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「リトライ・ライフ」
​4

 

 授業二日目。
 僕は教室に入ってから前置きもなく椅子に座り問いかけた。

 

「さて、メロ。さっそくだけど、昨日、僕の部屋に入ったよね」

 

「……ッ! なんのことだよ」

 

 明らかに顔に出たメロの動揺に、いくら何でも分かりやすすぎると、メロの幼さと未熟さを嘲笑う。
 シャーペンの芯が折れていたのは、Lが監視カメラを仕掛けた時の可能性もあったが、やはりメロの性格からしてこいつも僕の部屋に侵入していたらしい。

 

「メロは感情が出やすいタイプだね、顔にしまったって書いてある。自分に感情的な傾向があるって分かっている場合は、隠すよりもバレていることに対する策を考える癖をつけたほうがいい。それで……僕の部屋に入って何か得られるものはあったか?」

 

 他に一体何を見つけたのかと聞けば、これ以上隠すことはできないと判断したのだろう。
 メロは何度か考えを巡らせた後、僕の目、正しく言うとLとの通信機になっている僕の眼鏡を見ながら言った。

 

「……その眼鏡が、充電式になってること。確認までしてないが、多分録音機能が付いてることくらいだ」

 

 どうやら通信機能が付いているということまでは気づかなかったらしい。
 しかし、それをメロに教えてやる必要もないため、僕はよく気づいたねと言ったふりで肯定する。

 

「ああ、そうだね。メロも分かっている通り、今回、僕は二人をテストするために来たから、その記録のためだ。普段は眼鏡なんてかけないから、なかなか新鮮な気分だよ。それで、確認したいんだけど、メロが僕の部屋に入ったのはいつ?」

 

「キラ先生の授業が終わってからすぐ。ニアの授業をしてる時だ」

 

「さすが、行動力があるね、メロ。……その時、バスルームにある隠し棚の中は確認した?」

 

「いや、見つけてない……」

 

 なるほど、メロが隠し扉の存在に気付いていれば、いつあの筋弛緩剤が隠されたかのヒントになったが、見ていないのならば仕方ない。
 一方、隠し扉の存在に気づけなかったことを指摘されたと思ったメロは、とても不安そうに僕のことを見上げた。
 その無様な顔に、内心愉快な気分だと笑いながら、僕は優しい先生の笑顔を浮かべる。

 

「そんなに心配そうな顔しなくても大丈夫だよ。減点するわけじゃない。ただちょっと……そこから厄介なものを見つけてね」

 

 僕はそう言いながら、メロに部屋で見つけたアンプルを差し出した。

 

「薬品名だけで、なんの薬か分かる?」

 

「筋弛緩剤だ。それくらい分かる」

 

「あぁ、それくらい分かってもらわなくちゃ困る。で、ようやく本題なんだけど。二人にするテストの内容を変えようと思って」

 

 テスト、と今まで言葉にしてこなかったものを明言した瞬間、メロはやっぱりこれはテストなのかと、僕がこれから言う言葉を聞き逃さないように神経を尖らせた。

 

「この薬は、僕が仕込んだものじゃない。この施設の誰かが、何かの目的で、あの部屋に隠した。メロには、犯人が何を考えているか、動機はなんなのかを推理してもらいたい。つまりは……Lとしての実戦テスト、ってところかな?」

 

「――ッ!」

 

 Lの後継者になるために育てられてきた子供の、人生がかかった緊張感に、嗜虐的な笑みが零れる。

 

「荷が重いなら断ってくれてかまわないよ。まぁ、ニアだったら受けるだろうし、仮に受けなくても僕が解決するし」

 

「受けるに決まってるだろ。やらせろ」

 

 当然だ、こんなところで躊躇するようではLの後継者になれるわけがないし、メロは躊躇するようなタイプではない。
 これはあくまで、メロの持つ異常なまでのニアへの対抗意識を燃やす為のパフォーマンスだ。
 それを知らぬ素振りで、僕はよく決断してくれたといった風に頷く。

 

「うん、いい子だね、メロ。さて、それじゃあさっそく、現時点でのメロの推理を聞かせてもらっていいかな?」

 

 僕が、Lかもしれない人間がそう問いかければ、メロは苛立ったようにチョコレートを咀嚼しながら考えを巡らせ始めた。
 やがて、自分なりの答えがまとまったのだろう。
 ギロリとした視線を僕に向けながら、メロは淡々と己の推理の説明を始めた。

 

「……多分、犯人の目的は誘拐だ。その筋弛緩剤は殺人をするのには向いてないし、殺人ならわざわざハウスでする必要もない。だから、大人の誰かが子供を誘拐するために用意した。あの部屋がLの部屋だったて知ってたら普通は隠し場所としては避けるから、犯人は比較的新しい教師だな」

 

 なるほど、ここまでは僕が事前に考えていたのとほとんど同じ答えだ。
 では一番最後の答えはいったい誰の名前を上げるのか聞いていれば、メロはしばらく躊躇ったかと思うと、悔しそうに表情を歪めながらも口を開いた。

 

「それで、誰を誘拐するつもりなのかは……多分、ニアだろう」

 

「それはどうして?」

 

「このハウスで一番テストのスコアが高い。つまり、あいつは世界有数の頭脳を……Lの後継者に相応しい頭脳を持ってる。俺よりも……。それ以外に、このハウスで価値のあるものなんて無いんだよ」

 

 それが、ワイミーズハウスで永遠に二番にしかなれなかったメロの出した答えだった。
 

「さてニア、確認したいんだけど、昨日僕の部屋に入ったかな?」

 

「私は入っていませんが、おそらくメロは入ったと思います」

 

 僕が入室後、開口一番に聞いた問いかけに、ニアはさも当然といった様子で答えた。
 どうやらニアは、これがテストだということを確認しあう必要はないと考えているらしい。互いに自分がLだと主張しておきながら、その内ではいかにしてキラであることを証明するかの戦いを行っていた以前の僕達らしい。
 そのせいか、湧き上がってきた苛立ちを解消するため、僕はあえてニアを煽る方向で話を進める。

 

「へぇ、ニアは入らなかったんだ。僕がメロの授業をしている間とか、時間はあったと思うけど」

 

「……減点ですか」

 

 わずかに不安を滲ませて問いかけてくるニアに、僕はどうかなとさらに不安を煽る笑顔を張り付けながら、首をかしげる。

 

「理由にもよるかな。どうして、部屋に入らなかった?」

 

「必要ないと思ったからです。貴方がLであるか否かを判断する証拠をわざわざ、侵入してみろと言わんばかりの場所に置いておくとは思えない。Lが昔使用していた部屋だと言われている場所に貴方が滞在しているのも、あからさますぎます」

 

 ああ、その通り、正解だよ。まったく、本当にこいつのことは嫌いだ。
 だが、このままニアが正解したということにするのも腹立たしいので、教師の立場から不安にさせてやろうと、僕はわざと残念そうな顔を浮かべる。

 

「なるほどね。でも、メロはそこで情報を手に入れたようだよ?」

 

「……」

 

「やっぱりLの後継者を目指すなら行動力は大切だ。容疑者の部屋に監視カメラを六十四台つけるとか、そういった思い切ったことをする必要がある。まぁ、それだけ仕掛けたところで、肝心の容疑者に監視カメラがバレていたら意味ないけどね」

 

『月くん、ニアやメロと同時に、私を煽るのもお上手ですね』

 

 耳元で聞こえてきたLの声を無視しながら、僕は微笑んだままニアを見つめた。
 実際にニアは、行動力という部分においてはメロに対して大分負けている。
 Lは、ニアのような冷静な思考力と、メロのような突飛な発想と行動力、どちらも兼ね備えていた。
 だからこそ僕は、Lのことを己にとって一番の強敵だと認めた。
 と、そこまで考えてみて、なんでLのことを褒めているのかと、通信機がLと常に繋がっているせいか、少しばかり恥ずかしくなる。

 

「いいです、他の所で挽回します」

 

 冷静なふりを保ってはいたが、ニアもLの後継者として生きてきた子供だ。
 内心、なかなかに焦っているだろう。
 と、ニアの動揺に心地よさを感じながら、わざとらしくならない程度の笑みを浮かべる。

 

「うん、頑張ってね、ニア。それで、君たちが頑張ってるテストのことなんだけど、少し方法を変えようと思ってね。実は昨日、僕の部屋の隠し棚から、これを見つけたんだ」

 

 そう、僕がアンプルを取り出した瞬間。
 ニアは僕が切り出す前に、早々に口を開いて言った。

 

「犯人の目的は、誘拐です」

 

「……さっそく挽回してきたな」

 

 思わず、優しいキラ先生の仮面が取れて、素の自分が微かに出てしまう。

 

「貴方が想定していなかった筋弛緩剤が見つかり、それを私に『テストを変える』と言って見せてきた。つまり、実戦で私とメロのテストをするつもりだと理解しました。なので、聞かれるであろう犯人の目的から推理しました」

 

 パズルを解くように、淡々と自分の思考を説明する子供に、やはりこいつが一番厄介な相手だと、かつての日々を思い出す。
 どれだけ幼くとも、やはりこいつは僕と戦い、僕を追い詰めた、あのニアだ。
 僕がアンプルを見せた瞬間に、ここまで推理できるとは、正直驚いた。
 ここで先ほどのように、嘘をついて貶めてしまえば、むしろ僕の方が負け惜しみのようで惨めになる。
 と、今回だけは素直に褒めてやろうかとニアの答えを肯定する。

 

「さすが、ハウスで一番スコアが高いだけあるな。その通りだよ、ニア。じゃあ次だ。犯人は誰なのか、そして誰を誘拐するつもりなのか、推理を聞かせてくれ」

 

「犯人は子供ではないでしょう。私達なら、筋弛緩剤など用意しなくとも身の回りのもので昏倒、あるいは殺す方法を知っています。犯人は大人、隠し場所からしてプロではありません。教師として勤めている中で、悪知恵が働いたタイプでしょう」

 

 こちらも随分と短い時間で考えた割には、全くもって的確な答えだ。
 その推理に至る理由は違えど、僕とメロ、両方と同じ答えにたどり着いている。
 ならば一番最後、誰を誘拐するつもりなのかという部分についてニアの答えを待っていると、その部分に関しては随分と悩むことがあったらしい。
 ニアは少しばかりその答えに時間をかけると、少しばかり躊躇いながら口を開いた。

 

「そして誘拐する対象は……おそらく、メロだと思います」

 

 ここで出てくるのがメロの名前。
 その答えは意外だと、僕は首をかしげる。

 

「どうして、メロだと?」

 

「テストのスコアではたしかに私の方が上ですが、私は一般的な社交性や生活力に乏しいでので、売り物にするには適していません。それに、メロは遵法精神が薄く、犯罪組織に売り渡された場合でも適応できるように思います。まぁ、本当に売り渡されたら自分の都合よく使い倒すでしょうが」

 

 たしかに、あいつは前回、マフィアに自分を売り込んで自分の手駒にして、散々に利用してみせた。
 実に的確なニアのメロの性格把握に、これが互いにLの後継者候補として競い合ってきた二人の、互いへの理解かと二人が過ごしてきた日々を思い浮かべる。

 

「なので、犯人の目的はメロです」

 

 それが、ワイミーズハウスで最もLの後継者に相応しいとされたニアの答えだった。
 

「犯人は教師の中の誰かで、目的は誘拐。その目標はニアかメロ、ね……」

 

 二人の出した答えを口にしながら、僕はLから与えられ持ってきた個人用のパソコンでハッキングの準備を進めていた。
 そんな僕の独り言に、Lはさほど興味がなさそうといった様子で声をかけてくる。

 

『二人の採点をしてみて、いかがでしたか、キラ先生』

 

 仮にもお前の後継者をテストしているんだから、もっと興味を示したらどうなんだと思った。
 しかし、Lにとっては既に、二人を後継者にすることは決定事項だから、僕の行っているテストはさほど意味が無いと考えているらしい。
 マイクの向こう側で何か固いアメでも噛んでいるらしい咀嚼音に、不愉快だと顔を顰めながら答える。

 

「まぁ、この年齢にしちゃ十分に妥協点なんじゃないか? お前が後継者候補にするのも分かるよ……でも、僕以下だな」

 

『月くんも、Lの後継者候補になるのをご希望されますか?』

 

「僕は後継者じゃなくて簒奪者だよ、L。ところで、お前の方でも目ぼしい奴は見つかったのか」

 

 僕がそう問いかけた途端、パソコンにLからのメールが届いた。

 

『各教師のプロフィールは今送ったものが全てです。とはいえ、ワイミーズハウスに教師として向か入れる時点で身辺調査は行っているので、過去の犯罪歴などから漁っても情報が出てくることはなさそうですね』

 

「そうなると、目ぼしい奴のパソコンにハッキングして、バイヤーとやりとりしてる証拠を掴むしかないな……。ここって、教師は何人居るんだ?」

 

『現時点で常勤なのは十八名、月くんのような臨時教師を合わせると五十名近く居ます』

 

「なかなか多いな……メロの言っていた、この部屋を隠し場所に選ぶなら最近勤め始めた教師の条件で絞っていくか」

 

 とはいえ、最近雇われた教師に絞っても十人近く居る。
 そもそも、このワイミーズハウスというのは同じ教師がずっと教えるというよりは、その子供の状態に合わせて専門家を宛がうという方針らしい。
 まったく、養護施設という名前をした研究機関のような場所だと、さっそく一人目の教師のパソコンにハッキングを仕掛けていると、Lの不満そうな声が聞こえた。

 

『犯人を特定するより先に、誘拐事件が起きそうですが』

 

「それなら、お前お得意の監視カメラの数を増やして怪しい動きをしてる奴がないか見てくれよ。それか、僕がこの時期に裁いた犯罪者から、どの犯罪組織が関わっているか調べて根本から潰すとか」

 

『月くん、貴方がこの時期に裁いた犯罪者の数をお忘れですか?』

 

「さぁ、ノート数ページに渡ってびっしり書いたことしか覚えてないな」

 

『詳細を忘れているみたいなので教えてあげますが。前回、これから開かれるICPOの会議では分かっているだけで五十二人、私だけが把握していた犯罪者も含めると七十八人ほど居ました』

 

「なんだ、お前、そこまでしか把握してないのか。実際は九十八人くらい居たよ」

 

 ああいえばこう言う。という、まさに子供同士の喧嘩に、自分のことながらなんと大人げない応酬かと思ったが、全てはやる気の無さそうなLが悪いということにする。

 

「ともかく、僕はバイヤーとやりとりしてる教師が居ないかハッキングしてみる。用意してもらったパソコンがさっそく役に立ったよ……ところで、この部屋の隠し棚って全部で三つか?」

 

『いえ、その倍以上あります』

 

 平然と答えられた数に、僕は思わず机を叩く。

 

「くそ、まだあるのか……ッ! というか、お前、これ本当に子供の頃に作ったのか? 明らかにスパイ映画にしか出てこないような仕掛けまであるぞ」

 

 僕がそう、机のすぐ傍で発見した暗号式のロック、それもパスワードを間違えれば中身が爆発しそうな装置を目の前に聞けば、Lは平然とした口調で肯定した。

 

『ああ、多分私が映画に影響されて作ったやつですね。アイデアさえあれば仕組みを考えるのは簡単です。あと、その台詞はそっくりそのまま月くんにお返しします』

 

「ただの遊びのお前と、自分の命がかかってた僕を同じにするなよ」

 

 たしかに、僕も一歩間違えれば家が火災になるような隠し場所を作っていたが、あれはデスノートというキラとして一番重要なものを隠す為だ。
 少なくとも、いくら天才とはいえただの子供がここまでやるのは、偶然知ってしまった国家機密を隠すくらい。
 とそこまで考えて、Lならば子供の頃に捜査の段階で偶然国家機密を知ってしまうこともあるかと、思わず冷静に可能性を模索しはじめた時だった。

 

『それにしても、私が作った隠し棚を探している暇があるとは、随分と余裕ですね』

 

 僕がハッキングと平行してLの隠し扉に挑戦していると、Lの不満そうな声が聞こえた。

 

「まぁ、今回はお前の後継者が味方だから。その優秀さも知っているし、なによりこれはテストだって対立を煽っているから、僕より早く犯人を見つけてくれるんじゃないか?」

 

『月くん、自分を景品に女性を競わせるのが上手いと思っていましたが、教師としても生徒を競わせるのがお上手ですよね。どこでそんな技術を身に着けたんですか?』

 

 不純な大人を蔑む子供のようなLの声に、何を言っているのかとため息を吐き出す。

 

「ニアとメロに関しては僕が意図的に対立を煽っているけど、ミサや高田に関しては僕は何もしてない」

 

『つまり、天然ものだと』

 

「その言い方は止めろ。というか、女なんてそんなもんだろう。どっちが愛されてるだの、どっちが僕に相応しいだの、勝手に裏でいつの間にか争って、牽制し合って」

 

 僕としては思ったことをそのまま言ったはずだったが、Lは驚いたように暫し無言になったかと思うと、何故か不安そうな声色で呟く。

 

『……本当に天然なんですね、月くん』

 

 これは困った。という態度のLに、なんでお前にそんなことを心配されなくちゃいけないんだと怒りが沸いてくる。

 

「お前だって、ニアとメロに関してはそんな感じだろう。どっちがお前の後継者になるのが相応しいか、火花を散らさせてるじゃないか」

 

『私と二人の関係とはまた違うように思いますが……。ですが、月くんがLかもしれないと思われている現状だと、十分に注意してほしいですね』

 

「は? 何を注意するんだよ」

 

 僕が本物のLだと思われている状態で、Lの存在を乗っ取ることを警戒しているのか。
 しかし、Lの口から出てきた言葉に、僕は唖然とすることになる。

 

『あまり二人に思わせぶりな態度をすると、二人が月くんに惚れる可能性があります』

 

 こいつ、マジで、何考えてるんだ。
 少なくとも、こいつを目指しているせいで、社会不適合者寸前の子供を二人作ってしまうほどの頭脳を持っている人間の台詞ではないと、僕は珍しくニアとメロのことを憐れんだ。

 ワイミーズハウスで誘拐事件が起きようとしているなど、誰も信じられないほど穏やかな声が溢れる中庭。
 そこで、僕はいい天気だと日光浴でもする気分で芝生に足を踏み入れながら、メロの姿を探す。
 と、その時、初日にメロがわざわざ手を引いていってあげていた子、オウルと呼ばれた子供を見つけて、丁度いいかと声をかける。

 

「やぁ、こんにちは」

 

「…………」

 

 僕が声をかけても、オウルは何も反応しない。

 

「いい天気だね」

 

「…………」

 

 たた、黙々と、自分の中に浮かび上がってきているであろう数字を、地面にチョークで書き続けているだけだ。
 その様子から見て、オウルはおそらく、サヴァン症候群というものなのだろう。
 知的障害などを持ちながら、しかし特定の分野において著しい才能を見せるという、このワイミーズハウスに相応しい子供。
 故に、この子が書いているこの数字も、実際はこの世界を変えるような数字なのかもしれない。
 実際、数学というのは新しい数式を生み出す発想力、天啓のようなひらめきが必要な学問らしい。
 そして、僕は確認のために、答えてくれるかは駄目もとでオウルに尋ねる。

 

「オウル、六一〇八七三は?」

 

 僕の言葉に、ようやくオウルは一瞬だけ僕の顔を見る。
 だが、すぐに興味を失ったように、再び地面に九五三六四一と数字を書き始めてしまった。

 

「そいつ、緘黙みたいなやつで、ほとんど喋らないぞ」

 

 その時聞こえた探していた声に顔を上げれば、相変わらず緊張した面持ちでこちらを見つめる子供の姿が視界に映った。

 

「ああ、メロ。丁度良かった、今日は授業が無いから、探しに行こうと思っていたんだ。ちなみに、ニアが何処にいるか知ってる?」

 

 僕がそうやってニアの場所を聞いたのが気に食わなかったのだろう。
 探されていたのが自分だけではないことに苛立った様子で、メロは中庭から見える子供たち用の建物に視線を向けた。

 

「……あいつなら、いつも一人で遊戯室のパズルしてるけど」

 

「そう、ありがとう。ところで……随分緊張してるね」

 

 僕を目の前に、正しくはLかもしれない相手を目の前に、いっそ怯えているとさえ表現してもいいメロのことをそう笑えば、当然だろうという目で見上げられる。
 その余裕の無さを確認してから、僕はそっと眼鏡を外し、こちらのマイクになっている部分を塞ぎながらメロに耳打ちをする。
 これならば、Lには何を話しているかは聞こえないだろう。

 

「今は、そんなに身構えなくていいよ、メロ。でも、今夜は少し、緊張するかもね」

 

「それって――っ!」

 

 思わず大声を出しそうになったメロに、本物のLにバレたらどうすると、静かにしてと指を口元に立てた。
 そして、僕は自分のポケットから一枚のメモ用紙を取り出し、メロのポケットに入れてやる。

 

「結果発表だ。この紙に書いてある場所に、指定の時間に来るように」
 

『月くん、ニアとメロに何を伝えたんですか?』

 

「なんのことだよ」

 

 マイクは聞こえないようにしていたはずだが、やはり想像通り何かしらの方法で監視はしていたらしいLは、そう苛立ったように僕に尋ねてきた。

 

『月くんのご指摘通り、早速ハウスの監視カメラを増やしたんですが。今日、メロとは中庭で、ニアとは遊戯室で何か話していましたね? 手の動きからして、何か紙を渡しているようにも見えましたが……あれはなんですか? 自分の部屋に来るようにでも誘いましたか?』

 

 どうやらLは、僕たちが何を話しているかまでは聞こえなかったらしいが、だいたいの察しは付いているらしい。
 だが、僕はあいつがこの部屋に来るまでの時間を稼ぐためにも、Lの言葉にわざとらしい冗談で応酬する。

 

「はは、その言い方だと、僕がまるで教師と生徒で不純なことしてるように聞こえるな」

 

『不純な事ではないんですか?』

 

 至って真剣といった様子で聞き返してきたLに、なんなんだこいつはと、思わず体が固まる。

 

「おい……何本気で言ってるんだよ、冗談に決まってるだろ」

 

 なんで僕がニアやメロのことを不純な動機、つまりは性的な目的で部屋に誘わなくちゃいけないんだ。
 たしかに冗談を言ったのは確かにこちらだが、それに対して真剣に答えるなと通信機の向こう側に居るLを睨むが、Lの声色は変わらず真剣なままだった。

 

『今までの月くんの女性関係を見ていると、月くんは異性愛者と自称はしていますが、それにしてはあまり女性には興味がないように思えまして。方やハリウッドでも活躍する大人気女優、方やキラの代弁者として熱狂的な信者も多い清純派アナウンサー。どちらも、誰もが羨む美人です。なのに月くんはさほど興味がないどころか、どちらもキラのためと割り切って仕方なく関係を持っているようでした』

 

「まぁ……実際、二人との関係はそんなものだったけど」

 

『では一体、どういうタイプに積極的に性欲を抱くのか疑問だったんですが……小児性愛者でしたか?』

 

「そんなわけないだろう!」

 

 Lの口から飛び出たとんでもない言葉に、僕は即座に否定の言葉を叫ぶ。
 今まで人のことを散々に言ってきた奴だったが、今回は事もあろうに小児性愛者とは、まったくもってLの発想についていけない。

 

「……というか、仮にそうだったとしても、ニアとメロだけは選ぶわけないだろう」

 

『ですが、ニアもメロも月くんが苦戦するほど頭脳に関しては――当然! 私には及びませんが、常人よりも秀でていますので』

 

「……今の話で、その部分必要か?」

 Lの話したいことが頭の中でまったく繋がらず、苛々してきた僕の一方で、Lはさも当然だといった様子で話を続ける。

 

『月くん、頭のいい人間が好きでしょう』

 

「まぁ……知性の足りない奴よりは」

 

『つまり、そういうことです』

 

 だから、何がそういうことなんだよ。
 しかし、僕は次にLが告げてきた言葉に、盛大に頭を抱えることになる。

 

『月くん、私はニアやメロと交流するように言いましたが、肉体関係を持つようには言っていません。たしかに、自分を尊敬させ、主導権を握るために肉体関係を利用する方法もあるかもしれません。月くんお得意の、人心掌握術の一種だとは認めます。月くんに貞操観念なんてものが皆無なのは知っていました。また、月くんが二人に対して、復讐の意味も込めてそういった関係になる可能性について考えなくはなかったですが、しかし私は月くんの僅かには残っているだろう倫理観を信用して――』

 

「お前な……ッ! 何考えるかと思えば、そんなこと考えてたのか! そんなことより、もっと警戒するべきことが……」

 

 そう、お前を目指している二人のためにも、もう少しまともなことを考えろと声を荒げてしまいそうになった時だった。
 控え目なノックの音に、僕は無事、目的の方向とは違ったが時間を引き延ばすことが出来たらしいと笑みを浮かべ、その訪問者を迎え入れる。

 

「失礼します、キラ先生」

 

「あぁ、待ってたよ――ニア」

 

 ドアを開けて、自分よりも頭二つ分は小さい、その子供の姿をした悪魔を部屋に招く。
 一方、ニアは僕の部屋の中を見渡しながら、ここにメロの姿がないことを確認した。

 

「……私、一人ですか?」

 

「そうだね。この部屋に呼んだのは、ニアだけだよ。つまり、僕が……否、Lが伝えたい事の意味が分かるか?」

 

 そう、Lの名前を騙って、僕は期待を含ませた笑みをニアに向ける。

 

『月くん、何をするつもりですか』

 

 通信機の向こうで、Lの動揺した声が聞こえる。
 その声色に、いい気味だと心の中で溢れる嘲笑を抑え込みながら、ここからはもっと面白いものが見られると、僕はベッドに腰掛けた。

 

「私が合格、という意味、ですか……」

 

「ふふ、皆まで言わせるなよ。ほら、おいで」

 

 僕はそう、ニアを自分が座っているベッドの隣に座らせる。

 

「ニア」

 

 ニアは戸惑ってはいたが、しかし、自分がLのテストに合格したという興奮からだろう。何か引っ掛けは無いか、何かブラフは無いかと探してはいたものの、しかし焦る気持ちが抑えきれなかったのか、素直な眼差しで僕のことを見上げた。

 

「……L、私は」

 

 その興奮につつまれた子供の頬を左手で包み込みながら、僕は微笑み、そして囁く。

 

「ニア……君に頼みたいことがある。君にしか出来ないことだ」

 

「私にしか、できない」

 

「ああ、そうだよ。ニア……君は――僕の自由のための犠牲になってくれ」

 

 その純粋無垢さをこれから穢してやれるのかと思うと、実に愉快だった。

 

「――――ッ!」

 

 左手で頬に触れることで、意識をそちらに向けさせたおかげだろう。
 ニアは僕が右手に注射器を持っていることに気付かず、あっけなくその体に筋弛緩剤を打ち込まれることを許してしまった。
 ああ、まったく、だからお前は甘い。
 Lには及ばない。
 今回も、メロと協力していれば僕に勝てたかもしれないのに。

 

「メロ相手だと、最悪反撃される場合があったが。ニア、お前は肉体的には幼いし、あまりフィジカルは得意じゃなさそうだから」

 

 だからお前にしたんだと語る僕に、自分が騙されたことに気付いた目が憎悪に歪み、こちらを睨みつける。

 

「キラ……ッ!」

 

 その嫌悪に染まった声が、前回の時と重なり、思わず笑みが零れた。

 

「ああ、前回、お前がそうやってキラの名前を呼びながら、悔しそうに死んでいくのが見たかったよ。でも、ようやくその顔が見れた」

 

 体を支えることが出来なくなりベッドの上に倒れる姿を見つめながら、僕はなんの笑みも隠すことなく、Lと繋がっている通信機を床に投げ捨て、いつだかLが僕の携帯を叩きつけた時のように粉々に踏みつけた。

 

「じゃあな、L。僕をこのハウスに連れてきた事、後悔しろよ」

 僕がメールで指定されていた場所、ワイミーズハウスの厨房と繋がっている食糧庫でトランクを椅子代わりに待っていると、倉庫のドアから一人の男が警戒しながらこちらを覗き込んできた。

 

「……あんたが、フィル先生か」

 

「あぁ、初めまして。君がメールでやり取りしてたクインかい?」

 

 そう、フィル先生とやらを騙って僕が返事をすれば、男は違うと首を振った。

 

「いや、クインの兄貴はこれから向かう場所で待ってる。それで、その中に入ってるのか」

 

 男がそう、僕が座っているトランクに視線を向けながら尋ねてくる。

 

「ああ、彼がそうだよ。何せ、このハウスの中で一番テストのスコアがいい。世界中のスーパーコンピューターを集めても数年かかるような計算が、この子なら一瞬だ」

 

 嘘をつく時には、真実を半分混ぜておくのが鉄則だ。
 故に、僕はトランクに入っているニアについて、半々の真実と嘘を告げる。
 だが、僕が何を言おうと、その内容についてはさして気にしていないらしい男は、トランクの中に確実に商品があるならばいいのだと、特に僕の話を聞いていないようだった。

 

「頭のいい先生の御託は、俺みたいな下っ端にはさっぱりだよ。その辺りはクインの兄貴に詳しく説明してくれ」

 

「そう、残念だな……。この子がどれほど世界を揺るがす存在なのか、その素晴らしさを説明したかったけど……まぁ、金になることは間違いない。なにせ、世界中の銀行の金が手に入るも同然なんだ」

 

 実際、ニアは世界中の銀行の金よりも、世界中の未解決事件を解くのが専門になるのだが、そのあたりは後々、仮にバレたところで問題はない。
 僕の頭があれば、いくらでも組織を乗っ取ることが出来る。無論、メロよりもよっぽどスマートな方法で、だ。
 一方、まだ僕の話が疑わしいのか、男は疑惑と興味半々といった様子でトランクを見つめた。

 

「本当に、ガキたった一人で、ねぇ」

 

「そんな子供だから、こんな特別な養護施設に居るんだよ。さて……早くクインのところに案内してもらっていいかな?」

 

「ああ、こっちだ」

 

 男に案内されるまま、トランクを引きずり外に出れば、外には食品運搬用のトラックに偽装された車が止まっていた。
 だが、可愛いのは表に描かれているウサギのキャラクターだけで、中身は様々な武器や通信機器を搭載した、武装トラックだった。
 その中に乗り込みながら、僕は純粋な感想を述べる。

 

「へぇ、こういう車があることは聞いたことがあったけど、実際に中は随分色々と積んでるだね」

 

「先生、俺達みたいなのに関わるのは初めてか?」

 

 走り出したトラックに身を揺られながら、僕はこの質問になんと答えたものかと首を傾げる。

 

「そういうわけじゃないんだけど、実際にこうして『こっち側』に関わるのは初めてなんだ」

 

 犯罪者を裁く側としては何度も関わってきたため、嘘ではない。
 そして、その犯罪者側に身を委ねることも実際に初めてなので、その点に関しても嘘ではない。
 と、僕の真相を知っている人間が聞いても嘘ではないと認めるしかない言葉を告げながら、僕は横にしたトランクに足を乗せた。

 

「まぁ、こんなにもいい商品を見つけてしまったら、ついつい悪い考えが出てきちゃったんだ」

 

「ふーん、まぁ、クインの兄貴も先生の重要性については俺達に散々言ってきたからな。子供だけ渡して殺す、なんてありきたりな展開にはならないから安心しろよ」

 

「それは良かった。正直、その辺りは少し賭けだったから」

 

 確認はしておいたが、フィルという男がメールでのやり取りで、あまりにも無能な姿を晒していたら、僕のこの方法は選ばなかったかもしれない。
 とはいえ、こういう奴等は相手が無能か有能かを見抜く頭がない場合もあるから、その点に関しては確かに賭けだった。

「賭け?」

 

 一方、僕の言葉の意味が分からないのか、男はそう首を傾げ聞いてくる。
 その姿を見ながら、僕はそっと、トラックのエンジン音に掻き消される外の音を聞き分けながら、答えを返す。

 

「まぁ、僕なら自分で交渉することも出来るけど。ああ、でも、もう一方の賭けは……期待してなかったけど負けだな」

 

「先生、さっきから何言って――」

 

 男が飽きもせずにまだ僕に問いかけようとしてきた時だった。
 僕らが乗っていたトラックが突然、何かにぶつかったかのように大きく揺れ、止まる。
 僕は外の様子から事前に予測していたため近くの支柱に捕まることができたが、全く想定外だった男はそのまま慣性に従い、体が大きく壁に叩きつけられる。
 その際、ニアが入っているトランクも同じ様に壁にぶつかったが、まぁ中に入っているのはあいつだからいいかと、僕は気にせずトラックのドアに視線を向ける。

 

「随分早かったな、L」

 

 こじ開けられたドアの向こうに居たのは、武装した特殊部隊といった様子の人間だった。
 彼らは僕等に拳銃を向けたままこちらを取り囲み、逃げる場をすぐに奪っていく。
 そんな中で、Lと繋がっているらしいパソコンが、僕の目の前に差し出された。

 

『最初にお伝えした通り、貴方との通信が出来なくなった時点で、色々なものが動く手筈になっていたので』

 

 明らかに不機嫌。というより、怒りを必死に堪えている様子のLだったが、僕は気にすることなく面白い話でもするように、Lの言葉に答えた。

 

「まさか、こんな映画に出てくる特殊部隊みたいな奴らまで用意してたとは驚いたよ。というか……銃を下ろさせてくれないか。あんまり銃にいい思い出が無いんだ」

 

『もう一度、貴方をのた打ち回らせてもいいんですよ?』

 

 それこそ、あなたが前回死んだ時のように、その体に三発ほど打ち込んでみせても。
 と、おそらく僕に抵抗の意思があると見れば、本当に容赦なく打ってくるだろう口調で、Lが告げてくる。

 

「止めろよ。あれ、ドラマや映画だと平然と見えるけど、本当に痛いんだからな……。外に見張りでも立てていれば問題ないだろ。あと、そのトランクの中に弛緩剤を打ったニアが居るから、早く病院にでも連れていけよ」

 

 とりあえずは僕は協力的な態度であるということに納得したのだろう。
 Lはとても不服だといった様子だったが、まずは僕から話を聞くことが最優先だと、仕方なしにため息を零しながら返事をした。

 

『……分かりました。ワタリ、ニアを回収して病院に。夜神月をこちらへ戻してください。ワイミーズハウスの滞在は終了です』

 

 どうやら、僕の楽しい旅行はこれで終了らしい。
 Lの指示通り回収されていくニアが入ったトランクを見送りながら、僕は堪えきれない笑いを浮かべながらLに声をかける。

 

「ああ、そうだ。ニアとメロに伝えてくれ。お前ら二人とも、僕を見抜けなかったから不合格だ。残念だったなって」

 

『……私は月くんに、ニアとメロと交流を深めてほしいと言ったはずですが』

 

「交流は深めただろう? 自分でも、良い『キラ先生』を演じたと思ってる。今回の事件が無かったら、良い先生のままで終わろうと思ったんだけど。あいつらがペラペラ自信を持って推理してる姿を見てたら、前回のことを思い出して苛立ってきた」

 

 僕がそう、ニアを巻き込んだ理由を告げれば、Lは本当に呆れたといった声色で聞き返してきた。

 

『月くん……貴方、そこまで子供でしたか?』

 

 たしかに私相手になるとかなり子供に戻りますが、まさかニアとメロに対してもなんて。と、ひどく驚いている様子のLに、僕は仕方がないだろうと語る。

 

「L、人間って一度死んだことがあると変わるみたいだ。今、かなり自分に素直になれていると思う」

 

『私もその点に関しては他人のことが言えないのでいいですが……。それで、どの段階で数学教師のフィルが犯人だと気付いたんですか』

 

 Lのその問いかけに、ようやく名探偵が推理を披露する時間だと、僕はワイミーズハウス誘拐事件の真相を話し始めることにした。

 

「一番最初に違和感を覚えたのは、フィルが僕の部屋の鍵を持ってくると言っていたのに、戻ってくる時、事務室の方向じゃなくて三階から下りてきた事だ」

 

 ワイミーズハウスに来た初日は、上の階にも事務室になるような場所が他にあるのかと思ってさして気にしていなかったが、しかし後々になって見取り図を見てみると、事務室になるような場所は全て一階にしかなかった。
 ということは、フィルが鍵を取りに行くというのは嘘で、何か別のことをしていたのは明白だった。
 何か別のこと。そう、例えば――誰も使うはずがないと思っていた部屋に隠しておいた、誘拐のための道具一式を別の部屋に隠しにいく。とか。

 

「そもそも、隠し棚の中にアンプルしか無いというのがおかしい。普通、薬と注射器は一緒に置くもので、それだけで保管なんてしておかないだろう? つまり、犯人は急いであの部屋から荷物を移動する必要があった」

 

 そして、急いで鍵を取りに行くふりをして荷物を移動させたが、残念ながら犯人は薬品だけを残してしまった。
 まったくもって素人のやらかす事だが、そんな素人だからこそ、このワイミーズハウスに職員として雇われることができたのだろう。
 しかし、犯人はあの特別な養護施設で、特別な子供を見つけてしまい、悪の道に走った。

 

『では、貴方は最初から犯人はフィルではないかと考えていたと?』

 

「最初は、そういえばくらいにしか思ってなかったけど、ニアとメロの犯人像に偶然にも一致してね」

 

 犯人はあそこがLの部屋だと知らず、まだこの施設に来たばかりの新人。
 アンプルを置き忘れてしまうような、プロではない素人の犯行。
 どちらもフィルに当てはまることが、Lから送られてきた教師のプロフィールで確認が出来た。

 

「フィルが数学教師なのはプロフィールを見なくても、あいつが雑談で『ミレニアム問題』を出してきた時点でなんとなく分かったよ。だから、一番最初にフィルのパソコンにハッキングした。そうしたら、クインって奴にワイミーズハウスにとんでもない子供が居る。彼は七百桁をクリアした。世界を揺るがす子供だ。ってことを興奮気味に説明するメールが出てきた」

 

『七百桁?』

 

「なんだ、L。世界を変えるような子供が居たのに、お前知らなかったのか」

 

 事件にしか興味がないのも考えものだなと、僕はLがあの子のことを把握していなかったことを嘲笑う。
 その僕の声にあからさまに苛立っている様子のLを堪能してから、僕はもったいぶるように口を開いた。

 

「素因数分解の桁のことだよ」

 

『…………RSA暗号ですね』

 

 僕のその一言で、すぐにその答えにたどり着くことができるのは、さすが世界の切り札だと、僕はLの答えに頷く。
 RSA暗号とは、情報通信技術において要となる暗号だ。
 インターネット通信はもちろん、銀行の暗証番号も、口座の残高も、全てこのRSA暗号によって暗号化され、保護されている。
 つまり、このRSA暗号とは決して解かれてはならないものだし、もしも安易に解かれてしまえば、世界中の情報通信を改竄できてしまう。
 そう、まさに、世界中の銀行に口座を作り、そこに莫大な金額があるという風に改竄することだって出来てしまう。
 それどころか、今は情報通信はまだまだ発展途上だが、将来的にはこの技術があらゆるものに使われ始めるだろうと言われている。否、そもそも、実際に使われることを数年後の未来を知っている僕は、理解していた。
 世界は、それこそ産業革命のごとく、今よりもさらに、情報通信が世界を支配していく。
 その全ての安全性を守るのが、RSA暗号だった。
 そして、そのRSA暗号の安全性を保証しているのが、素因数分解という中学生でも知っている方法だった。

 

『七百桁ですか……スパコンが何台あろうが、何年かかろうが、不可能な桁数ですね』

 

 Lの感慨深そうな声に、だからこそ数学教師のフィルも、その子供が世界を揺るがすと気付いたのだと笑う。
 素因数分解とは言ってしまえば、その数字がどんな素数をかけ合わせれば出来るのか、逆算する計算だ。
 そしてこの計算は、問題を作るのはとても簡単だが、解くのは非常に難しい。
 出題者側は、ただ適当に素数の表の中から好きな数字を選んで、それを掛け合わせるだけでいい。パソコンや計算機を使わずとも、人間でも数秒で終わる。
 しかし、それをいざ解くとなった時、人間がそうであるように、パソコンも組合せを一つ一つ試してみるしかない。そして、情報通信で使われるような六百桁を越える数は、Lの言う通り何台、何十台、何百台、何千台のスパコンを使用しても解くことが出来ない。
 誰も解くことが出来ない。だから安全。だから世界中で使用される。
 その前提を壊してしまうのが、己の頭だけで七百桁の素因数分解が出来てしまうという、世界の常識を変えてしまう天才の存在だった。

 

「まったく、ニアもメロも自意識過剰すぎる。誘拐されるのは、Lの後継者候補でワイミーズハウスでトップを競う自分達だって? はは、お前達なんかより、遥かに世界を揺るがす存在があのハウスには居たんだよ。ああ、このことも、二人に伝えておいてほしいかな」

 

『考えておきます。ですが、月くんはニアに筋弛緩剤を打って犯罪組織に渡すつもりだったようですが……』

 

「ああ、そんなの、本当にその子を使うなんて出来るわけないだろう。あの子が……オウルが本当に犯罪組織の手に渡ったら、この世の終わりだ」

 

 そう、オウル。
 あの、数字の羅列を書き続けている子供が、世界を揺るがす子供だった。
 一見すれば、ただ、数字を書いているだけの不思議な子供。だが、その子が解いているのは、莫大な桁数の素因数分解だった。
 正直、僕もまさかと思ったが、興味本位で僕が『六一〇八七三』と数字を伝えたところ、たった一瞬で『九五三』と『六四一』であると素因数分解をしてみせた。とはいっても、七百桁の素因数分解が出来るオウルにしてみれば、たった六桁など呼吸をする程度なのだろうが。

 

『そこまで分かっていて、どうしてフィルが犯人だと私に伝えなかったんですか?』

 

「僕がフィルに成り代わって、上手く今回の組織に入り込めれば、お前から逃げる手段になると思ったんだけど……まぁ、当然だけど、最初から期待してなかったからね。どちらかと言えば、今回の襲撃を足がかりに、かつてキラが潰した犯罪組織を今回も潰せればいいと思ったんだよ」

 

『それでしたら、フィルを泳がせるだけで十分だったかと思いますが』

 

「もしかしたら、万が一の確率で成功してたかもしれないだろう?」

 

 だから僕は賭けたわけだが、正直Lを相手に勝てるとは思っていなかった。
 なので、僕は本気じゃなかったと言い訳が立つように、オウルではなくこちらを完全に信頼して使いやすかったニアを誘拐した。
 まぁ、ニアを使ったのは、どちらかと言うとアイツの信頼していた相手に裏切られたという表情が見たかった。
 驕り高ぶったクソガキに痛い目を見せたかったという理由が強いけれど。
 その点で言えばメロも、今日の誘拐に使う道具が本来隠されていた部屋に呼び出して、それを取りに来た本物のフィルの足止めをしてもらうという役を担ってもらった。
 きっと真相を知ったら、あいつも自分が利用されたことに酷く激怒するだろう。
 そんな二人の姿を思い浮かべながら笑う僕に、本当に性格が悪いとLが呆れた様子で言う。

 

『月くんをワイミーズハウスに送ったのは間違いでした』

 

「なんだよ、L。ようやく気付いたのか? お前が飼いならそうとしている相手がどれだけ厄介で、反骨心のある奴なのか」

 

『はい。もう二度と、貴方に朝日を見せる気がない程度には理解しました』

 

「そんなの、最初から理解しておけよ」

 

 こんなに簡単に僕を自分の直接の管理下から離すなんて、まったくもって僕の脅威を理解していない。
 あと、僕をかつて自分が滞在していた部屋に置くことの脅威も、こいつは何も分かっていない。
 と、僕は胸ポケットからとある写真を取り出す。

 

「まぁ、今回の旅で、お前の過去が色々知れて面白かったよ。あと――お前の誕生日と年齢も知れたしな。お前、意外と年上だったんだな」

 

 僕はそう言いながら、Lが自分の部屋に作っていた隠し棚から回収した写真。
 かつてLが十歳の頃、ハロウィンの日にキルシュ・ワイミーと一緒に誕生日記念に撮ったであろう写真を見つめた。
 まったく今と変わらない、可愛くないLがケーキを頬張っている姿を指先で撫でていると、Lはとても驚いた様子で聞いてくる。

 

『あの金庫、開けられたんですか?』

 

 秘密主義のLが自分の過去の写真を隠していた場所なのだ、相当の自信があったのだろう。
 だが、それすらも僕にかかれば突破できると、Lの選択を嘲笑う。

 

「ああ、かなり難しかったけどね。でも、僕にパソコンを与えたのは間違いだったな。情報技術の進歩は目まぐるしいから、四十秒もかからずに解除できた」

 

『分かりました。月くんからはパソコンも没収します。永遠に紙の本を読んでいてください』

 

 あからさまに不貞腐れた声色のLに、キラの恐ろしさが分かったかと、僕はその日一番の笑い声を上げた。
 こうして、僕のワイミーズハウスでの教師生活は、たった四日で幕を閉じた。

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