「攻防戦」
ホテルの重厚なドアを開けた瞬間見えた光景に、これは一体どういうことかと、僕は頭を抱えた。
「この部屋、ツインのはず……だよな」
フロントで鍵を受け取った際に説明された言葉を思い出しながら、僕はその部屋にあるベッドの配置をじっくりと見る。
ツインと言うのは通常、ベッドが別々にある状態のことだ。そんなの小学生だってわかっている。しかし僕の目の前にあるベッドは、確かに二つあり、それぞれ独立したベッドではあったが、ベッドとベッドの間が一切空いていない。ほぼダブルと言っていい状態だった。
狭そうなビジネスホテルだと言う事は理解していたが、こんな実質ダブルベットにせざるを得ないような配置で、よくもまぁツインだと言ったものだ。と、竜崎に同意を求めるように視線を向ければ、あちらはさほど驚いているような様子はなく、冷静に現状分析していた。
「まぁ、ベッドが二つであるのは間違いありませんし、ベッドとベッドの距離が何センチ以上離れていなければならないという定義もありませんから、ツインであることには間違いありませんね」
「だとしても、これは詐欺だろう……」
せめて己の力でベッドを離すことはできないかと左右の壁を見てみるが、部屋の構造上、壁と壁の間の隙間にぴったりとベッドがはまっている状態だ。とてもじゃないが動かす隙間なんてものは存在しない。
そもそもにおいて、この部屋はいくらビジネスホテルとは言え狭すぎる。ベッド以外に置いてあるものといえば、対面にある壁に沿った形で設置された机と椅子、それから壁掛けのテレビくらいしかない。おそらくもともとはシングルの部屋だったのだろうが、より多くの客を取るために二人部屋と言うことにしたのだろう。だとしても、せめてダブルの部屋として売り出すべき配置だとは思うが。
「急用で用意出来たのがこの部屋であることは謝りますが……所詮は一晩を明かすだけの場所です。ベッドと毛布と屋根があるだけで十分では?」
「まぁ、そうだけど」
竜崎がそう言う通り、僕らが今この場にいるのは、ちょっとしたアクシデントが原因だ。
キラ事件の捜査が停滞している中、竜崎が気分転換にと言う理由で突如日本国内で起こっている別の事件を捜査したいと言い始めたのだ。
当然、父さんたちはいい顔しなかったが、これは己の休日の趣味でありリフレッシュだと言い放った竜崎は、そのまま僕の監視だけは止めることが出来ないと、僕を連れたままとある東北の地方に向かった。
竜崎曰くそこで起こっている事件を解決するとの事だったが、そんなものがただの言い訳に過ぎない事は、事件をわずか一時間程度で解決した後、そのまま地元のおいしいスイーツを食べ歩きした辺りで察した。
これならば事件はパソコン越しに推理して、後のスイーツに関しては取り寄せればよかったのではと思ったが、一番最後に立ち寄った山奥のかき氷を出す店で竜崎が『やはりこの店は間違いなかった』と言っていたあたり、ここに直接来る必要があったらしい。まぁ確かに気難しそうな店主相手ではわざわざ東京に来て作ってもらうわけにもいかないだろうし、氷のようにすぐ溶けるものでは取り寄せもできないだろう。
こうして僕は竜崎について回ってずいぶんと久しぶりの休日らしい休日を満喫したわけだが、ここで問題が起こってしまった。かき氷を食べ終わって、あとはもう帰るだけだという頃に、突然の大雨が僕らを襲った。天気予報では一切告げられていなかったその大雨の勢いは凄まじく、そのせいで近くの道で土砂崩れが起きてしまったらしい。翌朝にならないと通行できないと言われ、ならば捜査本部にあると言うヘリコプターに迎えを頼むかという話になったが、そちらもこの大雨の中では飛行が難しいのだと言う。
竜崎はそれでも自分の運転であればこの大雨の中でも東京に帰れると豪語していたが、話を聞いて見る限り無免許だそうなので僕は丁重にお断りした。それならば翌朝を待って通行止めが解除された陸路で帰ればいい。
と、最後は何とか竜崎を説得してそういう話でまとまったのだが、問題はこんな山奥の集落かと見紛う場所では、外から来た人間が泊まれるのは町のはずれにある古ぼけたビジネスホテルだけだという事だ。
「別に、場所そのものについては文句はない……けど、そうじゃなくて」
普段は竜崎が建てた高級ホテルのスイートルームかと見紛うくらいの場所で生活しているため、感覚としてはかなり狭い印象を受ける部屋だが、たった一晩程度どうと言う事は無い。竜崎の言う通り、ちゃんと空調が効いていて、床ではなく眠る場所があるだけで充分だ。比較するのもおかしな話かもしれないが、環境としては僕が五十日間監禁されていた牢屋と比べれば天国のようだ。
それよりも問題なのは、このベッドで眠ると言う事は、実質同じベッドで眠るのと大差ないと言うことだった。
「何か、気になる点でも?」
しかし僕とは裏腹に、全くこの状況を気にしている様子のない竜崎。
まさか忘れているなんて事はないだろうと思いつつも、僕は恐る恐るといった様子で確かめる。
「……竜崎、前に僕が言ったこと、覚えてるか?」
だが竜崎は本当に僕が何を気にしているのかいまいちピンと来ていないようで、はてと首をかしげながら親指の爪を噛んだ。
「月くんとは何度も会話をしているので、どれを指定て言っているのか推察しかねます。どれのことですか」
こんな状況で僕が言うのだから、すぐに察して欲しいのだけれども、どうやら竜崎には全く心当たりがないらしい。
それがどうにも悔しいような、悲しいような、ショックを覚えて僕はついつい声を大にして竜崎に迫った。
「だから! 僕が、竜崎のことを好きだ、って言ったことだ」
「あぁ、それですか」
僕の必死の言葉に対して、そういえばそんなこともあったなと、大した事がないような表情の竜崎に、僕はつい悔しさのあまり唸り声をあげてしまう。
そう、全く以て数ヶ月前の僕では想像もできないことに、僕はこの竜崎と言う男に対して、恋愛感情などと言うものを抱いてしまった。
僕の恋愛対象は間違いなく女性だったはずなのに、気づけば僕は今まで出会ったどんな女性にも抱いたことのない、愛情のようなものを竜崎に抱いてしまっていた。
好きになってしまった今となっては、そのキョロキョロとした目の動きや独特な座り方まで、何から何まで愛らしく思うけれども、少なくとも監禁される前は竜崎のことをそこまで快く思っていなかったはずだった。
それなのにどうしてと問われれば、ただ好きになってしまったとしか言いようがない。
今まで自分と対等に話し合える人間などと言うものに出会ったことがなくて、その上竜崎は世界の切り札なんて呼ばれる『L』という存在で、そんな相手に抱いた憧れのような感情を恋だと勘違いしているのだと最初は思った。
けれど、何度考えてみても、僕はやっぱり竜崎のことが恋愛感情として好きだと言う結論にしかならなかった。それも、しっかりとした性欲込みの恋愛感情だ。
一緒に生活する上で、何より手錠なんてものでつながっている以上、僕のこの感情についてはしっかりと竜崎に説明しておくのがフェアだろうと、僕はすでに竜崎に告白じみた言葉を伝えているはずなのだ。
それなのに、竜崎は僕の告白を『そうですか』の一言で流したかと思うと、そのまま特に触れてくる事はなかった。
そして、それはこうして同じベッドで眠ると言うのに、全く以て気にしていないと言う様子から見ても、どうやら僕は竜崎にとって一切気にするべき対象ではないらしい。
「まったく意識されてないのは分かってたけど、改めて突きつけられると悲しくなってくる」
泣き言に似たセリフを口にしながら、僕は相変わらず無表情を貫いている竜崎に視線を向ける。
今まで恋愛において、僕から積極的な態度を見せなくとも、相手の女の子からは常に熱烈なアプローチを受けていたせいで、全く意識をされないなんて言う経験は初めてだ。
もちろん、あの竜崎相手に、男同士であるとか探偵と容疑者と言う関係を除いても、簡単に行くとは思っていなかった。
だけど竜崎の方だって僕の頭脳を認めてくれていると思っていたし、何かしら好意的な反応を見せてくれるものだと考えていたけれど、まさかこんなにもあからさまに無視されるとは思っていなかった。
そして、そのことに対してプライドが傷つけられたと言う怒りよりも、全く意識されていないことに対する悲しみの方が湧き上がってくるなんて、今までの僕では想像もできない反応だ。
だが、僕が悲しみに暮れていることも気にせず、竜崎はまたいつものことかと、あきれたように椅子に腰をかけた。
「月くんが私に対して恋愛感情を抱いていたところで、私はどうすることもありませんから」
と、平然としている竜崎だったが、まさか同じベッドで眠るというこの状況も同じだと思っているわけではないだろうに。
確かに僕らは普段同じ部屋で寝泊まりしているが、あくまでベッドは別だし、風呂やトイレだって鎖に繋がれてはいるが交代で入っている。
それでさえ、竜崎に恋心を自覚した僕としては毎度緊張を覚えていると言うのに。
「いくらなんでも、一緒のベッドで寝るとなると話は別だろう?」
「何がどう、別なんですか?」
本気で疑問だと言う風に首をかしげる竜崎の姿に、いくら世間一般の常識に疎いとは言え、性的な知識や常識がまったくないような純粋無垢と言うわけでは無いだろうと、訝しんだ視線を向ける。
「お前、僕を揶揄って楽しいか」
「月くんが珍しく戸惑っている様子を曝け出しているのは、正直面白いと思います。が、決して揶揄ってなどいませんよ。純粋に、同じベッドで寝ることに対して月くんが何を戸惑っているのか、疑問に思っているだけです」
こいつ、自分に惚れた僕があたふたとする姿を楽しんでいるだけだ。
端から見ればなんと悪趣味だろうと思っただろうが、それが惚れてしまった相手の行為だと言うだけで、なんとも小悪魔的に見えてしまうのは恋の力と言うものだろうか。
僕にこんな表情をさせたのは竜崎が初めてだと、僕は頬を赤らめながら、ため息をこぼす。
「本当、なんでお前なんかに惚れたんだろうな」
「私もそう思います。ご愁傷様です、月くん」
全く以て慰められている気がしない竜崎のセリフに、こいつが楽しいのであれば僕としてもうれしいが、そのおもちゃにされるのはどうにも不服だった。
年上の蠱惑的な相手に翻弄される。というのも、まぁ悪くはないシチュエーションなのかもしれないけれど、全く待って僕好みではない。
「ともかく、僕は一般的な感性の持ち主で……だから、その。好きだって思ってる相手と、一緒のベッドで眠ることで、自分の感情を抑えられるか、正直言って分からない」
僕は常に紳士であろうとしているし、精神力だってそこいらにいる人間と比べても、それなりにあると思っている。
けれど、それが竜崎相手となれば、果たして僕はこの紳士的な態度を保てるのだろうか、一抹の不安を覚えてしまう。
特に今まで、竜崎に抱いてるような本気の恋愛感情抱いた相手なんていなかった。だから竜崎への感情は僕にとって、初恋のように衝撃的で、理性的な自分を焼きってしまうほどの熱を持っている。
だからもしかすれば、なんて湧き上がる葛藤と戦っている僕に対して、竜崎はこれは面白いといった様子でニヤリと口角を釣り上げた。
「感情が抑えられなくなると、月くんはどうなってしまうんですか?」
「……っ! だから、お前!」
「月くんほど自己の感情管理に優れた人は詐欺師以外に見かけたことがないので、そんな月くんが抑えられなくなる感情とは何か、貴方の口から説明してほしいと思いまして」
どうやらどうしても僕の口からはっきりとした言葉を言わせたいらしい。こんなもの、とんだ羞恥プレイだ。
ニヤニヤと笑いながら親指を唇に当てる姿に、なんでこんな悪趣味な奴に恋なんてしたんだと思わず己を呪いたくなる。
「……最低だ、竜崎」
「でも、そんな私が好きなんでしょう?」
「……あぁ、そうだよ! 好きだから正直に言って、自分の中に湧き上がってくる性欲を我慢しきれるのか分からない! レイプなんていう犯罪行為をしたいとは思わないけど、でもそれに近しいことをしてしまうんじゃないかって、自分が怖い」
例えば同じベッドで寝ている竜崎の気配や香り、体温に耐えられなくて、後ろから抱きしめてしまうんじゃないかとか。そのままなし崩しで性行為に及んでしまうのではないかとか。不安を一つ一つ挙げればキリがない。
そんな風に竜崎の心を無視して、体だけを繋げたいとは思わない。セックスと言うのはただ快楽を求めるだけではなくて、愛し合う二人によって行われる最上位のコミニケーションだ。だから竜崎の体だけを手に入れたところで、僕が抱いている恋心が満たされない事はわかっている。
けれど性欲と言うものは厄介で、それが理由で犯罪が起こるのも納得してしまうくらい、衝動的で人間を支配してしまう。
欲望に支配されたくない、抗いたいと思っていても、今まで抱いてこなかったこの感情にどこまで抵抗できるのか、未知の世界が僕は怖かった。
そんな怯えている僕に対して、竜崎は納得したと言う様子でうなずいた。
「なるほど、月くんの危惧は分かりました。つまり、自分がレイプという犯罪行為をしてしまうのが怖いと」
「ああ、だから、どうやって別々に寝ようかって……」
残念ながらこの狭いビジネスホテルには、部屋にソファーなどと言う上質なものはなかった。そうなればどちらかが床で眠ることになると、その相談をしようと僕は思っていたのだが、しかし竜崎が告げてきた言葉に、僕の頭は一瞬で真っ白になった。
「では合意の上でセックスをしましょう、月くん。そうすればレイプになりません」
あまりにも想像できなかった言葉に、自分の都合の良い聞き間違いかと己を疑ったが、どうやら僕が聞いたものは間違いないらしい。
まさか竜崎の方からそんなことを言ってくれるとは思わず、僕はらしくもなく動揺を隠しきれないまま口を開いた。
「ッ! お前、それは、本気で言ってくれているのか?」
「はい、本気です。それで問題なく月くんがベッドで眠れるというのであれば、私も協力しますよ」
竜崎のたいしたことではないといった声色に、どうやら本気らしいと僕は自分の心臓がうるさいほど高なるのを感じた。
確かに僕が恐れているのは竜崎に対して、合意のない、一方的な行為をしてしまうことだ。
けれど竜崎が僕を受け入れてくれると言うならば、この状況はむしろ喜ばしい。初夜はもっとムードのある中でと望んではいたが、こんな寂れたビジネスホテルの一室であっても、今は一番ロマンチックな環境にすら思えた。
「僕は、その、無論……竜崎が僕を受け入れてくれるなら、とても嬉しい。こんな形でも、竜崎と繋がれることが、幸せだよ」
まさか、竜崎との突然の旅行がこんなにも幸せな初夜になるなんて思わず、僕は素直に、心の底からそう竜崎に囁く。そう思えば昼間の珍道中だって、今にして思えば二人ではじめての旅行デートと言う気持ちになってきた。
一方竜崎の方は、僕の囁きに頬を赤らめる。なんて都合の良い反応してくれるわけがなく、僕の顔をまじまじと見ながら興味深そうにうなずいていた。
「なるほど、月くんは今までお付き合いしてきた女性に、そのような甘い顔をして囁いていたんですね」
「こんなところで、昔の話を持ち出すなよ」
全く以て雰囲気がないと思ったが、確かに竜崎に監禁される前、僕がいろんな女の子と親しくしていたのは事実だ。今にして思えば、どうしてあの頃はたいして好きでもない女の子達と頻繁に遊んでいたのか、自分のことながらひどい人間だったと思う。
けれど今は竜崎一途だと言う思いを込めて、僕は竜崎をベッドに導きながら微笑と共に囁く。
「こうやって夜を共にするのは、竜崎が初めてだよ」
「そうですか、複数人と交際していたように見えて、随分と初心なことですね。でしたら安心してください、月くんの初めては、経験者である私がちゃんと導いてさしあげますから」
竜崎の経験者と言う言葉に、若干予想はしていたが、竜崎にとっては僕が初めてではないのかと言うショックが少しばかりあった。
愛しい人の初めては自分がいいなんて、どうやら僕もセックスの感情としては、そこら辺にいる男と変わりないらしい。
けれど、実際に何歳なのかは知らないが、竜崎の年齢からしてみれば初めてである方が珍しいだろうし、何よりその程度のことで失望するわけがない。僕が欲しいのは竜崎の初めてなんて言うものではなくて、竜崎そのものなのだから。
それよりも僕が気にするべきなのは、自分の感情のままに流されて、竜崎に痛い思いをさせないこと。大切に、大切に、この一夜の時間を濃密で甘いひとときにするよう意識することだ。
「竜崎……」
少しの不安と、これから竜崎と繋がれると言う大きな期待を滲ませながら、そう竜崎の瞳を見つめながら名前を囁く。
すると、竜崎は僕の両手を握りながら、大人の余裕といった表情で笑をこぼした。
「ええ、大丈夫です。初めは痛いかもしれませんが、ちゃんと最後には後ろでイけるようにしてさしあげますので」
その一言に、僕はしばらくの間考えてから、僕らの間には最後の難関が立ちふさがっていたことに気付いてしまった。
「………………竜崎、始める前に、大切な話がある」
突然真顔に戻った僕に、竜崎は一瞬どうしたのかと首をかしげたが、すぐに何かを思いついたようで周囲を探すように見回した。
「ああ、ゴムの用意ですか。……当然ですがこの部屋には備え付けてはないようですね。でしたら、このホテルから少し歩いた場所にコンビニがありました」
「うん、そうだな、ゴムの準備も重要だ。だけどその前に、一つ、はっきりとさせておきたい事があるんだが」
「なんでしょうか」
せっかく竜崎が僕を受け入れて、ここまで来たと言うのに、水を差してしまうことにならないか不安ではあった。
だが、いくらムードがぶち壊しになろうが、ここだけははっきりさせておかなければならないと、僕は意を決して竜崎に確認する。
「……当然だけど、抱くのは僕の方だよな?」
「そうですね、月くんのアナルで私のペニスを包み込んで抱きしめていただく予定です」
やはり予想していた通りの返答に、やってしまったと僕は大いに頭を抱えた。
「ッ、違う! 抱くっていうのはつまり、どっちが挿入するかっていう話だ!」
「むしろ私の方からもお伺いしたいのですが、月くんは私に挿入するつもりだったんですか?」
どうやら竜崎も僕に挿入する気満々だったらしい。いや、確かに男性であればそう考えるのが普通なのかもしれないが、問題なのは互いにそう考えていた上での発言だったと言うわけだ。
通りで竜崎がいとも簡単に僕とのセックスを受け入れてくれたと思ったが、なるほど自分が挿入する側であればそこまで躊躇することでもないのかもしれない。
しかし、ここだけは譲れないと僕は必死に冷静さを装いながら、竜崎を説得するように両肩に手を置く。
「好きな相手と性的に繋がるって考えた時、男なら挿入したいって思うのが普通だろう? てっきり竜崎もその辺は理解してくれていたものだと思っていたんだが……」
「はぁ、そうですか。ですが私も性交においては挿入する側でありたいので、月くんがどう思っていようと譲りません。惚れた弱みとやらで私に譲ってください」
そこを出されると弱いのだけれど、だとしてもここを簡単に譲ってしまっていいわけがないと、僕は必死に自分が主導権を握れないだろうかとキラ事件捜査並に頭を回転させた。
否、竜崎とセックスできるのだからいっそここは僕が身を引いて、と一瞬考えたがやはり僕が竜崎の下になって嬌声を上げるのは考えられないと首を振った。
「絶対に嫌だ。というか竜崎、お前、僕相手に勃起できるのか?」
お前は別に僕のことが好きなわけじゃないだろうし、今日の行為だってあくまで僕のためという名目なんだろう。挿入には勃起が必要なのだから、僕に対して感情を抱いていないお前がするには難しいだろうと言う方向性で説得しようとする。
だが、竜崎は何を言っているのかといった様子で、平然と僕の言葉にうなずいた。
「はい、月くんはご承知の通り見目麗しいですし、何よりあのプライドの高い月くんが私の下で喘ぐというのは非常に興奮します。……今、少し想像してみたのですが、最高にエロいですね。勃起しました。責任を取って月くんが私の昂りを慰めてください。無論、アナルで」
「その言い方、最低だな!」
あまりにもあけすけな言い方に、思わず悲鳴のような声が出てしまったが、ここで折れるわけにはいかない。
まさかあの甘い空気から一転してこんな言い争いが勃発しそうな空気になってしまうとは思いもよらなかったが、僕も竜崎も互いに譲るつもりがない事はお互いの視線からよくわかった。
ならば、どうにかして決着をつけなければならないと、僕は一旦冷静になって大きく深呼吸をしてから口を開いた。
「分かった。ここは正々堂々、勝負して、勝ったほうが挿入する側になろう」
「えぇ、ここまで来たらもう、セックスをしないという選択肢はありません。絶対に私が勝ちます」
どうやらそこは、僕も竜崎も同意見らしいことに安心する。
互いに挿入する側であることを譲らないのであれば、いっそのことセックスなんてしないほうがいいんじゃないか。と言う結論にならなかったのはありがたい。どんな対決であろうとも、僕が竜崎を抱くこのチャンスを絶対に逃すつもりはない。
「問題は、何で勝負するかという話だが……ジャンケンか」
最もポピュラーかつ、勝敗が明白で、何よりすぐに決着がつく勝負を口にしたが、僕の提案に竜崎は不満なようで眉を顰めながら首を横に振った。
「いえ、そんな運任せの要素が大きいもので負けて挿入される側になっても納得がいきません。そのままベッド上で乱闘になって本当にレイプになっては洒落にならないでしょう」
確かに、勝敗について納得できるかというのは大きい。竜崎に言われて思ったが、確かにジャンケンで僕が負けたとして、そのまま素直に竜崎に抱かれるのを許容できるだろうか。
おそらくだが、勝負はまだ終わっていないと、何とかしてセックスの最中に自分に主導権を取り戻して、自分が挿入する側に回ろうとするだろう。
それはおそらく竜崎も同じで、経験則としてはそういうときの僕らは必ず殴り合いの喧嘩に発展する。合意がない以前に血みどろ沙汰のレイプなど、一番最悪なのは間違いない。
しかし、このアメニティーも十分にないようなビジネスホテルの中で、互いに納得できる勝負とは一体何があるのかと、僕は首をかしげた。
「勝敗が白黒はっきりついて、なおかつ互いに全てをかけ合える勝負じゃないと納得できない。と言うのは僕もわかるけど、一体何ならいいんだ?」
「そうですね。私と月くんですから、ここは知性での勝負……チェスなどいかがですか。月くんならチェス盤など要らないでしょう」
「なるほど、目隠しチェスか」
盤面や駒を使わず、互いの言葉のみで盤面を想像して行う対戦は、常に駒の位置を記憶していなければならないが、そんなもの僕にとっても竜崎にとっても何の問題にもならない。
それに、確かにチェスならば僕らが互いに得意としている頭脳戦にはもってこいだし、何より負けた時に言い訳が効かないから、圧倒的な敗北感によって挿入することを受け入れさせることができる。
これは面白いゲームだ。と、優等生がするには相応しくない笑みを浮かべながら、僕は問題ないと竜崎の提案にうなずく。
「いいだろう、その勝負、受けてやるよ」
「大丈夫ですか月くん。私、チェスはグランドマスターに何勝かするほど強いですよ? ハンデが必要なようでしたら恥ずかしがらず、是非おっしゃってください」
「竜崎の方こそ、僕を甘く見すぎだよ。こう見えても僕、中学生の頃にチェスにはまっていてね。グランドマスターを負かしたコンピュータ相手にも勝ってるんだ。竜崎の方こそハンデが必要だったら言ってくれ。年上だからって恥ずかしがらずに、さ」
とてもこの勝負の後にセックスする人間同士の会話とは思えない、本気で火花を散らせた煽り合い。
しかしそういう勝負でもない限り、絶対に負けを認めない似たもの同士の僕らは、ここからが本番だとでも言うように、互いに己の勝ちを確信しながら笑いあう。
「絶対に僕が勝って、お前に足を開かせて喘がせてあげるよ、竜崎」
「ええ、足を開いた私の上に跨ってもらいましょうか。そのまま突き上げて、月くんに私の精液を受け止めてもらうのが楽しみで仕方ありません」
さらりとゴムなど使用しない宣言をされた気がするが、そんなもの僕だって同じだ。この勝負が終わったら、ゴムを買いに行く時間なんてものは与えずに
速攻に抱く。それは竜崎も同じようで、その表情は今から僕にどんなプレイをさせて何て言葉を言わせてやろうか考えているようだった。面白い。それなら何を考えているかゲームの最中に聞き出して、竜崎自身が考えていたであろう恥ずかしいセリフを竜崎に言わせてやる。
「泣くのは僕の下になるまで待ってろよ」
「月くんこそ、許してくださいと乞う準備はよろしいですか?」
こうして、僕らのどちらが挿入するかをかけた、全てをかけた真剣勝負のように見えてくだらない、けれど二人にとってはキラ事件並に重要な戦いが始まった。
あえて僕の誤算を述べるとしたら、この戦いが白熱しすぎて翌朝まで終わらなかったどころか捜査本部に戻ってからも続いて、最終的にはステイルメイトになってしまいチェスの公式戦としては引き分けだのそこまで追い込んだ僕の勝ちだの、結局殴り合いの喧嘩に発展した事で互いにセックスのことなんて綺麗さっぱり忘れてしまった事くらいだろうか。
二人の甘い初夜までは、道のりは長く険しい。