉じた状態で縛られたこともあって、もう自分の力で排出することは出来ない。下半身に著しい違和感を与えるそれが気持ち悪くて今すぐにでも抜きたいが、しかしLが僕の要望に応じるつもりはないようだった。
「念のためです、抜きません。では月くん、私は寝ますので、静かにしてください」
Lはそう言うと、そそくさと眠る準備を始めた。
最初に言った通り、僕の身体を恋人のように……と言うよりは、大きなテディベアでも抱きしめるように胸元に抱くと、そのまま横になってピクリとも動かなくなってしまった。
手足を拘束されているせいでうまく動けないというのもあるが、案外Lは筋肉質で、僕がどれほど身体を捩ろうとも腕の中から抜け出せない。それどころか、暴れる僕が睡眠に邪魔だと、早々に毛布を被り、苦しいくらいに僕の頭を胸元に抱きしめて口を塞いできた。
「おやすみなさい、月くん」
その言葉が合図だったかのように、Lは電源が切れた機械のように一瞬で、規則正しい寝息をたてはじめた。
そういえばこいつは、眠る時は一瞬で落ちる奴だったと手錠生活の頃を思い出しながら、僕は無理矢理頭を動かしてLの憎らしいくらいに安らかな寝顔を睨む。
「おい、Lッ! お前、起きたら覚えてろよ……」
いくらセックスをしないとはいえ、媚薬以外にもこんな自慰にも使用される器具を使うなら、事前に言うべきだ。あまりにもフェアじゃないし、今後もこうやって事前に知らされずにLに好き勝手されてはたまったものじゃない。
と、Lへの理不尽とやり返す方法を頭の中でグルグルと考えながら、次第に怒りも鎮まってきた頃だった。
「……っ、ふ……ぅ」
挿入された薬が溶けて効いてきたのだろう。
意識が浮遊感に包まれ、発熱した時の不快感を帯びるものとは異なる熱っぽさが、全身を支配し始めた。
「(……これが媚薬、か)」
通常、媚薬と言えば性的な興奮が収まらなかったり、そういった刺激に敏感になってしまう。という効果を想像するが、Lが語っていた通り、僕に挿入された媚薬はそういった即物的な快楽をもたらさない。
それよりも、人に抱きしめられる安心感と言うべきか、射精した後の満足感のようなものがずっと持続しているような心地で、思わず恍惚とした吐息が溢れてしまう。
「っ……ん、ぅ」
思えば、デスノートによる犯罪者裁きに人生を捧げていたため、恋愛などまるでした試しなどない。
しかし、おそらくこの恍惚とした安心感と言うものが、恋人とセックスした後に抱きしめられている感覚と言うものなのだろう。セックスなんてミサや高田を初め、何人もの相手としてきたけれど、こんなに温かく感じるのは初めてだ。
なんて事を考えた瞬間、つまり今僕を抱きしめているのはLなのだから、恋人とはLのことかと考えてしまい、慌てて頭を振る。
「(違う、Lは恋人じゃない……否、パーソナルスペースを縮めるためなんだから、恋人だと錯覚しておいた方が効果は高いんだろうけど、でも……)」
Lのことを一度でも受け入れてしまうと、夜神月として、なにより元キラとして築き上げてきたものを失ってしまいそうで、正直言って怖い。
無論、僕はもうキラではないのだから、今更何かを失うということはない。
それでも、Lの手駒等になってたまるものかという反抗する気概の多くは、キラだった頃の僕に依存している。
もしもその感情を失ってしまったら、僕は、Lに支配されることを容認するようになってしまうのではないだろうか。
「(駄目だ、絶対に……)」
しかし、Lに絆されてたまるものかと己に言い聞かせたところで、目の前のLの温度にクラクラと酸欠のような、けれど心地よさを伴った酩酊が僕を襲う。
さらに、Lの胸元に顔を埋めているせいだろう。この体制でいると、呼吸をする度に自然とLの汗や体臭といったものを嗅いでしまう。Lの香りなんてものは手錠生活をしていた頃に同じベッドで寝ていた都合上、いくらだって感じたことはあった。特にアイツは寝る時に寝間着に着替えるなんて習慣がないから、普段着のままベッドに入るせいで、いつもお菓子の甘い香りをさせていた。
そして今も、Lの胸元に顔を埋めていると、お菓子の甘い香りと、その奥にL特有の汗の匂いを感じる。
以前であれば何も反応など抱かなかっただろうに、媚薬のせいか、その香りが僕の興奮を引き出した。
「っ……」
そして何よりも、Lの胸元に顔を埋めているせいで聞こえてしまう、規則正しいLの鼓動が、煩わしいと同時に恋しく感じてしまう。
かつて僕が死神によって止めた、Lの鼓動。それが今は、こうしてドクドクとリズムを刻みLを生かしている。
そう、Lが、生きている。
過去に戻って人生をやり直している今、当然の光景として存在している、かつて僕が殺した人間。思えば僕が前の人生で初めてLを抱きしめた時は、あいつの心臓はすでに止まっていた。だから余計に、こうしてLの心音を感じながら眠るのは、感傷的な気分に僕をさせる。
「(ダメ、だ……何も考えるな)」
このままではLの思う壺だとわかっているのに、自分をコントロールできない。
それどころか、下半身に挿入された玩具のせいだろうか。ゆるく性的な刺激を受けているせいで、Lへのこの感情が、性的なものに感じてしまう。
僕がLに対して性的興奮を覚えるなんてそんなこと決してありえない。ありえないはずなのに、いつの間にか僕の下半身は素直な反応を見せており、下着の中が軽く濡れていることに気づいた。
「最悪、だ……っ!」
ただ快楽を強制的に引き出されたせいで勃起しているならばまだ言い訳も出来たが、今の僕は快感と言うほどの刺激をまだ覚えていない。
それなのに、ただLに抱きしめられているという事実だけで、僕の体は熱を持ってしまっている。
まるで本当に好きな人に抱きしめられているみたいだ。
その相手がLだと言うことに、普段であれば嫌悪感を抱くのだろうが、しかし僕は今その嫌悪感すらいだけなくなっている。
「くそ、くそ……」
全くもって力のこもっていない、Lへの呪詛のような言葉を吐き捨てながら、僕は憎むことができないLの胸元へ頭を埋めながら目を閉じた。
「月くん、起きてください」
Lが僕の体を揺さぶる感覚に、半覚醒状態だった頭が現実に戻される。
熱の中で揺蕩うような心地に身悶えながら、ゆっくりと瞼を開けば、いつもの無表情で僕を観察していたLと視線が合った。
「……おまようございます、月くん。随分顔が赤いですね、大丈夫ですか?」
「ぁ、あ……おま、ぇ……の、せぃ、だ……ろ」
まるで僕を心配するかのようなLに、誰のせいだと、僕は呂律の回らない呪詛を吐き捨てる。
しかし、舌足らずなそれは恨み言と言うにはあまりにも情けない音を響かせてしまい、僕は自分がそんな声を出してしまった事に、羞恥を噛み締めた。
「気分はいかがですか?」
「……さい、あく。だよ」
「そうですね。大分、汚してしまっているようですし」
Lはそう言いながら、僕の下半身に視線を向けた。
僕が身に着けていた寝間着用のズボンは、水でも零してしまったのかというくらい、広い範囲で濡れてしまっている。そして、勃起したペニスがズボン越しでもよく分かるほど、布を押し上げていた。
まるで猥雑なアダルト雑誌のような光景に、僕はそれが己の体であることを受け入れられず、思わず視線を反らす。
しかし、Lは僕の下半身から目を離すことなく、湿ったそこを撫で上げた。
「不快感も強いでしょうから、早くバスルームに行きましょう」
「…………」
「……どうかしましたか、月くん?」
僕が一向に動かないことを疑問に思ったLが、僕の顔を覗き込みながら尋ねてくる。
だが、今はこいつと目を合わせることが辛いと、僕は首を捻ってLの視線から逃れると、小さく呟くように言いながらLの体を押しのけた。
「先に行け。僕は、もう少し、ここに居る」
「はぁ、ですが月くん。さすがにその汚れ方だと、早くシャワーを浴びたいのでは」
まるで僕を気遣うようなLに、どうしてこういう時だけ甲斐甲斐しいんだと苛立ちを覚える。
こいつだって男で、そういう経験の一度や二度はあるだろうに。否、まさか、Lの事だから無い可能性もあるのだろうか。
だとしても、とにかく今は早く居なくなってくれと、僕はLの姿を睨みあげる。
「……動けないんだよ。察しろ、よ」
「すいません、月くん。私の苦手分野です。説明していただいてよろしいですか?」
世界の切り札が何を言っているのか、Lの顔を殴り飛ばしたい衝動に駆られるが、意識が下半身にばかり向いてしまって力が入らない。
だから、僕は全ての羞恥心を捨てきって、顔を腕で覆いながら声を上げた。
「一回、抜かないと動けないくらい、勃ってるんだよ。早く、消えてくれ……」
お前が見ている前で抜けるわけがないだろうと、弱々しくなってしまった声に、なんと情けない姿をLに晒しているのかと自分に失望する。
しかし、僕がここまで説明したというのに、Lは未だに動こうとはしない。
そのもどかしさから、再び声を上げようとした時だった。
「月くん」
Lの指先が僕のズボンを摘み上げたかと思うと、そのままずるりと勢いよく下着ごと引き下げられる。
そして必然的に、己の勃起したものが大きく揺れながら空気の元に晒された。
「――ッ、おい!」
「ああ、なるほど、これは辛そうですね」
電光の下に晒された僕のペニスを観察するように、ぎょろぎょろとLの瞳が興味深そうに動く。
己の恥部、それも完全に勃起したそれをLに観察される羞恥心に、僕は息を飲んで顔を赤くした。
しかし、僕が見るなとLに向けて怒鳴る前に、Lは自分のジーンズの前を寛げた。
「月くん、ご相談があるんですが」
その言葉と共に、Lは僕にもよく見えるように自分のペニスを――僕のものと同様に固く隆起したそれを僕の下半身に近づけた。
「私も大分辛いので、どうでしょう。一緒に抜きませんか?」
「なに、言って……」
「私達のパーソナルスペースが縮まったか、最後のテストです。ここまで出来れば、もう心配ないでしょう」
どうですかと、首を傾げながらLはゆっくりと、己のペニスの先端で僕のペニスを裏筋を撫で上げる。
そのなんとも言えない快感に、僕は必死にシーツを掴みながら悶え、荒くなる呼吸に胸を大きく上下させた。
「待て、L……おい」
「月くん、どうですか、拒絶感はありますか」
Lは僕の心の内を言葉では聞いてくるくせに、自分の体を近づけてくるのを止めない。
やがて、Lはぴったりと自分と僕のペニスを重ね合わせると、そのまま合わさった二つを片手で包み込んだ。
今、体で一番敏感になってしまっているとこで感じる、Lの熱に、体がどうにかなってしまいそうだと思った。
それは拒絶感ではなく、どこまでも息を荒くさせる、どうしようもない興奮だった。
「月くん……」
Lが僕の名前を呼びながら、ゆっくりと僕らを包み込んでいる手を上下に動かす。
その際に、擦れ合う互いの熱に、腰が浮き上がるほどの快感が走って、思わず身を捩じって、体が逃げようとしてしまう。
「んっ、は、ぁ――!」
ああ、駄目だ、と思った一瞬の出来事だった。
たった、数往復。ほんの数十秒。上下に扱くだけの刺激で、僕の体はびくびくと跳ね上がり、あっけなく精をLの手のひらの中に放ってしまった。
「…………っ」
その光景に、驚いたのはLも同じだった。
Lは断続的に精液を吐き出す僕のペニスと、手のひらに溜まっていく白濁のそれを見つめながら、なんと言ったものかという表情をした。
その、まるで気を使われているかのような態度に、なによりこんなにも簡単に己がイってしまったという事実に、羞恥のあまりどうにかなってしまいそうだった。
「……随分と、溜まっていたんですね」
ようやく言葉を見つけた、といった様子で紡がれたLの言葉に、僕は唇を噛み締める。
止めろ、言うな、違う。
これは薬のせいで、最近まともに抜いてなかったし、それにこの体はまだ十七歳で、そういう性的な刺激に反応しやすくて。
しかし、どんな言葉を口にしたところで、みっともない言い訳にしかならないことを知っていた。
そのせいだろうか、気付けば僕の口から出てきた言葉は、自分でも予想外のものだった。
「お前も、イけ……、一回は一回、だろ」
僕だけが、こんな惨めな姿を晒すなんて、許さない。
だからお前も、さっさと僕の目の前で、無様に射精してしまえばいい。
きっと薬が抜けて、冷静になってみれば、何を言っているのかと頭を抱えたくなるような考えだと分かっているのに。それでも僕は、自分だけがこのままイっただけで終わるのは我慢できないと、Lの顔を見つめた。
「そうですか……」
僕の言葉を聞いたLは、しばらく何かを考える素振りをすると、僕の両足を持ち上げ、その隙間に体をねじ込ませてきた。
「月くん。でしたら、貴方のここを使わせていただいても、よろしいですか」
そう言ってLが触れてきたのは、エネマグラが入ったままの、僕の後孔だった。
「お前、何、言って……ッ!」
だって、そこを使うということは、つまり、お前のものを僕の中に入れるということで。
それって、つまり、セックスをするってことじゃないのか。
「すみません。私は月くんと違って若くないので、こちらの刺激でないとイけそうになくて」
こんな、触れる程度の刺激ですぐにイってしまった、感じやすい肉体とは違うので。
なので、貴方のここに入れてもいいですか。と、Lは迷いのない視線で僕に問いかける。
その問いに、何を言ってるんだ、こいつ。馬鹿じゃないのか。お前とセックスしたくないから、媚薬なんて飲んだのに。と、冷静な僕だったらすぐに答えることが出来たのだろう。
けれど、熱に浮かされて、羞恥心に支配された僕の高すぎるプライドは、そんな判断力さえ失くしてしまったようだ。
「……好きにしろよ」
こいつが、Lが、僕の目の前でイくなら。もう、なんでもいい。
そう、もはや諦観と呼ぶ勢いで答えれば、Lはニヤリと口角を吊り上げた。
「では、好きにさせてもらいます」
Lはそう言うと、僕の中に入っていたエネマグラの突起に指先を引っ掛けて、ずるずると黒色のそれを僕の中から抜いた。
ずっと抱きしめられて、寝ているとも起きているとも言えない状態でいたせいか、僕のそこは随分と熱を帯びている。
そして、先走りが垂れたのか、それとも腸液と言うやつなのか、よく濡れたそこはLのペニスを受け入れる準備が整っているようだった。
「月くん」
Lが僕の名前を呼びながら、僕の後孔に、自分の隆起したペニスを宛がう。
ふと見えたその大きさに、本当にそんなサイズのものが自分の中に入るのかと、恐怖がじわじわと沸いてくる。
だが、怖いなどという感情を表に出した試しのない僕は、Lに対して待ってくれとも、やっぱり駄目だと言うことも出来ずにいた。
それが分かっていたのか、あるいはLも限界だったのか。
僕が何か反応を示す前に、Lのペニスがずぶずぶと、僕の中に侵入してきた。
「――ッ! は、ぁ、あ……!」
いくらエネマグラによって慣らされていたとはいえ、質量の違いすぎるLの熱に、全身が支配されるような圧迫感を覚える。
駄目だ、それ以上、僕の中に入ってくるな。痛い。苦しい。熱い。
だが、これ以上羞恥を重ねたくないプライドは、悲鳴のように叫びそうになる声を必死に抑えて、僕に吐息だけを吐き出させた。
「っ……は、月くん。もう少し、力を抜いていただいていいですが」
珍しく、切羽詰まったといった様子のLの声に、微かに己の胸がすく。
だが、力を抜いてほしいという要望については、とてもではないが受け入れられるわけがないと、僕は首を振った。
「無茶、言うなよ……っ」
今、僕が、どれほどの熱と痛みに耐えていると思っているんだ。ただ挿入しているだけのお前とは訳が違うんだぞ。と、Lの姿を睨みあげれば、あいつは仕方ないといった様子で僕の首元に顔を埋めてきた。
「では、貴方の体に触れることも、許容してください」
Lはそう言うと、舌先を僕の首筋に這わせてきた。
いつもはケーキやお菓子を食べる為に動く真っ赤なそれが、僕の肌を堪能するように、ゆっくりと舐め上げる。
まるでLに咀嚼されるお菓子にでもなった気分だと、己が捕食されるような感覚に、僕はLに喰われてしまうのかと、ぞわりと体が震えた。
その瞬間を逃さぬように、Lはずぶずぶと再び僕への侵略を再開して、さらに僕の体を支配した。
「――ッ、ぁ、L! ま、て……、ぁ、はっ」
苦しい。熱い。僕はなんで、この体を好きにする許可をLに出してしまったんだろうか。
けれど、Lのペニスが僕の腹を突き上げるほど侵入してきても、僕の中に、後悔の感情は生まれてこなかった。
それどころか、恍惚とした、充足感とも幸福感とも言えぬ、どこまでも僕を浮つかせる感覚に支配される。
「月くん」
Lは再び僕の名前を呼ぶと、ゆっくりと腰を動かしながら、僕の首筋に歯を立てる。
下半身の圧迫感と、首筋の甘い痛みと、それから目前にあるLの髪から香るバニラとも汗とも言えぬ匂いに、全身がLによって支配されたような気がした。
それは、夜神月として、キラとして、酷くプライドを傷つけられる、望まざる状況のはずだ。
しかし、今の僕は媚薬のせいか、それとも熱に浮かされているせいか、Lに支配されるこの心地に嫌悪感を抱けなかった。
そんな自分に気付いて、どうかしている、僕にいったい何をした。と、僕の捕食者である男を問い詰めたかったが、無念なことに僕の喉が絞り出したのは、嬌声と言ってもいいほど甘い声だった。
「っはぁ、ぁ――、ん、ぁ……っ」
この声は、本当に僕のものなのか。
今まで、目的の為にいろんな女性を抱いて、その度にワザとらしい演技だなと、心の中で嘲笑っていたような、こんな甘ったるい声が。
ありえない、ふざけるな、僕にいったい何をした、全部お前が仕組んだことなんだろう、許さない、僕にこんな惨めな声を出させているお前を絶対に。
だが、どれほど心の中で憎悪のような感情を募らせたところで、僕の口から声が止まることはなかった。
Lの動きに対応するように、あいつが腰を動かして、僕の首筋に舌を這わせる度に、馬鹿みたいな声が出るのを止められない。
「……っ、は、気持ちいい、ですか、月くん」
そんな声を出していたせいなのか、あるいはセックスは快楽のために行うものだという固定概念なのか、Lはどこか僕を嘲笑うようにそう聞いてきた。
Lの問いかけに、何を言っているんだ、こんな熱くて苦しい行為が気持ちいわけがないだろうと答えようとした。
だが、Lの手が僕の下半身に伸びて、僕とLの腹の間に挟まれたそれ――いつの間にか再び固さを取り戻していた、己のペニスに触れた途端。どうしようもない快感が、体をびくりと震わせるほどに駆け抜けた。
「あ、っ、ちが……違う」
これは、いったいなんの間違いだと、Lが形をなぞるように触れている、己のペニスに視線を向ける。
僕が、Lとのセックスで、それも、自分が挿入される側で、感じるわけがないだろう。
けれど、僕の肉体は事実として、その現実を押し付けてくる。
「……月くん、一回は一回、でしたよね」
Lは何を考え付いたのか、そう意地の悪い笑みを浮かべると、触れていただけの指先をしっかりと僕のペニスに絡めて、自分が腰を動かす律動に合わせるように、ぐちゅぐちゅと僕のものを扱きはじめた。
「貴方の中に出すのが、一回で済みそうにないので、もう一回貴方もイってください」
Lの言葉に、何を言っているのかこいつはと、頭の中に僅かに残っていた冷静な部分が声を上げる。
お前、あろうことか僕の中に出すつもりなのかとか、一回で済まないってどういう意味だとか、イくならお前一人で好きなだけイけばいいだろうとか。
だが、そんな理性を一瞬で溶かすような快感が、Lの触れているペニスから与えられて、僕の口から意味のある言葉を吐き出すのを許さなかった。
「あ――っ、え、る! やめ、だめだ、あっ! あ、ぅ、は――っ!」
身悶える。
体が勝手に反応する。僕の意思を無視する。
自分の意思に従わない感情や肉体という、己が生きてきた中で初めての経験に、恐怖を感じた。
そんな恐怖を掻き消してしまうような快楽と、それから僕を抱きしめてきたLの温度に、僕は再びLの手の中に精液を吐き出した。
その瞬間、Lの体が震え、僕の中に精液を吐き出す脈動を感じた。
「っぁ――――あ、ぁ」
断続的に震える、精を吐き出すために行われる、ドクドクとした、感覚。
Lの精子が、遺伝子が、自分の中に刻み込まれるような、染みついていくような錯覚。
その事実に、嫌悪感どころか興奮すら覚えている己に、気付きたくない。知らない。こんなのは夜神月じゃ、キラじゃない。
「月くん、一回は一回、ですよ」
だから、もう一度。
そう囁きながら、射精の余韻に浸るLの声色を拒絶できない僕なんて。
けれど、その日、僕は一度としてLに対して憎悪も嫌悪感も抱くことなく、互いに疲れ果てるまで『一回は一回』を繰り返した。