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「​無敵!暴走!天才ベイビーL」

 捜査本部としてLがわざわざ建設したビルに移動してきて、早くも一ヶ月が経過しようとしていた。
 ふと窓の外に視線を向ければ、八月の末とはいえ、日差しがギラギラとアスファルトに照り付ける様が見えた。
 そんな外界とは別世界のような、快適な気温と湿度に保たれた室内で、僕はいつものようにパソコンと向き合ってキラ事件の捜査に勤しんでいた。

 

「月くん、今朝までにキラに裁かれた犯罪者のリストが出来た」

 

「ありがとうございます、模木さん」

 

「月くん、七月中に西日本で死亡した人の死因だけど、データをそちらに今から送るよ」

 

「はい、相沢さんもありがとうございます」

 

「月くん! ミサミサ宛てに差し入れで貰ったケーキなんだけど、月くんはどのケーキが食べたい?」

 

「松田さんが適当に選んでください」

 

 後でケーキを目の前に楽しげな鼻歌を歌う松田さんの気配を感じながら、僕は模木さんから受け取った資料に目を通し、小さく吐息をこぼした。
 あくまで捜査協力者(竜崎に言わせればキラの第一容疑者、だが)でしかない僕が、まるでキラ特捜部のリーダーのように振る舞うのは、本来のリーダーである竜崎のやる気というものがここ最近、まったくもって無くなってしまったからに他ならない。
 僕がキラだと信じていた。否、今でも信じている竜崎にとって、キラが真横に居るにも関わらず偽物のキラを追うのは、まったくもって馬鹿らしいと考えているようだ。
 なので仕方なく、ここ最近は僕がLの代理のように捜査の方針を決めて動いているのだが。
 しかし、現在のこの状況は、実はただ竜崎の『やる気がない』と言う理由だけでは無かったりするのだけれど。
 と、現状放置するしかないその問題に、無駄であると理解しつつも再び考えを向けそうになった時だった。

 

「月、この資料を見てくれないか」

 

「あぁ、うん。どうしたの、父さん」

 

 背後から聞こえた父さんの声に、気分を切り替えてキラ事件の捜査に没頭しようとした時だった

 

「あ、あう……ううぅ、ふぎゃあぁ――っ!」

 

 先ほどまでスヤスヤと寝息を立てていたはずの赤ん坊が、突然耳をつんざくほどの大声で泣き始めた。
 その声に僕はこれでも駄目なのかと頭を抱えながら、僕の席の真横に置いたベビーベッドで泣き叫ぶ赤ん坊を抱き上げる。

 

「あーはいはい。よしよし、どこにも行かないよ、竜崎」

 

 僕ができる精一杯の優しい声色と共に、抱き上げた赤ん坊の背中をさすってやる。
 すると、赤ん坊は僕があやし始めた途端に泣き叫ぶのを止めると、そのまま僕の顔をジッと見つめながら親指をしゃぶりはじめた。
 その姿に、親指をしゃぶる癖は赤ん坊になった今の方が違和感が無いな。と、竜崎――もとい、Lの頬を指先で突きながら、僕は疲労と共に天井を見上げた。

 

 キラ事件などという、直接手を下すことなく犯罪者を裁く殺人鬼を相手にしているせいだろうか。
 今まで生きてきた十八年の間で積み上げてきた常識だとか、科学的な見識だとか、そういったものを一度リセットして考えるという準備は出来ていた。
 けれど、それはあくまでもキラ事件に関してであって、まさか共に捜査をしている世界の切札『L』が乳児になるなんてことは、とてもじゃないが想定していなかった。

 

「竜崎が赤ん坊になって三日ほど経ったが……未だに慣れないな」

 

 僕が抱き上げている竜崎の顔を覗き込みながら、父さんが目頭を揉みながらそう呟く。
 父さんは未だに竜崎が赤ん坊になった事を受け止め切れていないらしい。が、朝目覚めたら手錠で繋がっているはずの相手がバブバブと胸元に上っていた上に、こうして竜崎を抱き上げてあやすのが日課になってしまった僕は、随分とこの光景に慣れてしまった。

 

「竜崎、本当に戻るんですかねぇ……」

 

 松田さんの不安そうな声色に、さすがに竜崎が戻らないという可能性は考えたくないなと、捜査本部一同の間で重い沈黙が流れる。
 一方、話題の中心である竜崎は、すっかり困り果てた僕等のことなど何一つ気にしていないらしい。
 僕が近くに戻ってきたことに納得したのか、早くベビーベッドに降ろしてオモチャで遊ばせろと小さな手足をばたばたと動かしながら要求してきた。
 大人の頃も乳児になっても空気なんて気にしない気楽な奴だ。と、竜崎をベビーベッドの上に戻しながら、僕は疲れ果てたとうなだれながら椅子に座り込む。

 

「竜崎がこうなったのは受け入れて捜査を進めるしかありませんけど。それにしても……もう少し、僕が離れても泣き叫ばなくなればいいんですが」

 

「本当に、寝てても月くんが離れると気付くからなぁ……」

 

 知育玩具で遊び始めた竜崎を不思議そうに見つめながら、相沢さんが僕にコーヒーを出してくれた。
 黒く苦いそれを味わうこともなく胃の中に流し込みながら、僕はこの疲労感の一番の原因である竜崎を忌々し気に見つめる。
 竜崎がただ乳児になっただけならば、竜崎の世話を一時的にワタリ等に任せて、竜崎不在でキラ事件の捜査を進めればいいだけで済んだ。
 事実、僕が竜崎と手錠で繋がってからというもの、竜崎はやる気が出ないと捜査らしい捜査をしていなかったので、不在であったところで大きな問題にはならなかっただろう。
 しかし、竜崎は僕が少しでも自分から離れると泣いて暴れた。
 それはもう、最新式のセンサーでも内臓されているのではないかと疑うくらい精密に、そして警報機として優秀過ぎるくらいの大音量で泣き叫んだ。

 

「小さくなっても、月くんのこと監視しているつもりなんですかねぇ」

 

「はは……あながち、間違いじゃないかもしれませんね」

 

 松田さんの言葉に頷きながら、僕はふと自分の手首に視線を向ける。
 今までは竜崎と繋がっていた手錠も、竜崎がこの状態では当然できるわけもなく、今の僕にはついていない。
 にも関わらず、僕の生活は相変わらず手錠で繋がっていた時と同じく竜崎と離れる暇が一切無かった。
 捜査や食事、トイレや風呂、就寝に至るまで、常に赤ん坊になった竜崎と一緒に居なければならないのは、か弱く小さな命に気を遣わなければならないこともあって、中々に集中力が必要になる。
 いくら普段から竜崎という人間がワガママ放題とはいえ、肉体が成人男性であった分、まだ以前の竜崎の方がマシだったと気づいたのは、この生活のおかげとも言うべきか。

 

「月、少し休んできたらどうだ」

 

 そんな疲労が顔に浮き出てしまったのだろうか。
 父さんは心配そうな顔で僕の傍に来ると、優しく肩を叩きながら労わりの言葉をかけてくれた。

 

「竜崎を側に置いておかなければならないが、少し寝るだけでも大分違うだろう」

 

「そうですよ月くん! 今、こんを詰めたところでキラをすぐに確保できるわけじゃないですし、細かい作業は僕たちに任せて休んでください」

 

 父さんの慈愛の目に、松田さん達の同情的な視線。
 正直、このまま休むのは少しだけ懸念点もあったが、溜まりに溜まった疲労感には抗えなかった。

 

「はい……それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」

 

 とはいえ、結局竜崎を連れて部屋に戻らなくてはいけないから、そこまで疲労を回復できるかは分からないが。まぁ、少し横になって目を閉じるだけでも十分に休息にはなるだろう。
 そんなことを考えながら僕が竜崎を抱き上げれば、竜崎は大人だった頃とあいも変わらず真っ黒に見開いた目で、僕のことをじっと見つめてきた。

 

 

 

「子育って、こんなに大変だったんだな……」

 竜崎を抱えながら自室に戻った僕は、自分と妹を育ててきた母さんに尊敬の念を抱きながら、どすんと崩れ落ちるようにベッドに腰をかけた。
 本当は竜崎をベビーベッドに寝かせてしまいたかったけれど、残念なことに竜崎は僕のシャツを掴んだまま絶対に離そうとはしなかった。

 

「本当に、お前ってやつは」

 

 散々僕を悩ませるのは大人だった頃も同じだが。それにしたって、赤ん坊になってもキラ容疑者を監視していたいのかと、竜崎の執着に呆れ果てる。
 とにかく、竜崎の意識を他に向けさせて自分はさっさと休んでしまおう。と、僕がベビーベッドの中に置かれていたぬいぐるみに手を伸ばした時だった。
 ふと胸元に感じる、温かく濡れた感覚に、まさかと視線を抱き抱えている竜崎に向ける。

 

「あむあむ、あぅ」

 

「お前なぁ……」

 

 僕の胸元のシャツをもぐもぐと食み続ける竜崎と、すっかり竜崎のヨダレでべっとり濡れてしまった布を交互に見ながら、僕はいい加減にしろと竜崎を引き剥がそうとする。
 何でも口に含んでみようとするのは赤ん坊の性質というものなので仕方がないのは理解している。が、だからといって疲労感が薄れるわけではない。
 赤ん坊特有のやわらかな頬を掴みながら服を引っ張れば、竜崎の小さな口との間にヨダレの糸が出来はしたものの、無事に引き離すことには成功した。
 そのまま竜崎をベビーベッドに入れた後、さっさと着替えてしまおうと僕が服を脱いだ瞬間だった。

 

「あーっ! あう、あうあう!」

 

 先ほどまで大人しかった竜崎が突然、ベビーベッドの柵を掴んで揺らしながら暴れはじめる。
 いっそ掴まり立ちも出来ないくらいの発達段階だったなら良かったものの、残念なことにハイハイも捕まり立ちも出来る竜崎は、これでもかと自分を抱き上げろと僕にアピールしてきた。

 

「竜崎、今着替えるから、もう少し待って……」

 

「あうっ、あ、うぎゃああああぁ!」

 

 ついに激しく泣き始めた竜崎に、僕は着替えを取りにいくことも出来ず、仕方なく上半身裸のまま竜崎を抱き上げる羽目になる。

 

「はぁ、まったく。突然どうしたんだよ」

 

 竜崎がいくら赤ん坊になったとはいえ、僕が近くに居る限り竜崎はとても静かな子供だった。
 大人の頃と変わらず、自分の興味があることだけに一直線。知育玩具を用意しておけば、基本的にはそれに夢中になって遊んでいる。おかげで、捜査本部の仕事場に連れていっても、僕が離れなければ仕事をする上ではそれほど面倒をかけない程度には静かなことが多かった。
 しかし、今日の竜崎はやけに泣き叫ぶなと、竜崎の頭を胸元にもってきた時だった。

 

「あむ」

 

 竜崎の声と共に聞こえてきた『ちゅう』という、何かを吸う音。
 そして、胸元――もっと正しく言うならば、自分の乳首に感じるくすぐったい感覚に、僕はすぐに竜崎が何をしているのか悟った。

 

「お、おい! 竜崎!」

 

 いくら竜崎が赤ん坊になったとはいえ、まさか乳首を吸われるとは思わず、慌てて竜崎を胸元から離す。
 が、一方の竜崎は突然吸っていた乳首を奪われたのがよほど気に喰わなかったらしい。
 竜崎は激怒といった様子で両腕を僕の方に伸ばしながら、ジタバタと全身全霊で暴れはじめた。

 

「ふぎゃああぁーーーッ! おぎゃあぁっ! ああ゛あ゛あ゛ぁ!!」

 

 今までに聞いたことにない泣き声に、この小さな身体の中にまだ爆音の余力を残していたのかと驚く。

 

「なっ、なんで僕の胸なんて吸いたがるんだよ……!」

 

 竜崎の食事はワタリの用意してくれる粉ミルクであり、つい三十分前にもゴクゴクと美味しそうに哺乳瓶から飲んだばかりだ。
 故にお腹が空いているわけでもなさそうな訳で。そもそも、男である僕の乳首を吸いたがる理由が分からない。いくら竜崎が懸命に吸ったところで、当然だが僕の乳首から母乳が出るわけがない。

 

「ああああぁっ! うぎゃあぁ! あああぅうぅ!」

 

 しかし、そんなのは重要な事ではないのだとでも言うように、竜崎は暴れるのを止めなかった。
 このままでは、何時まで経っても止まない竜崎の泣き声を聞きつけて、父さん達がやってくるかもしれない。
 何より、せっかく休息にと時間を得ることが出来たのに、眠ることが出来ない。
 だったらいっそ、ここで竜崎の要望を聞き入れてやった方が穏便に済むだろうか。という結論に至ってしまったのは、おそらく寝不足と疲労によって思考力が低下していたせいだろう。

 

「はぁ……本当に、仕方がないな、お前」

 

 部屋にちゃんと鍵をかけたことを確認してから、覚悟を決めて。もとい、諦めた僕は、竜崎が望むように、そっと竜崎の唇が僕の乳首を吸える位置までもってきてやる。
 すると、竜崎はすぐに泣き止んだかと思うと、何事も無かったように僕の乳首に小さな口を近づけ、ちゅうちゅうと心地よさそうに吸い始めた。
 その穏やかな顔といったら、己の胸を吸われているという事実を無視すれば、実に赤ん坊らしくて愛らしい姿に映った。

 

「母乳が出てるわけでもないのに、よくそんなに夢中になって吸えるな」

 

 竜崎のふっくらとした頬を指先で撫でるように突きながら、僕はベッドに座ってため息まじりにそう呟く。
 女性のものとは違って小さくて吸いにくいだろうに、それでも一生懸命にしがみついて吸い続ける姿は、なんとも健気だ。
 とはいえ、男の胸にしがみ付いて乳を吸っているという滑稽さはどうやっても拭えないが。

 

「……まぁ、普段の奇行が目立つ竜崎ほどじゃないから、いいか」

 

 おそらく僕と同年代か年上の男が、いつも見せている子供染みた行動と比べてしまえば、まだ赤ん坊の竜崎の方が外見年齢に合っていて可愛いと思える。
 それどころか、一生懸命、こちらに甘えて抱きついてくる竜崎を見ていると、この小さな命を大切にしなければならないという保護欲さえ抱く。
 こういう感情を父性と言うのかもしれないと、早くも子を持つ親の気持ちを理解してしまった事に、思わず苦笑いがこぼれた。
 普段の姿では思わず怒りたくなる時があるが、今なら大体のことが許せてしまいそうだ。
 だったら、互いの喧嘩を防ぐためにも、しばらく竜崎には赤ん坊の姿で居てもらってもいいかもしれない。なんて馬鹿らしい考えが、寝不足の頭に浮かんできてしまう。

 

「しばらくは、お前の父親代わりになってあげるよ。竜崎」

 

 

 しかし後日、捜査本部の皆の前でも乳首を吸いたいとぎゃん泣きでせがんできた竜崎に、僕はさっさと元の姿に戻ってくれと強く願うようになるのはまた別の話。

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