「妄執を孕む」
「月くんに、渡したいものがあって来ました」
それが、真夜中に捜査本部の僕の部屋を訪ねて、勝手に鍵を開けてベッドまでやってきた竜崎が、開口一番に言い放った言葉だった。
「……なんでお前が。いや、お前ならどの部屋でも開け放題ってわけか」
忌々しいことだと、ため息混じりにそう吐き出す。
深夜に叩き起こされて、目覚めた瞬間こちらを見下ろす竜崎の姿が見えた僕は、正直に言って不機嫌そのものだ。
いくら捜査本部の指揮を執っているとはいえ、勝手に僕に与えられた部屋に入ってくるのはマナーがないのではないか。と言いたい気持ちもあったが、まずはこんな不躾な時間の訪問についてだと、寝起きの低い声で僕は竜崎を問い詰める。
「今、何時だと思ってるんだよ」
「深夜の1時46分ですね」
しかし、それがどうしたのかといった表情で、サイドテーブルに置かれた時計を読み上げた竜崎に、時間を答えろという意味じゃないんだよと、僕は頭を抑える。
だが、そんな一般常識は、この男『L』の前では意味がないのだということを僕は長い手錠生活の中で、嫌というほど知っていた。
火口を捕らえ、デスノートの所有権と共に記憶を取り戻した僕は、偽のルールである『デスノートに名前を書き込んだ人間は、13日以内に新たな名前を書き込まなければ死ぬ』という完璧なアリバイを見せることで、無事、キラ容疑者から外れることが出来た。
おかげでミサの監視は解かれ自由の身に、僕は竜崎と繋がっていた手錠を外すことになった。
だが、いくら監視から逃れたとはいえ、竜崎はまだ僕をキラだと疑っているし、何より僕自身も竜崎の側から離れるわけにはいかない。
レムが僕の策略通りに動き、僕が一切ノートに触れる機会の無い時、捜査本部の監視の中で竜崎が死ぬまで、僕は竜崎がノートを持って何処かに雲隠れしないよう見張っている必要がある。
だからこうして手錠を外され自由になった今も、僕はこの捜査本部で寝泊りしている。
元々この部屋は、竜崎と一緒に生活していたベッドルームだったが、手錠が外れて以来、Lがこの部屋に訪れる事は無かった。
物理的に僕らを繋ぐ鎖がなくなったから当然と言えば当然だが、竜崎はここ最近、寝ることもなくモニター室でレム相手に質問を繰り返しながら、一人推理を続けている。おかげで、僕は部屋を移る必要もなくこうして以前と変わらず寝泊り出来ていた。
とはいえ、そもそもの話として、最初から竜崎はこの部屋で寝泊りしていたとは言い難かった。あいつは規則正しい生活リズムとは無縁の睡眠時間を取っていたため、風呂は強制的に一緒になるにしても、同じ時間に眠っていたのはこの数ヶ月でも数える程度だったように思う。
あくまで僕が眠るから、自分の居る部屋を移動してやっている、という体だったのだろう。
そんな竜崎が、珍しく自分の意思でこの部屋にやって来たことに、何か僕の作戦を読まれるような事があったのか。と、こんな時間に起きたせいで妙に重たい身体を起こして、竜崎の様子を伺った。
「それで、わざわざ僕を起こしてまで渡したいものってなんなんだ」
僕がキラであるという証拠を掴むために、ノートの切れ端でも渡して反応を見るつもりなのかと竜崎の答えを待ち構えていれば、竜崎は僕の眠るベッドに無遠慮に乗り上がりながら口を開いた。
「実は私、今日が誕生日なんです」
「誕生日……?」
ちらりとデジタル時計に視線を向ければ、今日は2004年の10月31日らしい。
ハロウィーンの文化がある国では、子供が近所の家を回ってお菓子をねだる日かと、なんとも竜崎らしい誕生日に心の中で笑いが吹き出る。お菓子しか食べない、幽霊のような顔色をした男の誕生日が、死者が戻ってくると言われるハロウィンとは、なかなかに面白い。
無論、あまりにも都合のいい日であること、何よりLが無意味に僕に誕生日を教えてくる訳が無いため、微塵も信じてなどいないが。
そんな僕が抱いていた不信感を感じ取ったのだろう。竜崎は自分の誕生日を信じていない僕に不機嫌そうな表情を向けると、親指を咥えながら本当ですと僕の不審を責め立てる。
「疑われるなんて心外ですね」
「別に、疑ってなんかないよ。それで? どうして自分の誕生日なのに、僕に渡したいものがあるんだ?」
慣れ親しんだ嘘を平然と口にしながら、僕は竜崎が何を言い出すのか様子を伺う。
普通、誕生日というのは、生まれた側が何かプレゼントをねだるものだろう 。僕とLが誕生日にプレゼントを渡し合う関係かは別として、一般的な感覚で言えばそういうものだ。
しかし、竜崎はこんな感覚も一般的なものとは違うらしい。いつも常識はずれで限度を易々と超えてくる竜崎らしいと言えば竜崎らしいが、問題は相手が僕がキラだと未だに疑っているという事だ。
僕がキラなのは間違いないから死を与えてあげます。
あるいは、実は貴方がキラで間違いないという証拠を掴みましたので教えてあげます。
なんて、そんな可能性を考えてしまう。
「渡したいものと言えば渡したいですし、月くんの経験によっては奪ってしまう事になりますね」
しかし僕の想像とは異なり、なんとも煮え切らない竜崎の言葉に、いったい何がしたいんだと目の前の男を睨む。
竜崎のすることなのだから一挙一動全て目を離すわけにはいかないが、以前も僕がキラとしての記憶が無くなった途端やる気を失って奇怪な行動をよくしていた奴だ。
本当に僕に誕生日プレゼントとやらをねだりに来たか、子供騙しな謎々でも出題しに来ただけの可能性もある。と、僕は苛立ちを滲ませながら荒く声を上げた。
「なんなんだよ。もっと簡潔に、何がしたいのか言ってくれよ」
「はい、そうですね。では、前置きはこのくらいにしましょう」
もう、時間も無いことですから。と、竜崎は一瞬消え入るような声でそう呟いたかと思うと、すぐにいつもの様子で。そう、あろうことに、いつもと何ら変わりない様子で、口を開いて、その言葉を告げた。
「月くん、私は貴方を孕ませに来たんです」
何事もないような声色で言われた、けれど冗談でも聞きたくないような言葉に、僕は目を見開いて竜崎を凝視する。
「…………何言ってるんだ、お前」
たのむから聞き間違えであってくれと、確認というよりは願望を込めて尋ね返す。
一方竜崎は、僕が簡潔に言えと望んだくせにいざ一言で表せばその反応かと、呆れたようにため息を吐き出した。
「ですから、貴方を孕ませに来たと言いました。この様子ですと、月くんの合意は取れそうにないので、貴方をレイプしに来たと言い換えてもいいでしょう」
孕ませる。レイプ。
そんな屈辱的な言葉自体、全くもって聞きたくもないものだが、それが竜崎の口から己へ向けて発せられているというのが、嫌悪感を通り越していっそ不気味にさえ感じた。
僕は女ではないから妊娠するわけがない。
なんて、わざわざ口に出すのも馬鹿らしい。
だが、あの竜崎がさも当然のように僕を孕ませるなどと言うものだから、本当に男を妊娠させる術をこいつは知っているのではないかと考えてしまう。
生物学的にも現代技術的にも考えて、そんなことあるはずないと分かっているのに、自慢の頭脳は『男が妊娠なんてするわけがない』という事実を疑いはじめていた。
「なぁ、竜崎。冗談をいうなら、もっと分かりやすい状況、で……ッ」
全ては竜崎のふざけた嘘だという話にでもしないと、まともな思考が出来ないと思った時だった。
僕はふざけるなと竜崎の胸倉を掴もうとして、自分の身体にほとんどと言っていいほど力が入らないことに気付いた。
瞬間、最悪な状況を把握してしまう。
「竜崎、お前、なに……をした」
先ほどから真夜中に叩き起こされたせいだと思っていた倦怠感は、深く己の状況を観察してみれば麻痺によく似た症状で、ただの倦怠感でないことは明らかだった。
おそらく何か一服盛られたのだろう。僕らの食事の手配をしているのはワタリといった竜崎側の人間がしていたことだ。僕の食事だけに薬を仕込むのも容易い。
しかし、いくら僕をキラだと疑っていようとも、こんな直接的な妨害を行って、捜査本部の人間に一体どんな説明をするつもりなのだろうか。
と、監視カメラを見上げていた僕の意図に気付いたのだろう。竜崎は無駄ですよと、僕の顔を掴んで視線を無理矢理自分に向けさせた。
「監視カメラの映像は細工済みですので記録には残りません。また、この部屋は防音ですので騒いだところで夜神さん達が暮らしているフロアに聞こえることはありませんし、他の皆さんの部屋には通気口を通じて睡眠成分のあるガスを流しているので、たとえ工事現場のような騒音でも起きることはないでしょう。そして月くんの部屋には麻酔成分のあるガスを流しているので、もう身をもってご承知かとは思いますが、今の貴方は私に抵抗出来ません」
だから諦めろと告げてくる竜崎の姿に、僕はふざけるなと声を荒げる。
「こんなことをしておいて、ただで済むと思うなよ……ッ」
「そうですか。では、どうされるんですか? 私を暴行罪として司法の場に引き出すとして、映像記録が残らない中、どうやって私にレイプされたと証明するつもりですか? まさか、あのプライドの高い月くんが、私に性的暴行を受けたとお父さんに直接訴えるなんてことしませんよね。そもそも、行為が終わった後、病院に駆け込んで体液を採取して証拠を作れますか? 無論、私は月くんの麻痺が効いている間に証拠が残らないよう、外側に関しては清拭します。とはいえ、月くんには妊娠してもらいますので、中に関してはそのままにさせてもらいますが」
竜崎はそう言いながら、僕の寝間着越しに下半身へ――やがて竜崎が中に射精するであろう、僕のアナルの窪みに触れる。その強く押される感覚に吐き気を覚えながら、こいつは本気なのかと、まだ知らぬ痛みに震えた。
「貴方のここを……何度も犯され、何度も精液が注ぎ込まれた姿を他人に晒す勇気があるなら、どうぞ訴えてみてください。そして、調書作成のため、私にどのように犯されたのか、一つ一つ丁寧に、丹念に、話してあげてください」
それはそれで、とても興奮するので。
と、気味の悪い笑みを浮かべながら話す竜崎に、どうしようもない怒りが沸いてくる。だが、その怒りの衝動が僕を支配しようとも、痺れた身体は満足に動くことなく、竜崎の顔面を殴るには至らない。
だから僕は、せめてのもの殺意を視線に宿して、竜崎を睨んだ。
「僕が直接お前に報復するとは思わないのか」
「私を殺した時点で、貴方はキラ確定ですよ、夜神月」
だからあなたは私に何も報復することなどできない。
なんて、余裕の笑みを浮かべる竜崎の姿に、僕はもう自分が絶対に疑われない状況でお前を殺す準備が出来ていると伝えてしまいたい衝動に駆られた。
そこまで考えて、もしかしてそれが竜崎の狙いかと息を飲む。僕を犯して、衝動的になった僕からキラとしての情報を引き出そうと……否、あの『L』がいくら追い詰められようとそんな馬鹿げた捜査をするとも思えないし、僕がこの程度の揺さぶりでミスを犯すとも思っていないだろう。
だが、何を目的にしているかはまだ分からないが、これも竜崎による策略の一部なのだろうと考えた方がいい。
ならば一番の対応は、明らかにこちらを挑発して僕の激昂を引き出そうとしてくる竜崎の言動に乗ってやらないことだと、僕はベッドに倒れ込む。
「……なにが目的か知らないけど、やるならさっさとやれよ」
「そうですか。では、これは同意の上の行為ということでよろしいですか?」
ならばレイプではなくなりましたねと、わざとらしく笑ってみせる竜崎に、吐き気を覚える。
麻酔ガスだの証拠隠滅だのしておいて、さらに言えば散々脅しかけるような事を言っておきながら、何が合意だ。お前の口から「抵抗しなかったから同意だと思った」なんて強姦魔の常套句を聞くとは思わなかった。
心の中で吐き捨てながらも、それを口にすれば竜崎はさらに喜んで何か僕を怒らせることを言ってくるのだろう事は、安易に想像がついた。だから僕は、竜崎と視線を合わせることなく気怠く吐息と共に言葉を口にする。
「僕は抵抗しない。だから、お前も無駄な暴力はやめてくれ」
こんな身体も満足に動かない、抵抗の出来ない状況で、無駄に口論を広げていっても暴行が激しくなる要因にしかならない。あまり竜崎の暴力性を刺激してしまえば、下手をすれば肛門裂傷、そして一生人工肛門の生活だ。
ならば、既に僕を犯すと決めている竜崎相手に、無駄な抵抗はするべきではない。
己の身体を好き勝手されるのは癪だが、どうせあと数日の命しかない、僕に敗北する予定の相手だ。
ならば冥土の土産に、この肉体を抱かせてやるくらいは許してやろう。
そう、僕はしばらくの間、ただの肉の穴になってやる決意を固め、白けた視線で竜崎を見上げた。
「分かりました。私も目的は月くんを痛めつけることではありませんから。先ほど伝えたとおり、私の目的は……」
竜崎はそう言うと、ゆっくりと僕の寝巻きのボタンを外し、腹部を外気に晒した。
そして、下側の――女性で言うところの子宮があるであろう位置に、愛おしそうな表情で唇を落とした。
「ここで、私の種を受け止めてもらうことですから」
ぞくりと、全身に寒気が走る。
竜崎が突然、今まで僕らの間にあった表面上の信頼関係を裏切ってまで、こんな行為をする意味が分からない。
しかし、竜崎は本当に僕の中に精液を注げば妊娠すると信じているようで、いったい何が世界随一の頭脳を狂わせたのかと悩みたくなる。
これから行うのは、ただの暴力であって何も生むことのない、生産性の無い行為だ。
それなのに、竜崎は僕の肉体を労るように、そこを優しく撫で上げながら、何度も何度も唇を落とした。
「月くんが、ここで私の種を育んでくれることが、とても楽しみです」
「……ッ」
こいつの妄言に反応などしてやるものかと決めていたはずなのに、暴力を身構えていた体は、恋人のような愛撫に動揺して吐息を漏らしてしまう。
すると、竜崎は満足そうに微笑むと、自身のジーンズから黄金色の液体が入った小瓶を取り出した。
目を凝らして何なのか確認してみれば、それは竜崎の食べる甘味によく添えられていた、蜂蜜の小瓶だった。
竜崎は新品のそれを開封すると、己の指先に絡めるように中身の蜂蜜を傾けた。
「ローションやワセリンの類はこのビルに準備が無かったので、こちらで代用させてもらいます」
ワセリンはともかく、ローションの準備なんてしてあったら驚くけれどな。と心の中で吐き捨てながら、事前の準備がないということはこれは衝動的な犯行かと竜崎の思考を探る。
その際、父さん達のフロアやこの部屋に充満させたガスは元々準備があったのかと気付き、こいつがこの捜査本部のビルでどこまでキラ対策を想定していたのかを知る。最悪、キラ信者が乗り込んでくることまで考えていたのかもしれない。とはいえ、蜂蜜同様にこんなレイプのためなんていう使い方は想定していなかっただろうが。
「月くん、冷たいですが、少し我慢してください」
竜崎はそう僕に囁いてから、僕のアナルにそっと蜂蜜だらけの指先を添わせた。
ぬるりとした冷たい感覚に一瞬眉を顰めるが、事前に言われていたおかげで驚きは少ない。
なんて、何故レイプされているというのに、恋人のように扱われているのかという混乱が僕を支配した。
「中、あたたかいですね」
竜崎は僕のアナルに中指を奥まで突き入れると、そのまま中を探るようにグネグネと指を動かし始めた。
「っ、う……」
肉壁を弄られる感覚に、息を飲む。
蜂蜜が潤滑油となり、スムーズに指が入ったおかげで痛みはないが、しかし内側から動く感覚というのはどうにも気持ち悪い。
そのまま竜崎は二本目の指を入れてきたが、やはり気持ち悪い以外の感想が僕の頭に浮かぶことはなかった。
「痛みますか?」
僕を凌辱しているはずの男は、気持ち悪さで眉を顰める僕の表情を痛みによるものだと解釈したらしい。
本当にこちらを気遣っている様子に、そうやって僕を思いやる良心なんてものが残っているならばさっさと止めてくれと声を上げたくなった。
だがしかし、そんな僕を気遣う感覚を持ちながらも、それでも竜崎は僕を『孕ませる』なんて選択を選んだのだろう。
「わけがわからない……」
気付けば口から溢れていた言葉に、竜崎は親指の爪を噛みながら首を傾げた。
「月くんが『わからない』と認めるなんて、珍しいですね」
「……この状況やお前の考えを正確に理解できるやつなんて、お前しかいないよ」
「はぁ、そう言っても、私自身もなぜこうしているのか、正確に理解しているわけではないんですけどね」
竜崎の言葉に、目眩を覚える。
つまり、お前は今、自分でも自分の思考が理解出来ていないのに、僕をレイプすると決めてこんな行動まで起こしているのか。
と、あまりにもの理不尽に、先ほど無理矢理鎮めたはずの怒りが再び湧き上がってきた。
「……ふざけているのか」
「まさか、ふざけて薬やガスは使いませんよ。ただ……そうですね、己が生まれた日というものを改めて意識して、命というものを再度考えてみた結果かもしれません」
だから、己の子供が欲しいと。誕生日に感傷を覚えたとでも言うのだろうか。
だとすればまったくもって馬鹿げている選択肢だと言わざるを得ないが、どこまでも本気である竜崎に、何故その相手が僕なのかと、失意を抱えながら腕で顔を覆い隠した。
「お前なら、いくらでも自分の子供を産んでくれる女性を探せるだろう」
金もコネも、それこそ優秀な遺伝子というものまで、全てを持った人間だというのに。探せば、いくらでも相手など居たはずだ。竜崎が望んで探せば、きっと数時間後には見つかっていた。
それなのに、その種を無駄な肉穴に放とうとしている竜崎に、僕は再びわけがわからないとため息を吐き出す。
「それこそ、お前なら精子バンクとかに提供してそうだと思ったけど」
「そうですね。たしかに、過去にいくつかの国から精子提供を求められたことがあります。ですが、全て断りました。まぁ、とはいえ月くんの言う通り、今から提供すると言えば各国とも喜んで受け取りに来たでしょうし、生身の人間でもワタリに頼めばすぐに見繕ってくれます」
「だったら……」
「ですが、私が欲しいのは私の遺伝子を受け継いだ子供ではありませんので」
ならいったい、お前は何を望んでいるんだ。と、竜崎の考えが理解できずにいる僕を放置して、竜崎は自分のジーンズの前を寛げた。
その際に見えた光景に、僕は思わず唇を噛み締める。
「っ……!」
下着越しに浮き上がる竜崎のペニスは既に十分な大きさまで勃起していた。
嘘であってくれという願いも空しく、竜崎が下着を下ろせば隆々としたペニスが顔を出して、自分にも同じ機能を果たすものが付いているはずなのに、まったく別のものに――凶器思えた。
本当にこんなものが僕の中に入るのかと、嫌な汗が背筋を流れる。
「っ、竜崎……」
たのむから、考え直してくれ。と、命乞いのような言葉が喉から出てしまいそうになって、必死に飲み込む。
それは僕が誰かに乞うなんてというプライド故でもあったが、先ほど抵抗しないと言った手前、ここで拒絶するような振る舞いをすれば竜崎は何故だと僕を詰ってくるだろう。
数日後、竜崎を殺す算段がついている僕にとって、ここで竜崎と心理戦をやり合う必要はない。
だから、何も悟られぬよう、無反応に徹した方がいいと、そう分かっているはずなのに、心が己の意思に従ってくれなかった。
「月くん、震えてますね。かわいそうに」
僕の耳元で、竜崎がそう憐れみにしてはどこか楽しそうな声色で、そう囁いてくる。
誰のせいだと怒鳴ってやりたいが、言ったところで竜崎は私のせいですねと分かり切った言葉を返して、この行為を止めてはくれないのだろう。
他人を平然とレイプするような輩は、被害者の抵抗する姿に興奮するものだと、僕は瞼を閉じて無表情のまま、竜崎の問いかけに反応しないよう意識を集中させる。
「入れますよ、月くん。痛いかもしれませんが、耐えてください」
竜崎はそう言って、僕の窪んだアナルへ己の隆起したペニスの先端を宛がうと、じゅぷり、と音を立てながら僕の中を侵略し始めた。
「ッ――、ん!」
いくら潤滑油があろうとも、本来ペニスを受け入れる場所ではないそこは、先端が少し入っただけで酷い痛みに支配される。
悲鳴なんて聞かせてなるものかとシーツを引き裂くほどに強く握りしめ、必死に苦痛に悶えるが、一方で竜崎は恍惚とした表情で吐息を零した。
「月くんの中、とても、あたたかいです……こんなに心地よいのは、初めてかもしれません」
止まらないと、僕が苦痛に悶えているのも気に掛けず、竜崎は一方的に腰をさらに奥へと進めてくる。
僕の奥深くに入り込んで、内側から押し上げてくるような感覚に、喉の奥から胃酸が込み上げてきた。
「っ、ふ…………ッ、ぅ」
喉が焼ける痛みと、下半身の引き裂くような痛みに、僕はこんなにも苦しんでいるというのに。
レイプなのだから当然と言えば当然なのだろうが、僕とは対照的に心地よさそうな表情の竜崎を見て、デスノートと言わず己の手で殺してしまいたくてたまらなくなる。
「月くん、少しキツイです。もう少し、力を抜けませんか?」
「む、りだ……ッ、でき、な……い」
「そうですか、では仕方ありませんね。我慢しましょう」
まるで僕に対して譲歩してやっているとでも言うような態度に、こいつの顔をぶん殴って、首を絞め殺してやりたい衝動に駆られる。
否、あえて僕を苛立たせて、それに対して僕が抵抗しなければ既に自分を殺す手段を講じていると判断するつもりなのか。と思ったが、薬の効きがいいせいで、そもそも抵抗そのものが難しいことに気付いた。
「くそッ…………!」
本当に何も出来ない、無力な己を実感させられ、悔しさに奥歯を噛み締めた。
一方、竜崎はついに自分のペニスを全て僕の中に収める事に成功したらしい。
ごつり、と奥を突かれるような感覚と共に、竜崎の太腿と僕の臀部の肌が触れ合った。
「っ、はぁ……奥に当たりました」
僕の下腹部を撫で上げ、今この中に自分のものが収まっているのだと確認するように、竜崎は僕の肌を指圧する。
「ここが、月くんの子宮、ですね」
愛し気に囁かれた、子を育てるための、臓器の名前。
だが、僕の身体にそんなもの、あるわけない。
竜崎が奥だと感じているのは直腸からS字に曲がる壁であって、そこから先に続いているのは結腸で、決して子供を孕むための内臓など存在しない。
そんな人体の構造など、竜崎だって十分に知識があるだろうに、それでも竜崎は自分のペニスの先端が僕の子宮などというものを押し上げているのだと、本当に信じているように振る舞う。
「受精して、約40週で生命が誕生する。生物として有史以前から連綿と続いていることですが、改めて意識すると不思議な気がします」
誕生日のせいですかね、と呟く竜崎に、だから今日なのかと僕は時計に視線を向ける。
だが、竜崎の言う通り本当に今日が誕生日だとして、なぜそれで僕を相手に孕まそうなんて考えたのか、竜崎のことが理解できず、ある種の恐怖が僕を支配する。
なにせ、竜崎は僕の中で律動を行うこともなく、ただただ幸せそうに語るのだ。
「もうすぐですね、月くん。もうすぐ貴方の中に、私の種が宿ります」
狂気にも似た、ありもしない話を竜崎は飽きることなく語る。
「着床した種は細胞分裂を繰り返し、やがて臍の緒を通じて月くんから栄養が供給される。そして、心臓、目、手足、耳、肺と順番に形成され、最後は産道を通り、この世に産声を上げる。私も貴方もそうして産まれてきた……ああ、帝王切開という可能性もあるので、必ずしも産道は通ることはないでしょうが」
「――止めてくれ」
いつの間にか口を出てきた言葉に、僕はもう己が限界を迎えていたことを知った。
僕はいつまでも優しく腹部を撫でる竜崎の手を払いのけながら、もう限界だと手の甲で顔を覆った。
「犯すなら、いくらでも犯せばいい。さっきも言った通り、僕は抵抗しない。でも、孕ませるとか、子宮だとか、わけのわからないことをこれ以上言わないでくれ」
これ以上、愛を連ねるように囁かれては頭がおかしくなる。
何よりも、キラとして幾度も騙し合いを行った時、キラとしての記憶を失っていた時、僕は竜崎のことを――世界の切り札『L』のことを尊敬していたように思う。今だって、Lがこの部屋に尋ねてくる寸前まで、僕はLのことを聡明な人間で、世界で唯一僕と勝負が成り立つ存在だと、そう思っていたのに。
「お前は何がしたいんだよ。そんなに、自分の子供がほしいなら、どうして僕なんか犯すんだ」
それなのに、どうしてお前は、僕の理解できない戯言ばかりを並べるのか。
しかし、理解できないのは僕の方だと、Lはどこか不機嫌そうな表情で、顔を覆う僕の手を掴みあげる。
強制的に開かれた視界の中、Lの深淵より暗い瞳と、目が合った。
「先ほども伝えたでしょう。私は、私の遺伝子を持った子供など要らない。そんなものを欲しいと思ったことは、一度だってありません」
ならば何故、こんなにも僕が孕むことを望んでいるのかと瞳で問いかければ、Lは目尻に溜まっていた僕の涙を舐め上げた。
その際、眼球に触れた舌の感覚に身を縮こまらせれば、逃さないとでも言うように、Lが僕の身体を抱きしめる。
そして、今までずっと止まっていたLの腰が、ついに僕に杭を打ち付けるように動き始めた。
「ッ、ぐ、ぃ――――あ、あぁッ!」
先ほどの甘く恋人に接するような優しさとはほど遠い、僕の中に自分を刻み込むことを目的としたような動きに、悲鳴が喉から無理矢理引き出される。
身体を抉られているような錯覚に陥る行為は、本来は快楽が存在するものとは到底思えず、ただただ僕に苦痛の味ばかりを教えた。
だが、必死に苦痛から逃れようと悶える僕の一方で、快感しかないであろうLは表情ひとつ変えることなく、真っ黒な瞳で僕を見下ろしていた。
「私と貴方の遺伝子を引いた子供に、興味がないわけではありません。知性は遺伝性の要因も多いですから、私達の遺伝形質を持った子供がどの程度の頭脳を持つか、という好奇心があることは否定できません。ですが、それだけです。好奇心以上でも以下でもない。そんなものより、本当に私達の子供なんてものが生まれたとしたら、私はきっと嫌悪感の方を強く感じるでしょう。たとえ私達の遺伝子を受け継いでいようと、産まれてくる子供は、所詮血が繋がっただけの他人です。家族に恵まれ愛されて育った月くんにはすぐに理解できない感覚でしょうが、肉親だからといって必ず愛情なんてものが宿るわけないんです」
苦痛に耐える僕の真上から降り注ぐ言葉に、何か言葉を返そうとして、何も思いつかない。
自分の血を分けた子供でさえ、所詮は他人だと言ってのけるLが、男の言う通り僕には理解できない。
そんな、何もかもが分からない中、ただひとつだけ、僕へ向けるLの深く昏い感情だけが、明確に理解できた。
「私と貴方の間には、ただ互いの存在だけがあればいい。そこに、他人を介在させるなんて、許せません」
「ッ、は――あ、あ゛ぁ」
だったら、お前はいったい何を僕に孕ませようとしているんだ。
そう僕が問いかけるまでもなく、Lはこれからお前がこの胎で孕むものがなんなのかよく覚えておけとでも言うように、僕の下腹部に爪を立てながら囁いた。
「夜神月、私は、貴方に『私』を孕んでほしいんです」
わけがわからないと、何度でもLの言葉を否定したかった。今まさに性交を行っている相手そのものを孕むなんて、出来るわけがない。起こりうるわけがない。
だが、何故だろうか。
僕にはLの言った、自分自身を孕んでほしいという言葉が、今日聞いた言葉のなによりも理解出来てしまった。
「どうか、私の妄執をこの胎に孕んでください」
囁かれた声が、洗脳するように、僕の頭の中で反響して、支配した。
Lは僕に、自分自身の執意を、執念を、執着を植え付けようとしている。それはLがキラに向ける感情の全てで、この肉体で受け止めきるにはあまりにも重たい、深淵を覗き込んだ時に見えるような色をしていた。
だが、ただの一滴すら漏らすことを許さないとでも言うように、Lは執拗に僕の中に己のペニスを打ち込んで、決して離そうとはしない。
「堕胎することも、ましてや出産することも許しません。たった十ヶ月程度で貴方から私を切り離せると思わないでください。夜神月、貴方は永遠に、私の妄執を貴方の胎で育て続けてください。このあたたかな肉の中で、私の種だけを育んでください。貴方が生きてる限り、私も貴方の中で生き続けます」
「ッ、ひ、やめ――っ、やめて、く、れ……ッ! いや、だ!」
「夜神月、私が死んだところで、貴方はもう逃れられません。病める時も健やかなる時も、貴方の鼓動が止まるまで、私は貴方の中に――」
その瞬間、Lの身体が震えたかと思うと、一番深く突き入れられた中に、熱く迸る液体を感じた。
「ッ――――ぁ、あ゛、あ」
中に射精されたのだと気付いた瞬間、僕は本当に孕んでしまったのだと、自分でも信じられないほど絶望を抱いた。
ドクドクと脈打つLのペニスが、必ず僕を孕ませようと精液を注ぎ続け、決して離れないように全身の体重をかけ僕を押しつぶしてくる身体が、恐ろしかった。
生まれてからずっと勝者であることを疑わず、か弱い存在などになったことのなかった僕が、初めて犯され蹂躙される恐怖を抱いた。
「っ、は……、月くん、感じますか、今、貴方の中に、私の種が着床しました」
僕を抑えつけていた身体を起こし、恍惚とした表情でLは僕の胎を撫でた。
優し気な指先の動きは、まるで恋人を愛撫するような温度なのに、僕はLの指先が恐ろしくてしょうがなかった。
いつの間にか涙を流していた僕の頬を舐め上げてくるLを押しのけ、僕は必死に首を左右に振る。
「ちが、違う……僕は、お前なんか、孕んで、ない」
情けなくも震えた声しか出ない僕に、Lはさらに追い詰めようと、自分を押しのけた僕の腕を掴みあげて、嘲笑う。
「いえ、貴方は孕みました、夜神月。一夜孕みというでしょう? 神を気取っているキラなら、たった一度の性交で孕むことも容易い。ああ、それに、貴方の名前にも神の文字がありますし、私の名前の『エル』も、神を表す言葉です。神同士が混ざり合えば孕むのは、どの国の神話でもある事です」
だからもう、どれだけ僕が泣き叫ぼうが、今すぐ胎の中に出された精液を掻きだそうが無意味なのだと、Lはそう無言のまま僕に語る。
「ですが、月くんが納得していないなら仕方ありません。貴方が認めてしまいたくなるくらい、もっと貴方の中に出しておきましょう」
そう言われた途端、僕は再び硬さを持ち始めたLのペニスに気付き、嘘だろうと男の黒い瞳を見上げる。
「い、いやだ……もう、いいだろ。早く、抜け、よ」
お前の目的は果たしただろうと、Lから逃れるために、身体を捩ってベッドの上の方へと逃げようとする。
だが、ただでさえ満足に身体が動かないなか、逃げ場の無いベッドでの逃亡劇も空しく、Lの腕は僕の腰を捕らえて、再び僕に杭のようなペニスを打ち付けてきた。
「ッ――、ぃ、あ゛あ、っ、ああ!」
「言ったでしょう。逃しませんよ、夜神月」
僕を呼ぶ声に滲んだ、恐ろしいまでの妄執の色に、震えが止まらなかった。
しかし、怯え切った僕の一方で、Lはどこまでも満たされたような、幸せな顔で囁くのだ。
「貴方が孕んだと認めるまで、離しません」
だからさぁ、覚悟を決めろと告げる姿に、僕はもう終わってくれと瞼を閉じる。
しかし、僕の願いも空しく、Lとの行為は僕が気を失うまで。否、おそらく僕が気を失っても、ずっと続けられた。
僕の胎が、Lの妄執を孕むまで、ずっと。
あんなにも恐ろしく思った相手だというのに、死ぬ時は他の人間同様、あっけなく鼓動が止まるものなのだと思った。
「(どれだけ人外的な天才であろうと、最後まで素性が分からなかろうと、あいつも人間だったってことか)」
当然のことを考えながら、僕はそうLの墓参りを終えた。
Lに犯されてから四日後、あいつはレムによって名前を書かれ、そして40秒後に心臓麻痺で死んだ。
最後の最後まで本当にこの男を殺す事が出来るのだろうかと不安に苛まれたが、デスノートから逃れる手段などありはしなかった。
己の腕の中で息絶えていくLの姿に、僕は心の底からの勝利と安堵を手に入れ、死にゆくあいつに人生で初めて見せるであろう、本当の笑顔を見せてやった。
そして、Lの遺体が火葬される最後の瞬間まで、僕は決して目を離さなかった。
間違いなく、僕をあれほど苦しめたL――本名、エル・ローライトは死んだのだと、確認した。
ようやく得られた、喪失感によく似た開放感に、Lが死んで十日以上は経つというのに、未だに心はどこか宙を漂っているようだった。
「明日にはこのビルを離れる。皆、準備をしておいてくれ」
車から下りてビルの中に入る前、父さんが捜査本部の全員にそう告げた。
部屋の片付けがまだ終わっていないと嘆く松田さんの声を背後で聞きながら、僕はもう今すぐにでも出ていけるよと言えば、父さんはどこか複雑な笑みを僕に向けた。
おそらく、僕が寝泊りしている部屋はLと一緒に使っていた場所だから、僕がLへの感傷を抱いていて、早くこのビルから離れたがっている。とでも思っているのだろう。
父さんが僕にどんな考えを抱いているか、気にはなったが僕をキラだと疑っていないのであれば問題ない。いくらでも父さんの考える、親しい相手を失った息子を演じよう。
そう、傷心中の息子を演じながら、僕は一人皆と別れを告げて部屋へと戻った。
「……、疲れたな」
部屋のドアを閉め、誰にも聞かれていないことを確認してから、僕はそう言葉を零した。
ここ最近、Lの使っていたシステムを盗み出すため、何より僕がキラであると繋がる証拠を削除するため、捜査本部のデータを総ざらいしていたおかげでまともに眠れていない。忙しいというのもあったが、あのLのことだ。自分が死んだ後に僕がキラだと告発する何かを仕組んでいた、という可能性もあった。
だが、心配していたようなシステムは何も無く、Lが独自に残していたキラ事件のレポートも削除が完了した。
正直に言えば、少しばかり拍子抜けしたほど、僕はLに完全勝利した。
おかげでようやく、僕は何も気にすることなく眠れるだろう。
だが、久しぶりの早い時間の就寝とはいえ、安眠は出来そうにないだろうなと、僕はベッドに視線を向けた。
「ッ……」
ベッドのシーツは、一切の乱がない、綺麗にベッドメイキングされたままの状態だ。
それは今朝、僕が寝起きに整えたというわけではなく、このベッドを随分前から使用していないからだった。
あの日、Lにレイプされ、気付いたら僕は意識を失っていた。
いったいどれほど行為が続けられていたのかは定かではないが、少なくとも明け方までは続いていたのだろうということは、身体の痛みから理解した。
僕が起きる頃には、身体は綺麗に清拭されており、麻痺が残っているということもなかった。
だが、Lが語っていた通り、僕の中に出された精液だけは一切、手が付けられておらず、僕が少し動くだけで緩んだ穴からドロドロとした精液が零れた。
最悪だと悪態を付きながら立ち上がれば、身体の奥から溢れ出た精液が太腿を伝い、高級そうな絨毯に染みを作った。それをシーツで拭いながら、僕はしばらくの間、バスルームに籠った。
中に出された精液を洗い流したかったのもそうだが、何より直腸内というのは膣と違って精液を分解できない。当然のように腹を下したが、その痛みに『やっぱり僕の身体にはLの精液を受け止め孕む子宮なんてものは無かった』と、あたりまえのはずの事実を反芻して、むしろ安心感を覚えてしまった。
しばらく、といっても一時間以上身体を清めた僕は、鏡で何度も己の姿を確認してから、寝坊したという体でモニタールームへと向かった。
そこに僕を犯したLが居るのは確実であったが、Lを恐れてあいつの監視を怠るわけにもいかなかった。
だから、僕は深夜のレイプなんて無かったような表情で、モニタールームへと向かい、Lと顔を合わせた。
『おはよう、竜崎』
『おはようございます、月くん』
何気なく交わされた朝の挨拶に、平然といつもの定位置、Lの隣に座ってやったが、Lから何か反応は無かった。
本当に、深夜の出来事は僕の見た悪い夢だったのではないかと疑いたいほど、それからLが死ぬまのでの間の僕らは、今まで通りの関係だった。
何一つ、狂いなく、今までの関係をなぞるように。僕は圧死するような妄執を向けてきたLがどれほど近くに居ようと、いたって平然としていた。
だが、Lによってレイプされた現場であるベッドだけは、どうしても再び眠ることは出来なかった。
あのベッドで目を瞑ってしまったら、またあの日の光景を夢に見そうで、恐ろしくて、そんなことになれば僕は――。
「……まぁ、いい。どうせ、今日までた」
自分の内側に沸いてきた思考を途切れさせるため、わざとそう声に出して気にしていないのだと自己暗示をかける。
そうすれば精神は嫌というほど落ち着いて、僕は聞慣れていない喪服をハンガーにかけながら、ベッド代わりに使用しているソファに腰をかけた。
いくら高級品とはいえ、半月ほど眠っていれば、そろそろ身体が痛くなってくる。しかし、明日にはきっと実家の慣れ親しんだベッドで眠れるのだと思えば、ここが最後のひと踏ん張りだと気合も出てくる。
「(大丈夫だ、今夜さえ、乗り越えれば……)」
明日の朝にはすぐに出ていけるよう、荷物はもう纏めてある。
あとは、たった一晩乗り越えればいい。それならば最近の寝不足のことも考えて、早く寝てしまうために白湯でも飲もうと、僕はケトルやティーカップの入った棚を開けた。
瞬間、香ってきた茶葉やコーヒー豆の匂いに、身体が拒絶反応を起こす。
「ッ、ぅ――――、っ!」
込み上げてきた吐き気に、僕は慌ててバスルームに駆け込み、洗面台に溢れ出てきた胃液を吐き出す。
「ごっほ、ッぅえ、えっへ、うぇ、げ――!」
喉を焼く痛みと、いつまで経っても収まらない嘔吐感に、耐えきれず水を飲んでは、再び吐き出す。びちゃびちゃと音を立てながら流れていくそれを遠目で見ながら、案外自分の精神というものは脆いのだと、僕はそう自分を傍観する。
Lに犯されたことなど忘れているつもりでも、しかし身体がしっかりと痛みと恐怖を覚えているらしい。ここ最近、どうしても吐き気が止まらないこともあれば、衝動的に何かを食べたくなることもある。
まったくもって、PTSD、心的外傷後ストレス障害そのものだと、口の端から苦笑が溢れる。
多くの犯罪者を殺してきて、精神は強くなったつもりだった。しかし、自分が被害を受ける側で負う精神的な負担には未だに慣れていないようだ。
そんな自分を嘲笑いながら、僕はふと顔を上げる。
「(酷い、顔だ)」
まるで死人のようだと、すっかり血色の無くなった自分の顔を見て、思う。
せめて、この吐き気だけでも止まってくれれば、もう少しましになるのに。
と、嘔吐感に意識を向けた、その時だった。
「……あ」
あの日、Lが何度も僕の腹部を触った感覚が、ふいに蘇った。
散々犯されたせいで最後に覚えていたのは下半身の痛みばかりだった。だから、Lが執拗に僕の腹部を撫でていた感覚なんて、すっかり忘れていたから、考えもしなかった。
だが、優しく撫で上げる指先の感覚が蘇って、あの日にLが僕に言っていた呪縛のような言葉が鮮明に、思い出してしまった。
そして同時に、憎たらしいほどスムーズな思考回路は、この嘔吐を別のものに結び付けてしまう。
「(これ、まさか、悪阻、か)」
気付てしまってからでは、遅かった。
一度そう思ってしまうと、もう、この吐き気を悪阻以外に結びつけるのが難しくなってしまった。
食べ物の匂いに強く反応するのも、異様な食欲を感じるのも、その全てが妊娠の症状と合致する。
「違う」
思い浮かんだ考えを否定するには、もう言葉にするしかなかった。
だが、音声で己の否定を聞いたところで、僕を苛む嘔吐感が消えることはない。
むしろ、悪阻というのが正解だとでも言うように、背後から僕を抱きしめる幻覚を覚えた。
「僕が、孕むはず、ない」
言葉でどれほど否定しても、背後に現れた幻覚は僕の腹部を優しく撫でながら、ここに孕んでいるのは本物だと訴えかけてくる。
今、後ろを振り向てしまえば、あるいは鏡に視線を向けてしまえば、あの黒い深淵のような瞳と、目が合ってしまう。
違う、あいつはたしかに死んだ。僕が殺した。どうして死んだ人間が此処に居るんだ。
だが、僕はその答えも知っていた。
「お前はもう、ここには」
居ないと言葉を続けようとして、僕の腹部を撫でる手が、衣服越しに指を力強く皮膚に突き立てる。
『私は今、貴方の胎に居ます』
言ったでしょう。私が死んでも、貴方が生きている限り、私は貴方と共に居ると。
きっと、Lは近いうちに自分が死ぬことを理解していたのかもしれない。
だからあいつはあの日、僕を犯して、何度も僕に言葉を囁いて、己の死への対策を取ったのだろう。
僕を孕ませるという、あまりにも理解し難い、けれど僕を捕らえ、僕の中で生き続けるには十分な方法で。
幻聴と共に、自分はここに居るのだという主張が、僕の胎を蹴る。
想像妊娠と表現するにはあまりにもリアルな胎動が、いつまでも僕にLという存在を訴えかけてきた。
そして僕は、いずれ死ぬその日まで、Lの妄執を孕み続けた。