「獄中結婚」
僕が想像していたよりも『世界の切札』というのは大層な名前の割りに、暇を持て余す仕事らしい。
何せ、解決済みの事件の犯人に対して、ほとんど毎日のように面会を申し込むなんて、よほどの物好きかシリアルキラーマニアだ。
「おはようございます、月くん。昨日はよく眠れましたか?」
「お前も本当に飽きないな、L」
強化ガラスの向こう側。
透明な壁の向こう側で、特別待遇なのかロリポップを舐めながら、Lは僕にいつもの挨拶をしてきた。
僕がキラとして逮捕され、早数ヶ月。
デスノートなどという超常現象的な殺害方法を用いてきたキラの裁きについて、この国は隠蔽でも闇に葬るでもなく、正式な司法手続きとして裁判を行うという選択肢を選んだ。
それは、キラが散々に無碍にしてきた『司法国家』というものの体現であり、この国か、あるいは僕を捕まえたLのプライドのように思えた。
当然だが、殺した人数だけで言えばキラは極刑は免れない。しかし、デスノートという名前を書くだけで相手を殺せるという道具の存在は、キラの裁判を酷く難しいものにさせた。
殺意があり、死ぬと分かっていてノートに名前を書いたのだから殺人罪か。
では、どうやってデスノートによる死を証明するのか。誰かを生贄にするのか、それは倫理に反していないか。
様々な論争が日本のみならず世界を巻き込んで起こっているらしいが、塀の中に居る僕にはほとんど情報が入ってこない。
高知能な特殊犯罪者を他の容疑者と同じ房に収容するわけにもいかず、ただ一人の房で特別待遇を受けている僕には、数人の看守とL意外、誰かと会う機会もない。
特に、会話という点で言えば、僕がここ最近まともに会話をしたことがあるのは、目の前に居るLだけだった。
「月くん、今日は新しい服を差し入れしました。月くんの好みのブランドかは分かりませんが、貴方が捜査本部で好んで着ていたものと似たようなデザインです。きっと、気に入ると思います」
「何度も言うけど、服なら十分にあるし、ここはお前が差し入れるような高価な服を着るような場所じゃないよ。まったく、誰相手にファッションショーをしろっていうんだ」
「私が居ますので、ぜひ、私相手に披露してください」
つまりは、お前専用の着せ替え人形にでもなれという事なのか。と言おうとして、口を噤む。
あのLにそんな目的があるわけがないのは十分承知だ。無意味だし、理解が出来ない。
それよりもと、僕は腕を組みながら、パイプ椅子の背もたれに背中を預けて、Lを睨むように見つめた。
「お前、本当に何がしたいんだ?」
「何がしたい、とは」
「毎日のように僕に面会に来ては、他愛もない会話をして、次の差し入れは何がいいですか……って、どれだけ暇なんだよ」
「暇ではありません。こう見えても、現在複数の事件を同時進行で推理中です。月くんとの面会が終わったら、その内ひとつの犯人を捕まえる手筈を整えるよう、ICPOに進言する予定ですから。こう見えて、忙しいんですよ、私」
なので勘違いしないでくださいと、少々不機嫌気味なLの姿に、僕は余計理解が及ばないと首を振った。
「お前、そんなに僕と話したいなら、捜査員側で尋問でもなんでもすればいいじゃないか。そうすれば、二十四時間いつでも僕と話せる」
わざわざ、こうして他人として会いに来なくても。
お前には、世界の切札『L』には、その権利も権限も与えられているはずだ。
それなのに、あくまで面会という立場を選ぶLの思惑が分からないと、僕はLが面会に来るようになってからずっと考え続けているが、未だに答えに辿りつけない。
一方、僕の提案にLは興味無さそうに新しいロリポップを取り出すと、包装用のビニールをぺりぺりと剥がしながらぶっきらぼうに答えた。
「私が調べるべきことは、もう終わりました。あとは日本の検察、法務省の頑張りどころですので。あくまで私は警察の『捜査協力者』でしかない立場なので、引くべきところを弁えているだけです」
「じゃあ、同じ様に僕の面会に来ることも『引くべきところを弁えた』方がいいんじゃないのか?」
逮捕後、たった一回程度の面会ならばまだしも、何度も頻繁に通うなんて。
僕の言葉が気に障ったのか、Lは不機嫌そうな、あるいはどこか寂しさのような表情を滲ませた。
「なぜ、月くんに会いにくることを弁えるべきだと思うんですか」
「たしかに、僕とお前はこれまで何度も戦ってきたし、一時は手錠で繋がれて生活なんてものもしていた。だけど、それはあくまで『追う者』と『追われる者』の関係だ。でも、この面会はもっと私的なものというか……少なくとも、Lとキラがするものじゃないだろう」
僕が会いたいのは、キラを追う者のLであって、ただのお菓子を貪るだけの不審者じゃない。
これがもしも、僕を尋問する捜査員としてLが目の前に立つのなら、僕は全力でキラとしてLの追及に応じていただろう。
けれど、あとの立件は検察の役目だと、キラを追う者として僕の前に立とうとしないLと、僕が会う必要はない。
それでも僕が面会を拒絶せずに応じているのは、Lにまたどこか、あの時の高度な知能戦を繰り広げることが出来るかもしれないと期待しているせいなのだが。
けれど今のところ、Lがする話と言えば、何が欲しいとか、何か楽しいことはあったかとか、健康的な生活が送れているかだとか、そんな馬鹿みたいな話しばかりだった。
「では、月くんは、どういう関係の相手ならば、この面会に来るのが相応しいと考えているんですか?」
「そんなの……家族とか、恋人とか、そういうものじゃないのか」
世間一般的に考えて、と僕がその言葉を口にした瞬間だった。
待ち構えていたのか、誘導されてしまったのか。Lが僕が言い終わるタイミングと共に、ポケットの中から折りたたまれた一枚の紙を取り出し、それを僕の目の前で広げてみせた。
A3用紙に印刷された、実物は見たことは無かった、ドラマ等ではよく見たことのある紙――婚姻届に、何を考えているんだと、僕は驚愕の表情のままLを睨んだ。
「では、月くん。私と家族になってください。そうすれば、私は貴方に毎日のように会いに来るに相応しい存在になれるのでしょう?」
貴方が相応しい関係でなければ来ることを許さないと言うのならば、貴方が望む『相応しい関係』とやらになるまでです。
と、どこまでも真面目に、真剣な表情のまま言ってのけるLの姿に、僕は理解が及ばないと頭を抱えた。
「……日本では、同性婚は出来ないんだけど」
「役所に提出するつもりはありません。私と貴方が他人ではないという契約書、儀式の一種に過ぎません。互いに合意してこの紙に名前を記入することで、私達は他人ではないと互いに認め合う。それに、日本の行政の関わりは不要です」
だから、さあ。と、強化ガラス越しに突きつけられた婚姻届に、なんでLと獄中結婚なんてものをしないといけないんだと、頭を抱える。
ああ、けれど、何より頭を抱えたのは、僕に婚姻届を突きつけてくるLの様子が、どこか緊張を帯びた――まさにプロポーズをしている男の様子だったことだ。
「貴方の犯行動機から考えても、貴方は自身の家族に対して一種の神聖さを抱いている。つまりは家族愛の傾向が強いわけですが、月くんが家族至上主義であり、家族の行う事に寛大であり様々なことを許容するというならば、私もその枠に入れてください」
負けず嫌いはよく喋ると言うが、今のLがよく喋っているのは、負けず嫌いと言うよりはそう、緊張しているが故の反応だ。
とにかく言葉で理詰めを行って、反論の出来る道を塞いで、自分の欲求を通そうとする。あまりに幼稚で、恋愛経験なんてものが無いのだろうと一発で察しのつく行動。
「……私も、こんな経験は初めてなんです。いつも、事件を解決すれば犯人への興味も失せていました。貴方も、キラも同じになるはずだった……。それなのに、毎日、月くんの事が頭から離れません。貴方が今、ここでどのように生きているのか。どんな生活をしているのか。貴方の生活をカメラ越しに観察出来ないのが、手錠の先に貴方が居ないのが、とても物足りなく感じます」
「おい、L……」
「貴方の生活を気にかけ、貴方の生活が良くなるよう差し入れをすることが、なんの躊躇いもなく許容できる関係……それが、私のなりたい形です」
だからどうか、結婚してください。
なんて、本当に馬鹿げたプロポーズに、世界の切札も精神がバグることがあるんだなと、その稚拙な人間関係経験に憐れみを抱いた。
けれど。
「結婚は出来ないけど、でも……お前だったら、いいよ。僕の生活を気にかけても問題ない、特別な他人でも」
あのLの情緒を狂わせてやったというのは、珍しく、とても楽しい気分になったから。
そう僕が笑ってやれば、Lはどこか不満そうに婚姻届と僕の顔を交互に見た。
「……私の名前、知りたくないんですか?」
「どうせ、本名なんて書くつもりないだろう」
だからそんな、形だけの契約書なんて要らないよと言ったはずなのに。
面会が終わった後、Lからの差し入れだと言われ受け取った物の中にあったのは、エル・ローライトと書かれた婚姻届と、金色に光る婚約指輪だった。