「2012.11.5 in L.A.」
ロサンゼルスのホテルの一室にて、キラの動向を追うために付けていたテレビが、日付をまたいだ事を告げた。
それは、ここ数日、メロが動かしているマフィアの本拠地を監視するため、監視カメラを仕掛けたり尾行のために交代で徹夜している捜査本部の面々にとっては日常だった。
いつもであればその時間を見て、そろそろメロのアジトの監視を交代する時間かと連絡を取り出す、そんな頃。
しかし、その日だけは、少しだけ特別な空気が流れた。
「今日で、五年目、ですね」
ずっと、テレビに視線を向けていた。
否、おそらく今日という日が来たことを確認するために、テレビの時間を見つめていた松田さんが、そう呟いた。
その言葉に、他の作業をしていた捜査本部のメンバー、そして父さんも、皆が動きを止める。
何が五年目なのか。
それはこの日、主語を付けずとも、この捜査本部の人間であれば誰もが理解できた。
「竜崎とワタリが死んでから、もうそんなに経つんですね」
時間の流れは早いものだと苦笑いを零す松田さんに、珍しく相沢さんがなんの言葉も挟まずに、そうだなと同意する。
11月5日。
五年前、この捜査本部の指揮を取っていた、とある男が死んだ。
世界の切り札『L』と呼ばれていたその男は、デスノートという、キラを追うために最も有力であるはずの証拠を手に入れた直後、まるで死神に魅入られたでもしたかのように、突然命を落した。
実際、あいつは死神よって殺され、その死神もとある人間を救うためにLを殺したせいで砂となり死んだのだが、その事実を知るのはこの場では僕だけだ。
だから、僕も皆と同じ様に、かつての仲間が死んだことを憂う表情を浮かべ、この場に流れる空気に同調した。
「今年こそは、いい報告がしたかったんだがな」
相沢さんがふと零した言葉に、その場に居た皆が同意する。それもそうだろう。
ここ数年、Lが死んでからというもの、キラ事件の捜査方針を穏便にすると決めたせいで、キラと捜査本部の戦いはイタチごっこの連続だった。故に、ついに『キラ』の尻尾を掴んだなどという報告をLの墓前で出来たことは一度もない。
無論、その全てのつり合いを取っているのは『L』であり、そして『キラ』である僕なのだから、当然と言えば当然のことなのだけれど。
そんな、茶番劇が行われているとも知らぬ捜査本部の面々は、律儀にも毎年、今年も満足な報告が出来なかったと、Lの命日に墓参りを行っていた。
そして、Lの後継者であり、現在の『L』である僕もまた、捜査本部の皆と一緒に、毎年毎年、己が死ぬように導いたあいつの墓参りに参加していた。
「たしかに今年は、まだキラを捕まえたと報告することはできません。それどころか、墓前に花を供えることも、ここじゃ出来ませんけど……。でも、今までと今年は大きく違う。キラはこうして捜査本部にデスノートを託してきた。今まで影を掴むことさえ出来なかったキラが、こちらへ接触してきたんです。そこからキラの糸口を掴む方法はいくらでもある。来年こそ、竜崎に報告しましょう。無事に、キラを捕まえることが出来たと」
僕がそう、今後のメロのアジトに突撃するためにも、指揮を高める言葉を口にした時。
父さんや相沢さん、そして松田さんまでもが、僕を気遣うような、どこか複雑な笑顔を浮かべながら僕の言葉に頷いた。
「ああ、そうだな、月くん。必ず、竜崎の仇を討とう」
そう、力強い決意が込められた瞳で、相沢さんが僕の肩を掴む。
しかしそれは、相沢さん自身がキラを捕まえたいという意思もあるのだろうが、竜崎の仇という部分に関しては、僕へ気を使ったような言葉に聞こえた。
その、毎年のこととはいえ、うんざりするような憐憫に、正直言ってあいつを殺した張本人である僕は、内心苦笑しか抱けない。
だが、僕が今まで演じてきた夜神月は、そして亡くなったLの意思を継いだ新たな『L』ということになっている僕は、その憐憫を受け止めているように演じなければならなかった。
「月、お前はもう、自分のホテルに戻りなさい」
その時、父さんの声が聞こえて、僕は何を言っているのかと首を振る。
「これから、ようやくメロを追い詰めるところなんだ。休んでなんかいられないよ、父さん」
「でも、月くん、ここのところずっと徹夜続きだろう?」
僕の言葉に、松田さんもまた、僕を心配そうな眼差しで見つめてくる。
たしかに、松田さんの言う通りにここ最近は徹夜も多い。だが、それは他の捜査員も同じで、皆ここの捜査本部として使用しているホテルの一室で、ソファで仮眠を繰り返すなどして休息を取っている。
それなのに僕だけに勧められた休息に、腹が立つような気もした。
だが、今日という日だけは、何年経っても僕だけが特別扱いをされる日だった。
それは僕が『L』として捜査本部の指揮を取るという責務を負うことになったからなのか、あるいは記憶を失った頃の僕がLと友情なんてものを育んでいるように見えたからなのか。
「月、大丈夫だ。休みなさい」
父さんの言葉に、今日が竜崎の命日だからこそ、竜崎を殺したキラを捕まえるために休むなんてことは出来ないと反論することも出来ただろう。
しかし、連日の徹夜に僕もさすがに疲れていたのだろうか。
これと言って反論をする気力が沸かず、なによりこのまま捜査本部に居続けたら、皆から向けられる憐憫が煩わしくなるだろうと、僕は分かったよとジャケットを手に取り立ち上がった。
「……ごめん、父さん」
「謝ることはない、月」
お前が居なければ、この先のキラ捜査は進んでいけないのだから。
僕はそんな父さんの信頼のような眼差しを受けながら、一人で捜査本部のホテルから抜け出した。
ロサンゼルスの真夜中というのは、あの日の東京と比べれば随分と温かった。
しかし、だからと言って少し散歩をするには、ここの治安は良いとは言えない。
無論、僕も警察庁に入庁する際にいくつかの武術を学んだ。犯罪に巻き込まれた時の対処など容易い、体力も知識もある。
だが、そもそもこんな時間にホテル以外の場所に行く気にもなれず。否、たとえ陽気な昼下がりであっても、きっと僕の感情も選択も同じだっただろう。
僕は自分が宿泊しているホテルまでタクシーで向かうと、そのままフロントの従業員への挨拶もそこそこに、自分の部屋に戻ってきた。
「ミサは今日も居ない、な……」
僕の恋人として一緒のホテルに宿泊している彼女の姿が見えないことに、どこか安心感を覚える。
ミサには現在撮影を進めているハリウッド映画を降板しろと伝えてあるので、おそらくその調整で色々と忙しいのだろう。ここ最近、いつも頻繁に送られてきたメールの件数が少ない。が、僕にとってはむしろありがたい話だ。
実際こうして、酷く疲れた時に、彼女の相手をしなくて済む。
「……何か飲むか」
すぐにシャワーを浴びて眠る気にもなれず、僕はケトルでお湯を沸かして、一人分の紅茶を入れる。
それをテーブルに置いた後、僕はスーツに皺が付くだろうと分かっていながら、そのままの姿でソファに深く腰を下ろした。
「…………」
誰も居ない部屋。
都会の雑音を消し去る程度には防音が整っているホテルの一室。
そんな静かな場所で、僕はいつものように、角砂糖を一つ紅茶の中に落した。
「月くんは、よくその砂糖の数で足りますね」
ふいに聞こえてきた声に、僕はまた、あの幻影を見ているのかと、いつの間にか目の前のソファでケーキを頬張っている人間――Lに視線を向けた。
死人のような生気のない白い肌に、ぎょろぎょろと観察をする黒い瞳に、メイクでもしているのかと思うほど濃く刻まれた隈。
五年前。僕が捜査本部で共にキラ事件を追っていた頃と、その死体を抱きしめた時と何一つ変わらない姿が、目の前にあった。
「……また、お前か」
あの日から時間が進んでいないLの姿を見つめながら、僕はまた自分が幻影を見ているのかと、ソファにもたれかかり紅茶を啜った。
Lは、僕が死神を使って死に追いやった。
僕が今回、キラとして捜査本部に渡したノートには、今はもうそのページは切り離したが、レムによって書かれたLの本名が載っていた。
だからこうして僕の目の前に居るのは本物のLではなく、僕が毎年のLの命日に見る、Lの幻影だ。
「貴方も、よく飽きもせずに、私の姿を見ますね」
Lはそう、フォークでケーキを切り分けながら、呆れとも嘲笑とも言えない、単純なる事実を確認するような口調で言った。
その姿は僕の記憶を頼りに作られているようで、つまりは僅かな癖まで含めて、完全にかつてのLを忠実に再現していた。
Lの幻影を見るようになったのは、いったい何時からだろうか。
Lを殺してすぐ、あまりにも自分の思い通りになる捜査本部の面々に、温過ぎると退屈すら感じていた頃だろうか。
僕が今回のように、捜査本部の皆に気を使われて一人になるような時、決まってLの幻影は僕の前に現れる。
そして今年も、こんな日本とは遠いアメリカの地でも、Lの幻影は僕を追って現れた。
「私の後継者達はどうですか」
「……まったく、厄介なことこの上ないよ。ニアもメロも、早くお前のように殺してやりたい」
幻影のLに向かって、僕はキラであることを隠さない。
当然だ、Lはきっと最期の瞬間に、死にゆく己に向けられた笑顔に、僕がキラであると確信しただろう。
だから今更、僕はLの幻影に対して己がキラであることを隠さないし、そもそも幻影というのは実際のところ僕の自問自答でしかない。
そして、いくら幻影とはいえ、Lは僕の都合のいいようには動いてはくれるわけではない。
僕が忌々しいと言った言葉に、それはとても嬉しいと、Lはケーキのイチゴを頬張りながら笑みを浮かべた。
「ニアとメロが、無事貴方を追い詰めているようで何よりです」
「勝手に言ってろ。これからの作戦が成功すれば、少なくともメロの命は奪うことが出来る」
「ええ、あえてノートを捜査本部に所有させるという発想には驚きました。そこから死神の目の取引をさせて、メロの名前を知る。実に面白い作戦です、月くん」
僕が今回の為に考えた策について、Lはそう感心したといった様子で言葉を繰り返す。
だが同時に、僕の都合よく動いてくれない幻影は、かつてのように、僕が触れてほしくないと願う部分を指摘してくる。
「難点は、夜神さんが死神の目を取引してしまうことですね」
それが貴方にとって一番の誤算でしょうと告げてくるLに、僕は思わず紅茶の入ったティーカップを荒々しくテーブルに起き、目の前で二つ目のケーキに口を付け始めたLを睨んだ。
「父さんは、自分がデスノートをメロに渡してしまった事や粧裕を巻き込んでしまった事を悔いていた。その気持ちを少しでも晴らせるなら……現状としても僕が止めることは出来ない」
「……それが、貴方の本心ですか?」
目の前のLが、幻影が、亡霊が、僕をじっと見据える。
相も変わらず、僕のことをキラだと疑っている瞳で――否、僕が見ている幻影のLは、僕がキラであることを知っている。なにせ、己を殺したのは僕だと知っているのだから。
だからLのこの視線はそう、まるで、僕のことを「嘘つき」だと責めているような、そんな色をしていた。
「月くん」
幻影が、僕の名前を呼ぶ。
「貴方に、父親が……夜神総一郎が殺せるんですか?」
今度はもう、私の時のように、誰かが代わりに殺してなどくれませんよ。
その言葉を聞いた瞬間、僕は飲みかけの紅茶が絨毯に零れる事も気にせず、立ち上がり目の前の幻影を睨みつけた。
「殺せるさ、殺せるに決まってるだろう! 僕は、最初から、新世界の神になると決めた時から家族だって殺すつもりで神になった!」
それが今更躊躇うなど、これほど世界にキラの思想が浸透している中で諦めるなどありえないと、僕はLに向かって声を荒げた。
父さんが死神の目の取引を申し出るのは想定外だった。死神の目の取引をするだけで父さんの寿命は半分になるのに、もしも突入の際にメロをデスノートで殺す事になれば、父さんは13日ルールという嘘のルールによって死ぬ。
あの人は、潔癖だ。真面目過ぎる人だ。
だからもしもデスノートを使って、やっぱり父さんには生きていてほしいとマフィアの写真と名前を伝えたところで、そんな事をしてまで生き延びたくはない。それでは我々が追っているキラと同じになると、新たにノートに名前を書くことはないだろう。
それはつまり、僕自身の無罪を証明している13日ルールを維持するために、父さんの名前を僕の手でデスノートに書かなければ、ニアやメロどころか捜査本部の全員にも、あのルールが嘘だったと知られてしまう。
だから、僕はいざとなれば自分の手で、父さんの名前をデスノートに書かなければならない。
「いいか、L。たしかに僕は夜神総一郎の息子の夜神月で、父さんは僕の尊敬する人だった。父さんに憧れて警察を目指していたし、あの人のような真面目な人間が損をしない世界を願った。だけど、その前に僕は『キラ』なんだよ。全ての戦争を無くし、犯罪発生率を七割減少させた、この世界に求められている新たな秩序。新世界の神だ! その僕が、たとえ肉親相手といえ、止まるわけがないだろう。僕は絶対にお前の後継者であるニアもメロも殺して、キラをこの世界の正義にする!」
そして、世界はもう、キラに傾いている。
この流れを変えることなど、僕自身がするわけがない。
そう、本当は誰も居ない部屋で、自問自答のように、どうしようもない感情の発露のように叫ぶ。吼える。慟哭する。
誰も居ないこの部屋であれば、外の喧噪さえ掻き消してくれる防音の壁の内側であれば、己だけに見えるLの幻影の前であれば、僕は全てを『キラ』のために必要な事だと肯定できる。
そんな僕の姿を見ながら、己の命日に現れる幻影は、どこまでも悲し気な表情で告げてくる。
「月くん、貴方はきっと、全てキラのためなら殺せるんでしょう」
ああ、そうだよL。
僕は全てキラによる新世界のためなら殺せるし、そして知っているんだ。
お前の命日に、ニアやメロと戦う度に、お前のことを思い出す己が居ることを僕は知っている。
キラの勝利のために、この世界で唯一僕と対等で、キラとしての記憶が無い頃に、友情とも何とも分からない感情を育んでしまったお前を殺した僕は、全部知っている。
未だにお前の幻影を見てしまうほど、お前に囚われている僕は、全て。
「尊敬する父さんを殺す覚悟ができている僕が、大嫌いなお前を殺したことを後悔なんて、するわけないだろう」
僕はそう、五年前の今日、抱きしめた死体の感覚を未だに忘れらない自分を否定するように、幻影の首に手を伸ばす。
あの時は、レムにLのことを殺させた。
そうでなくては、この人間を殺せなかったから。
けれど僕は可能だったならば、こうして実際にLの首を締めて殺すことだって出来たはずだ。
「無理ですよ、月くん。殺せません」
それは、己は僕が見ているただの幻影だから殺せないという意味なのか、あるいはこんな幻影を見続けている僕が己の手で私を殺せたはずがないという意味なのか。
どれだけ首を締めても顔色ひとつ変えないLは、まるでこちらを労わるように、僕の頬を優しく撫でた。
「また、次の私の命日に会いましょう」
その時はもしかしたら、夜神さんのお姿も一緒にあるかもしれませんね。
そう、僕を嘲笑うというにはあまりにも悲しそうな声色で、きっと僕が死ぬ間際まで見えるだろう幻影は囁いた。