「プレゼント」
キラ事件の捜査が難航して久しく、気付けば季節は冬を迎えていた。
無論、私達もただ日々を無駄に過ごしているわけではない。第三のキラの裁きの傾向は明らかに第一のキラとは異なり、言ってしまえば模倣犯のような輩であるのは間違いないのだ。その違いから第三のキラの正体を探っていってはいるが、残念なことに十二月を迎えても新しい進展などというものは見当たらない。
「皆さま、ケーキをご用意いたしました」
「わぁ、やっぱりクリスマスと言えばこれがないとダメですよね!」
だから、松田という刑事にしてはあまりにも緊張感が足りない男が、真っ白なクリスマスケーキを運んできたワタリに対して、ウキウキといった様子で反応するのも、今の停滞した捜査状況のことを思えば致し方ないと言っても良いだろう。
「もう、そんな日なんだな」
先ほどからずっとパソコンと睨めっこ状態だった夜神月は、モニターに表示された日付を見ながらそう小さく言葉を零した。
十二月二十四日、クリスマス・イブ。
日本ではこの後に控えている新年の方が重要なイベントではあるが、しかしクリスマスもそれに負けないほど日本に浸透している文化だ。
とはいえ、いくら世間がお祭り気分で浮かれていようと、この捜査本部に季節感などというものは求めてはいない。
そう、求めてはいないのだが、しかしデザートについては別だ。これは私のヤル気にも繋がると、私はさっそくワタリからケーキを受け取った。
「月くんも、休憩のついでにいかがですか。せっかくのクリスマス・イブですし」
「あぁ、そうだな。じゃあ、たまには頂こうかな」
竜崎曰く、せっかくのクリスマスだから。
と、甘いものが好きではない夜神月にしては珍しく、私の勧めに応じて、彼もケーキの皿を受け取った。
真っ白な生クリームと真っ赤なイチゴという、日本ではメジャーなクリスマスケーキは、私が食べ慣れているクリスマスプディングとはまた違った美味しさがある。
なんて、私がケーキの生クリームを堪能していれば、ケーキとクリスマスの陽気に当てられたのか、素面のはずの松田が上機嫌に夜神月に近寄ってきた。
「月くん、せっかく大学生になって初めてのクリスマスなのに、ここから出られないんじゃつまらないよね」
それは夜神月のことを気遣っているように見えて、実際のところは松田自身の心の内も含まれているのだろう。まったくもって緊張感のない男だと私がこっそり呆れている一方で、同じ様に気付いているはずの夜神月は、呆れなど一切滲ませない人好きのする笑顔を浮かべながら首を傾げた。
「いえ、キラを捕まえるためですから」
「そう? 彼女とイルミネーションを見に行きたかったりしない?」
「そういうのは、事件が解決したら行きますよ」
さすが月くんだなぁと感心している松田に、夜神月は相変わらず好青年の顔を張り付けたままだ。よくまぁ、その頭脳を持って松田の低俗な話に笑顔で付き合えるものだと、彼の社交性の高さに改めて感心を抱く。
とはいえ、松田と夜神月の話をこのまま聞いているだけというのも、何故だかどうにも面白くないと感じてしまった。なので私は自分の不快感を拭うように、砂糖細工のサンタクロースの頭部を齧りながら、夜神月に声をかけた。
「月くん。イルミネーションをご所望でしたら遠慮せず言ってください。寝室を飾り付けておくようにワタリに伝えるので」
「……お前がそう言うと、本気なのかどうなのか分からないな」
先ほど松田に向けていた仮面のような笑顔とは異なり、呆れが滲んだ表情に、なんとも言えない快感を感じる。
別に、夜神月に呆れられるのが好きという訳ではないのだが、この好青年気取りの男が、私の言葉にはその仮面を崩す様が、なんと言っても面白い。
まるでキラを追い詰めているような、キラの仮面を剥ぎ取るような気分になれて、気分が良かった。
「分かってないですねぇ、竜崎。イルミネーションは、恋人と見るから意味があるんですよ」
しかし、私が夜神月の表情を堪能する前に、まったくもって煩わしいことに松田が口を挟んでくる。
夜神月の意識が松田に戻ってしまったせいで、再びその顔に好青年の仮面が張り付いてしまった事に恨めしさを感じている一方、松田は聞いてもいないのに、さも博識であるかのように自身のイルミネーション論を語り始めた。
「結局、イルミネーションなんてただの背景で、一番重要なのは、寒いというのを利用していかに彼女とイチャイチャできるかだと思うんですよ。ねぇ、月くん」
「あははは、まぁ、実際のところそうなのかもしれませんね。と言っても、僕もクリスマスにデートの経験がないので、よく分からないんですけど」
「え?! 月くんなのに?!」
いったい何が『月くんなのに』なのか、松田の言葉はいつも突拍子ではあるが、しかし今の発言は背後で書類の整理をしていた模木や父親でもある夜神総一郎にとっても衝撃的だったらしい。
かすかにコチラの会話に耳をそば立てるのを感じながら、私はそうなんですかと夜神月に視線を向ける。
「女の子と一緒にどうこう、ってやると色々と面倒なので。基本的には家族と過ごすようにしているんです」
「はぁ……なるほど。月くんくらいモテると、むしろ大変なんだなぁ……」
世の中は難しい。とでも言いたげな松田の表情に、夜神月は苦笑を浮かべてそうですねと相槌を打つ。
しかし、複数人の女性と交際をしていた夜神月が、高校までは大人しく恋人も作らないでいたというのは、なんとも怪しい。やはり大学入学後の交際関係は、第二のキラである弥海砂との関係をカモフラージュするためだったのだろうと私が考えていると、夜神月がこっそりと私の方を睨んだ。
「なんだよ……別に、僕がクリスマスをどう過ごしてたっていいだろう」
私はまだ何も言っていないのだが、どこか拗ねたような、不満そうな声色の夜神月に、私は何を怒っているのかとわざとらしく首をかしげる。
「いえ、月くんは随分と潔癖……いえ、純粋な青春時代を過ごしていたんだなと思っただけですよ。この純粋な様子だと、サンタクロースの存在も長く信じていましたか?」
そう、私は分かりやすく彼を煽ったのだが、私の想像に反して夜神月の反応は、怒りや呆れではなく羞恥だった。
「な、なんでそういう発想になるんだよ!」
耳まで真っ赤に染め上げた夜神月の姿に、この反応は予想外だと、嗜虐心のようなものが顔を出す。
「いえ、あの月くんがいつまでサンタを信じていたのか気になりまして。というわけで夜神さん、ご存知ありませんか」
こういう時に、同じ捜査本部に父親がいると言うのは便利だ。と、いくらなんでもその方法は卑怯だろうと異議を申し立ててくる夜神月を無視して、私はどうなんですかと夜神総一郎に近づく。
そうすれば、家族想いの男である彼は、少しばかり困ったような表情をしながらも、律儀にへ私の問いかけについて考えてくれたらしい。
「あぁ……そうだな、五歳の頃に、サンタについての捜査資料だと言って、私がサンタである証拠をまとめたノートを渡してきた事があったから。その頃だろう」
実の父親から語られるエピソードに、最初に吹き出したのは松田ではなく普段から表情を変えない模木だった。
よほど真顔で息子のことを語っている総一郎が面白かったのか、あるいはサンタはいない証拠をまとめたという夜神月の幼いながらに真面目な性格が面白かったのか。必死に笑いを堪えている模木の姿につられて、松田も同じように笑いを吹き出した。
「さすが月くん、小さい頃から真面目だったんですね」
そう、松田の言葉は夜神月の事を誉めてはいたが、その声色には微笑ましさと言うべきか、まだ成人を迎えていない子供に向ける大人の余裕のようなものを感じた。
そんな視線に晒されるなど、プライドの高い夜神月には耐えがたかったのだろう。まだほとんど手を付けていないケーキを退けて、夜神月は酷く恥ずかしそうに頬を染めながら立ち上がった。
「もう、今日は部屋に戻ります……行くぞ、竜崎」
「月くん、私まだケーキを食べ終えていないんですが」
「部屋まで持っていけばいいだろう……! ほら、行くぞ!」
手錠の鎖を犬の鎖のように引きながら自室へと向かう夜神月に、仕方ないと私は最後に残しておいたイチゴだけ口の中に放り込み、その後へ続く。
生温かい視線を背後に感じながらモニター室を出れば、いよいよ夜神月は不機嫌そうに鎖の長さも気にせずに歩き出した。
「月くん、何をそんなに怒っているんですか?」
「何って……! お前のせいだろう。父さんにあんなこと聞いて……」
「私は、月くんがちゃんと証拠を揃えてサンタクロースがイコール父親であると推理を披露したと聞いて、さすがだと思いました。私もきっと、同じことをしていたと思います」
模木や松田といった面々は夜神月のその行動を真面目が行きすぎた子供だと評価していたが、私は五歳程度の子供が証拠がいかに大切か理解していたという点において、さすがは夜神月だと感心を抱いた。それだけこの男は、理論的な推理とは何かという事を幼い頃からよく理解していたのだろう。
しかし、私の言葉に夜神月はまだ不満、というより疑いを抱いているようで、深いため息を零しながら私を睨んだ。
「したと思うって……でも、お前はああいう事、してないんだろう」
「はい、サンタクロースを信じる機会が無かったもので」
その一言は、キラ容疑者である夜神月に私の出生について教えてしまうことになると分かっていたが、しかし私が孤児であった事くらいは伝えても問題はないだろうと、私はさして気にせずに言葉を口にした。
しかし、恵まれた子供であった夜神月は、とても驚いたように目を見開くと、すぐに申し訳なさそうな顔をして目尻を下げた。
「ごめん、竜崎……悪いことを聞いた」
本当に申し訳ない。という彼の表情を見るからに、彼が今までの人生をどのような環境で過ごしてきたのかがよく想像できた。
ワイミーズハウス出身の私にとっては、私よりも悲惨な状況で孤児となった子供を何人も知っているため、自分の境遇に特別どうこう思ったことはないのだが、しかし日本の裕福な家庭で育った夜神月の周囲には、きっと片親の子供でさえ居なかったのだろう。
まったくもって、裕福で純粋な子供。というキラの人物像によく当てはまる人間だと思いながら、私は気にしないでくださいと言葉を続ける。
「別に、聞かれて困ることではありません。それに、サンタの存在を信じるか否かより、プレゼントそのものがクリスマスには重要ですので。その点に関しては、私は地球上の多くの人間よりも恵まれていましたから」
実際、私が初めてワタリにクリスマスプレゼントとしてねだったのは、大学の研究室でさえ導入するのを金額的に躊躇うようなスパコンだった。無論、最終的にはそのスパコンを使用したマネーゲームで、そのスパコンが百台は買えるほどの金額を稼いだのだから問題ないのだが。
「たしかに、サンタの正体が親だって知ってても、朝起きたら枕元にプレゼントがあるのは嬉しいものだからね」
「そうですか……。では、この捜査本部から解放できないお詫びに、今年は私がプレゼントを用意しておきましょうか? 時計でも指輪でも、欲しいものがあれば言ってください」
それは実際のところ、ただの思いつきに過ぎなかったのだが、しかしふと夜神月が私の渡した時計を付けている様を思い浮かべると、とても気分が良くなった。
この青年にはいったいどんな時計が似合うだろうか。既に彼が付けている高級品の時計を見ながら、私ならもっといい物を贈ることが出来ると、頭の中で夜神月を自分好みに飾り立てる。
しかし、夜神月は私の視線に気付いたのか、時計を隠すように手で覆いながら、私から逃げるように体を捻らせた。
「い……いいよ、別にそういうのは」
「いえ、どうぞ、遠慮なさらず。私こう見えて、けっこうなんでも手に入れることが出来ますので」
いっそ、今身に着けているものを全て剝ぎ取って、一から私の好みに着飾ってみたい。
モデルのパトロンとはこういう気持ちなのかもしれないと、また一つ新たな感覚に目覚めかけた私に、夜神月は深くため息をつきながら部屋のドアを開けた。
「じゃあ、竜崎にしか頼めないプレゼントでもねだろうかな」
「私にしか、ですか」
「そう。竜崎にしか……Lにしか、頼めないプレゼント。キラ事件の進展、がいいかな」
こんなプレゼント、お前にしかお願いできないだろうと首を傾げてみせる夜神月。
その挑発的な笑みに、つまりは私にもっと第三のキラに対してやる気を出せというお説教かと理解して、ため息をつく。
「私が聞きたかったのはそういう事ではないんですが」
「なんだよ、さっき自分で言ったじゃないか。なんでも手に入れられるって」
それはたしかにそうだが、しかし私の中では既に夜神月がキラであった為、そのやる気を引き出すのはかなり難しい。
だが、用意が出来ぬものをあえて持ってこいと言って男を翻弄するかぐや姫気取りなのか。夜神月は苦い表情をする私を見て、気分がいいと肩を揺らして笑った。
「僕が寝ている間に、頑張って調査してくれよ」
「人を不眠不休で働かせるとは、月くんも中々に悪どい人間ですね」
「普段、散々やる気がないって遊んでる奴がよく言うよ。それにお前、そもそも寝ないだろう」
だから問題ないはずだと首を傾げる姿に、この子供をどうにか困らせてやりたいと、自分の中の幼稚な感情が疼いてくる。
「では私も、月くんにしか用意できないプレゼントが欲しいです」
「お前ならともかく、僕にしかって、どういう意味だ?」
「はい。私が欲しいのは、キラです」
つまりは、お前のキラとしての自白だ。という意図が分かったのだろう。
夜神月はあからさまに不機嫌な表情になると、大きくため息を吐きながらベッドに座り込んだ。
「お前、まだ僕がキラだって諦めてないのか」
「当然です」
「まったく……僕はキラじゃないから無理だよ。本物のキラを捕まえるにしても、たった一晩でなんて出来るわけがないし」
「簡単じゃないですか。月くんは首にリボンでも巻いて、私の隣で眠るだけで十分ですよ」
「止めろよ。そのやり方だと、キラとして僕を捕まえるっていうより、僕そのものがお前へのプレゼントみたいになるじゃないか」
まったく寒気がする。と、わざとらしく腕をさすってみせる夜神月に、私はふとリボンをつけた彼が、起きた時枕元に居る姿を思い浮かべる。
ただでさえ作り物のような美しさを持っている夜神月だ。もしも眠って動かない中、その首にラッピングのリボンが巻かれていれば、人形のように思えるのかもしれない。
「それは、いいですね……」
そこまで想像してみて、私は自分がひどく興奮していることに気付いてしまった。
「は、はぁ? 何言ってるんだよ、お前」
「いえ、月くんそのものが私へのプレゼントというのは、とても素晴らしいなと思いました。どうでしょう月くん、本当にリボンを付けてみる気は――」
すぐに用意しますので、という私の提案を拒絶するように飛んできた枕が、私の頭に命中する。
「そういう、バカなことばっかり言ってる奴のところに、サンタさんが来るわけないだろう」
もう付き合ってられない。と、私に背を向けた夜神月に、私はすぐに『月くん、サンタクロースのことをさん付けで呼ぶなんて、まだまだ子供染みてて可愛いですね』と煽りながら枕を投げ返した。
そのまま始まってしまったいつもの喧嘩に、結局クリスマスのことは有耶無耶になってしまった。
だが、それでも諦めきれなかった私が、夜神月が寝ている隙に、彼の首にリボンを巻いてプレゼントの演出をしたのは、また別の話だ。