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「リトライ・ライフ」
​1

 死んだ後に行くのは『無』ではなく、長年暮らしてきた実家の自室によく似た『あの世』らしい。

 

「なんだ、これ」

 

 少なくとも三発以上の弾丸に撃ち抜かれたはずなのに、特に痛みもしない身体から、自然と出てきた言葉に僕自身が驚く。

 視界に広がる、懐かしさを抱く、見慣れた天井は、どう考えてもかつて死神が語ったものとはほど遠い光景だ。

 なにが死んだ後に行くのは『無』だ。とんでもない嘘を教えていたのか、あの死神。元々、どこかいい加減で適当なところがあると思っていたが、仮にも死神という大層な名前を背負っているからには、ちゃんと死後の世界というものを把握しておいて欲しいものだ。

 などとリュークに対しての恨みつらみのようなものを抱きながら、これは走馬燈の一種かもしれないと、僕はしばらく呆然とする。

 

「生きてる、わけ、ないよな」

 

 僕はたしかにYB倉庫でニアに負け、松田に撃たれ、リュークに名前を書かれて、死んだはずだ。リュークのデスノートに、僕の名前が書かれていたのを確かに見た。己の心臓が止まる瞬間の苦痛を覚えている。そして何より、ノートに書かれたことは決して覆らないことは、僕が一番よく知っている。

 それなのに、どうして再び意識を取り戻して瞼を開けた途端、自室のベッドで眠っているのだろうか。やはり死ぬ間際に見る、走馬燈のような幻覚の一種か。だとすれば死ぬ間際に見る光景が、実家の自室というのはいったいどんな深層心理なのか。

 と、他人事のように自分の心を分析していた時だった。コンコンとドアをノックする音に起き上がれば、ドアの向こうから母さんの声が聞こえた。

 

「月、いつまで寝てるの? 早く起きて支度しなさい」

 

 ここ最近は電話越しでしか聞いていなかったその声に怒られた瞬間、なんとも言えない懐かしさが込み上げてきた。ああ、そういえば、高校の頃にはこんな会話もしていた。ほんの数年前のことだが、今となっては決して手の届かない、懐かしい光景だ。

 自分の脳が作り出した幻影にどこまで付き合ってやるべきか悩ましいかぎりだったが、このままベッドで呆然としているのも暇だと、僕は寝起きのスッキリとした身体を起こし、部屋を見回す。

 その時、棚の中にある時計に目が行き、気付いてしまう。

 

 

2003.11.28 7:02

 

 

 ディスプレイに表示されたその数字に、僕はまさかと目を見開く。

 だが、何度見ても間違いない。今日は僕が高校三年生だった年の、11月28日。

 忘れるわけもない、僕がデスノートを拾った日であり、僕の運命が変わった日でもある。

 

「まさか、本当に……?」

 

 思わず時計を掴んだ手が震える。

 デスノートを拾う日に、時間が戻ったとでも言うのか。ありえないと切り捨てるのは簡単だったが、しかし僕はずっと『名前を書いたら死ぬノート』などという『ありえないもの』を使ってきた。

 であれば、僕の時間が巻き戻り、こうしてノートを拾う日に戻ってきたのも、ありえてしまった事なのか。

 

「はは、はははは……っ!」

 

 思わず、笑いが零れる。

 これが現実であれば、僕は間違いなく最強だ。

 今の僕はすべてを知っている。この後世界がどう動くのかも、警察がどのように動くのかも、そして――Lがどのように動くのかも全て知っている。それどころか、僕はLの顔も本名も知っているのだ。ノートさえ手に入れば、すぐにLを殺すことが出来る。

 願わくば、僕の死ぬ数日前。高田がまだ生きている頃に戻っていれば、事はもっと簡単だった。高田を通して魅上に、僕は自分でもノートの切れ端を持っているから、いざとなればそれで対応する。絶対に最後の日までノートを取り出すな。と伝えるだけで、僕はニアに勝つことが出来る。否、そもそもSPKメンバーの名前も顔も全て分かっているのだから直ぐに捜査本部もろとも殺してしまえば28日を待たずに全てが終わる。

 そうすれば最小の労力で僕は新世界の神になれていたのだが、贅沢なことは言っていられない。それに最初から出来るというのであれば、僕はもっと完璧にキラとして活動できる。切り捨ててきた、多くのものを手にしながら、同時にキラとして新世界を作ることが出来るのだと、興奮が身を包んだ。

 

「月、まだ寝てるの?」

 

 しばらくしても僕が部屋から出てこなかったせいだろう。仕方ないといった様子で母さんがドアを再びノックした音に、僕は急いで久しぶりに見る制服に着替えてドアを開けた。

 

「おはよう。昨日、夜更かししちゃってね」

「もう、勉強熱心なのはいいけど、ちゃんと寝なくちゃ駄目よ?」

 

 高校時代の自分を思い出しながら子供らしさを装えば、母さんは仕方ないんだからと言った様子で微笑んだ。その母さんの姿に、死ぬ前、最後に顔を合わせたのは日本に帰国した時だったかと、今よりもずっとやつれていた姿を思い出す。

 そして同時に、僕はこの後見るであろう姿に、ちゃんと動揺せずに居られるだろうかと、気を引き締めた。

 階段を下りて洗面台に向かう途中、想像した通りその姿が見えて、僕は不自然な声色にならないように必死に気を付けながら、声をかけた。

 

「おはよう、父さん」

「あぁ、月、おはよう。珍しいな、お前が寝坊なんて」

 

 朝日の降り注ぐダイニングテーブルから、こちらに振り向く、その姿。

 今となっては懐かしい父さんの存在に、ああ、今は本当にデスノートを拾う前の己なんだと、改めて感慨を抱く。

 いつものといった様子で、新聞を片手にコーヒーを飲んでいる光景は、僕が何度も見てきた父さんの姿だ。父さんは朝にブラックのコーヒーを飲むが好きで、Lと捜査本部のビルに居た時も、渡米した時もその習慣は変わらなかった。だからずっと父さんと一緒に捜査をしてきた僕も、コーヒーを飲む時は砂糖を入れないブラック派だった。その味を美味しいと思えるようになった頃、一歩憧れの父さんに近づけたと嬉しさを感じたこともあった。

 なんて、感傷じみた思い出が沸いてきて、僕は目の奥が熱くなるような気がしたので、すぐに洗面所に向かい顔を洗い始める。冷たい水は程よく僕の頭を冷やしてくれて、顔をタオルで拭く頃には、もう何にも動揺しない冷静さを取り戻していた。

 

「あ、お兄ちゃんおはよー。今日は私の方が早起きでしたぁ」

 

 僕がダイニングテーブルに付けば、既に朝食を食べていた粧裕が、どこか自慢げにこちらへ視線を向けた。その幼い粧裕の姿に、この頃はまだ中学生かと、すっかり精神を病んでしまった姿を思い出して、思わずぐちゃぐちゃと頭を撫でてしまった。

 

「そういうのは、普段の僕より早く起きてから言うんだな」

「あー! もう、止めてよお兄ちゃん!」

 

 せっかく整えたばっかりだったのにと不貞腐れながら髪の毛を直す粧裕を見ながら、僕は母さんの用意してくれた朝食のプレートを受け取る。温かな湯気の漂うスクランブルエッグは母さんが朝に作るいつものメニューだったなと、ほんの些細な事ばかりが気になってしまった。

 

「二人とも、遊んでると本当に遅刻しちゃうわよ」

「粧裕はともかく、僕が遅刻なんてしたら先生に心配されそうだ」

「ちょっと、私はともかくって、お兄ちゃん酷くない?」

「だが、粧裕。よく遅刻ギリギリだと保護者面談で言われたと聞いたぞ?」

「えぇ、お父さんまで……お母さん! 秘密にしてって言ったでしょ!」

 

 他愛もない、けれど穏やかな会話が続く、家族四人が揃った食卓の中。僕は今日この日に戻ってこれたのは、本当に奇跡だと、己の身に起こった事を噛み締める。

 たしかに、ニアとYB倉庫で会う数日前に戻っていれば、僕はすぐにでも新世界の神としてこの世に在ることが出来ただろう。魅上という優秀な目を持ち、ニアやメロという邪魔者が消えた、キラが世界に認められた世界。

 だが、そこに辿りつくまでに僕は多くのものを失ってしまった。その中でも特に僕の心を大きく苛んだのが、今目の前に居る、家族の平和な日常だ。

 父さんは死に、粧裕は心を病んで、母さんは心労のあまり酷く窶れてしまった。

 僕は家族のような、善良で心の綺麗な人達のためにキラを目指していたというのに、結局僕はキラとして動くため、その家族を犠牲にしてしまった。なんて本末転倒なのだろうかと、今になって己の人生を振り返ってみて思う。

 

「月、しょっぱかったかしら?」

 

 考え事をしていたせいでまったく食が進んでいなかった僕に、母さんが首をかしげながらそう尋ねてくる。

 ああ、なんて、普通で幸せな日常だろうか。と、僕はなんでもないように笑みを張り付けながら、しかし心の中では確固たる決意を固めて、口を開く。

 

「ううん、大丈夫。いつも以上に美味しいよ」

 

 今回こそは必ず、父さんに母さん、粧裕を犠牲にせず、僕は新世界の神になってやる。

 

 

 

 

 デスノートを手に入れる前の自分がどれほど退屈だったのか、思い出すのに数時間もかからなかった。

 懐かしい通学路を辿り登校して、クラスメイトとの雑談もほどほどに授業を受けてみれば、気が狂いそうになるほどの退屈が僕を支配した。ただ英文をぼそぼそと教師が読み上げるだけの段取りの悪い授業に、どんな英文であろうとすぐに回答できるからと都合よく名前を呼ばれ日本語訳を求められる光景。アメリカで捜査していたという経験があるにしても、よくこんな退屈な授業を長年受けてきたと思う。無論、それは英語という科目に限らないが。

 

「(高校時代の僕をどの程度演じることが出来るか不安だったが、これなら楽勝だな)」

 

 友人関係は少し雑談をしてみれば、連鎖的に名前や性格を思い出すことが出来た。勉強についても同様だ。よく大人になれば受験勉強なんて忘れると言うが、僕に限ってはそんなこともなく、少しノートを見返せばすぐにこの頃の授業範囲を思い出した。試しに教科書や参考書を捲ってみたが、どれも安易に理解出来て回答もすらすらと出てくる。これならば以前の通り、東大主席入学も難なくこなせるだろう。

 

「(優等生の夜神月を演じるのはこれでいい。あとは、ミサの扱いをどうするか、だ)」

 

 常に僕に甘えるような視線を向けてきた彼女の姿を思い出して、苛立ちに苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてしまう。

 僕がある意味でLよりも厄介だと思った人間は、思えばミサが初めてだ。それほどミサは僕にとって不安要因すぎる。ミサがノートを手に入れた経緯は知っているから、ジェラスという死神がミサのストーカーを殺す前に僕がそいつを殺してしまえば、ミサがノートをレム経由で受け取ることは無くなる。否、もっと簡単な話として、ノートを受け取る前のミサを殺してしまえば全てが片付く。だが、すぐに殺してしまおうと決断できないほどに、ミサというのはいい駒でもあった。

 僕に対して従順で盲目的であるという点もあるが、何よりあいつは簡単に死神の目を取引する。

 今後キラとして活動していく上で死神の目は絶対に欲しいが、死神と目の取引が出来るのは、ノートの所有者だけだ。そうなるとこれから僕が拾う一冊のノートだけでは、誰かに所有権を譲渡して死神の目を得る必要がある。だが、問題は所有権を破棄することによる記憶の喪失だ。僕はノートを所有していない現時点で既にノートについての記憶を持っているが、今後僕以外の人間に死神の目を持たせる際、ノートの所有権を譲渡して今の記憶を維持できるかは不明だ。

 そうやって考えていくと、二冊目のノートというのは実に魅力的だ。さらに言えば、以前のように上手くレムを殺すことが出来れば三冊目のノートも手に入る。何より数年後、僕がこれから拾うノートをシドウが取り返しに来ることも考えて、元の所有者である死神が居ないノートというのは必須だ。リュークを殺してノートを奪うことも考えたが、あいつは人間を思ってノートを使うようなタイプじゃない。

 

「(他に死神を殺す方法があればあるいは……否、そんな可能性にかけるよりも、確実にミサのためなら死ぬと分かっているレムを利用するほうが間違いないか)」

 

 僕以外に誰もノートの存在を知らないメリットと、三冊目を手にするメリットを天秤にかけながら、幾つものパターンを考えていた時だった。

 ずっと窓の向こうに、今か今かと視線を向けていたおかげで、僕は真っ黒な表紙をしたそれが突然姿を表し、校庭に落ちていく様を見ることが出来た。

 

「(来た……デスノートだッ!)」

 

 今すぐにでも体調不良だと適当に理由をでっち上げて、ノートを拾いに行ってしまいたい衝動に駆られる。僕以外にあのノートを拾う人間はいないと分かっていても、バタフライエフェクトのように何かのきっかけで誰かがノートを手にする可能性が僅かでもあることに、精神がおかしくなりそうだった。

 しかし、ここで目立った行動をするわけにはいかない。今度こそ僕は、誰にも気付かれることなく、完璧にキラとしての使命を遂行しなければならないんだ。

 だから今は我慢だと、常に視界の中にノートを入れながらも、僕は早くこの退屈な時間が終わってくれと祈るように目を伏せた。

 

 

 

 ようやくの下校時刻に、僕は早足にならないようにと意識しながら、デスノートが落ちた場所へと足を向ける。

 そして、記憶と違わぬ場所に落ちているノートに酷く安堵しながら、僕はさも偶然を装って、真っ黒な表紙をしたノートを拾い上げた。

 久しぶりに手にする、何の変哲もない、けれど確かな力を持つそれに、僕は必死に口がにやけるのを抑える。

 

「(やった……ッ! これで、僕は、今度こそ!)」

 

 ノートの表紙を開きながら、僕は授業中に考えていた校舎裏の目立たない場所へと足を向けた。そこは資料室へと続く誰も立ち寄らない廊下で、部活や下校中の喧噪が遠くに聞こえるだけで、誰の目もない。それでも誰かに見られているわけにはいかないと、僕は何度も周囲を確認してから、ようやく安心してスクールバッグの中からボールペンを取り出した。

 まだ何も書かれていない、ノートの真っ白な一番最初のページに、視線を落す。

 そして、何のためらいもなく、僕はその名前をノートに書き込んだ。

 

 

『L・Lawliet』

 

 

 レムが残したノートに書かれた、その名前。

 あいつの本名を素早く、けれど丁寧に、ノートに書き入れる。

 最後の一文字を書き入れた瞬間、訪れた歓喜と興奮に、僕はノートを抱きしめたまま小さく笑い声を上げた。

 

「はは、あははは……ッ! やった、やってやった! 僕の完全勝利だ……!」

 

 あと数十秒後に、Lは心臓麻痺で死ぬ。

 キラ事件に関わることもないまま、その存在すら知らずに、あいつは死ぬ。この世から消える。誰も世界の切り札の突然死を僕と結びつけることなど出来ない。出来るわけがない。

 これでLを殺してしまえば、残るのはニアとメロだが、この二人も今の居場所は分かっている。キラがまだ居ない世界で、ワイミーズハウスと呼ばれる特殊とはいえ、ただの養護施設のセキュリティを破るなど容易い。キラ事件が起こる前であれば、養護施設に居る子供たちのデータにもアクセス出来るだろう。仮に出来なくとも、養護施設の職員を一人をノートで操れば写真など簡単に手に入る。

 そうすれば、もう僕の邪魔を出来るものなど、存在しない。

 

「……まぁ、お前と勝負出来ないのは残念だけど」

 

 ふと、己が書いたLの名前を見下ろしながら、心の中に沸いてきた歓喜とは異なる感情に、僕は少しだけ残念だと空を見上げた。

 Lとの戦いは僕にとって、多くの屈辱を味わう事となった、厳しい戦いだった。今でも、どこか一つでも間違えていれば僕の方が負けていたかもしれないと思う。

 そんな緊張感を、そして勝利の喜びを与えてくれたのは、Lだけだ。あいつだけが、僕の人生の中で特別だった。

 そんな相手を出会う前から殺すことに、躊躇いが無いと言えば嘘になる。

 だが、僕はもう決めた。父さん達を悲しませないよう、完璧な状態で、僕はキラになる。

 そのためには、やはりLは邪魔だ。此処で殺しておくのが、一番最適な方法なんだと、自分を納得させるように頭の中で繰り返していた――その時だった。

 

「分かっていましたが、こうも躊躇なく私の名前を書かれるとは、悲しいような気がしますね」

 

 背後から聞こえた声に、そんなことがあるはずないと、僕は振り返る。

 違う、あいつがここに居るわけがない。あいつとの出会う前の別れを惜しんだ僕が聞いた、ただの幻聴の類に決まっている。

 けれど、数年ぶりに聞こえたその声色はどこまでも鮮明で、本当に僕の鼓膜を震わせていた。

 その証拠に、振り返った先に居たのは、かつて僕が死を看取った男の姿そのままだった。

 

「なんで――、っ」

 

 お前が此処に居るんだと、問いかけようとした瞬間。

 背後に誰かに回られた気配と、首元にやって来た衝撃と共に、僕の意識は一瞬で暗闇へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 意識が戻って最初に視界に入ったのは、真っ白な天井だった。

 あまりにも無機質な光景は、今朝自分の部屋で見上げた慣れ親しんだ天井とは大きく違って、確かにこの真っ白な天井ならば、死んだ後に辿りついたのが『無』だというのも納得できていただろう。

 ふらふらする身体で起き上がれば、とてつもない吐き気が全身に襲い掛かってきて、思わず口元に手を伸ばす。はずだったのだが、右手の引っ張られる感覚に、僕はようやく自分が手術台のようなベッドの上で両手を拘束されていることに気付いた。

 

「これは……」

「おはようございます、月くん」

 

 現状を把握する前に、そう名前を呼ばれる。

 やはり意識を失う前に見たものは間違いなかったのだと、僕はその聞きなれた声のする方向へ顔を向けた。

 

「久しぶりですね。元気そうでなによりです」

 

 そこに居たのは間違いなく、Lだった。

 全てが白一色で統一された部屋の中、Lはカラフルなドーナツを頬張りながら、いつもの姿勢で椅子に座っていた。それは数年前に見ていた姿とまったく同じで、そういえばLはこんな男だったと、僕にあの日々を思い出させるには十分だった。

 そして、Lが今日本に居ること、何より僕に向けて『久しぶり』だと告げたことで、僕は全てを悟った。

 

「L、お前、まさか……」

「はい、月くんの想像通り。私にも記憶があります」

 

 やはりそうかと、僕は思わず天井を見上げた。

 僕をこうして捕まえる準備が出来ていた時点で、Lに記憶がないわけがない。だとすれば、僕が拾ったノートはLが用意した偽物のノートだったのだろう。ずっと僕を見張っていたのならば、僕が落ちたノートを拾いに行くまでにすり替える時間はいくらでもある。また偽のノートに引っかかって僕は負けたのかと、死んだ時の記憶がフラッシュバックして思わず奥歯を噛み締めた。

 世界中の警察を動かせる立場であり、多くの金とコネがあるLならば、たとえ一日しか時間がなかったとしてもこの程度準備するのは簡単なことだったのだろう。ならば、キラが僕でノートが凶器だと知っているLに、勝ち目などない。

 

「お前まで記憶があるとは想定外だった」

「そうですか、私はすぐに思いつきましたが。やっぱり月くんは、自分が圧倒的に優位だと確信した途端、考えが甘くなりますね」

 

 相変わらずですと笑うLの表情に思わず苛立ちを感じたが、ここで怒るのは逆切れだろうかと必死に冷静さを装う。そもそも僕の記憶があろうとなかろうと、お前は僕がノートを拾うのを阻止する以外に道はないだろう。と、得意げにこちらを見つめてくるLを睨んだ。

 

「まぁ、とは言っても、私の場合は月くんより得た情報が多かったのでこの考えに至ったのですが」

「僕よりも?」

 

 死ぬ前の記憶がある。という時点では、僕もLも情報としてはイーブンのはずだ。

 ならばLにはもっと有利な状況があったのかと僕が考えていると、Lは紅茶に砂糖をどぽどぽ投入しながら頷いた。

 

「はい、ワタリにも、死ぬ前の記憶があったので」

 

 もしもワタリの記憶が無ければ、私も貴方に記憶が戻っているという前提では動けなかったでしょう。と語るLに、僕はどういう意味かと考えを巡らせる。

 Lとワタリ、そして僕が記憶を取り戻している。

 この三人の共通点、死ぬ前の共通点、死んでからの共通点。

 否、死そのものの共通点か。と、僕はLが至ったであろう解に気付く。

 

「死神にデスノートで殺された人間、か」

「……やはり、月くんは理解が早いですね」

 

 事実上の肯定。たしかにLの考えた通り、僕もLもワタリも死神に殺されている。Lとワタリはレムによって、僕はリュークによって。

 どんなルールや因果があるのかは推測の域を出ないが、死神でも知ることの出来ないルールがデスノートにはある。その内の一つが、死神によってデスノートに名前を書かれ死んだ人間は記憶を持ったまま過去に戻る、というものなのだろう。死神が年間何人の人間を殺しているかは知らないが、怪しい未来予知だの前世の記憶だのと言い出す奴らは、案外死神に殺された人間なのかもしれない。

 しかし、Lがその解に至れたのはおかしいと、僕は食って掛かるようにLに向かって叫んだ。

 

「どうしてお前が、僕の死因を知っている」

 

 Lは僕よりも前に死んでいる。当然だ。Lを殺したのは僕なのだから。

 だから、Lは僕がどうやって死んだかなと知らないはずだ。あのYB倉庫で、リュークに命乞いをしながら、そしてノートに名前を書かれた僕のことなど、すでに死んでいるはずのLが知るわけもない。

 だが、僕を嘲笑うかのように、Lはニヤリと口角を上げながら砂糖水のような紅茶を口にすると、面白かった映画を語るような様子で話し始めた。

 

「私にもあそこが何処だったのか分からないのですが……。死んだ後、私はずっとこの部屋のような真っ白な空間で、貴方のことをモニター越しに見ていました」

「……本当に、死後の世界なんてものがあったと?」

 

 それこそ信じられないと思ったが、しかし、既に記憶を持ったまま過去に戻るなどという超常現象に見舞われているせいか、Lが死後も僕を見ていたという話を否定する気は起きなかった。

 

「あのプライドが高い月くんが無様に血に塗れて叫ぶ姿は、なかなかに見ごたえがありました。よろしければ命乞いまで含めてもう一度、目の前で実演してみてほしいんですが……」

「誰がするかよ。そもそも、ずっと僕を見ていたって、他にすること無かったのか? 散々僕を観察しておいて、死んだ後もまだ観察を続けていたなんて、お前はやっぱりどうかしてるよ」

「ええ、貴方の行く末以上に、知りたい事などありませんでしたので」

 

 一途でしょうと笑ってみせるLに、その瞳に奥に燃えるように内在している僕――キラへの執着に触れるような気がして、一瞬だけ恐怖が身を締め付けた。

 いっそ、貴方を見ていたのではなくて自分の後継者を見ていたら、貴方を無事追い詰めていたので知っているんです。とでも言ってくれた方が良かったが、Lがそう言い出す気配はどこにもなかった。

 

「と、まぁ、以上のことから月くんにも記憶が戻っている可能性を考え、すぐに日本に飛びました。キラによる最初の殺人、立てこもり犯、音原田九郎が死んだのは2003年の11月28日。となると、キラはその数日前にはデスノートを手にしていた。今日が月くんがノートを拾ったと想定する最終日でしたが、中々拾う様子が無かったので、もう既に拾ったのかと不安でした」

「お前の口から『不安』なんて弱気な言葉を聞く日が来るとは思わなかったよ。そもそも、僕がノートを拾ったら、真っ先にお前の名前を書くことぐらい分かってただろう? なら、自分が死んでいないんだから、僕がまだノートを拾っていない確信があったはずだ」

「いえ、その辺は、月くんは用心深いですから私を殺すのにもうちょっと時期を見て慎重になる可能性があったのと……友達相手ですので、もっと殺すのを躊躇ってくれるかと思っていたんですが」

 

 それなのに、随分とあっさり名前を書かれてしまってショックですと、まったく思ってもいない様な口調で語るLに、何を言っているのかと苛立ちが募る。

 だが、それはLも同じようで、Lはとても不機嫌な様子で拘束された僕の上に、馬乗りのような形で迫ってきた。

 

「本当にショックです。傷つきました」

「……一度お前を殺している僕に向かって、何言ってるんだよ、L」

 

 そもそも友達というのだって、あれはあくまで互いを騙し合うための言葉であって、本気で友達だと思ったことなど一度だって無かっただろうに。

 それは僕とLの共通認識だと思っていたが、まさか本当に友達のつもりだったのかとLの顔を覗き込んでみるが、その真っ黒な瞳からはどうにも真意が分からなかった。

 

「それで……お前は、善良市民である僕をどうするつもりなんだ?」

「人類史上最悪の殺人鬼である『キラ』が善良市民を自称しますか」

「たしかに死ぬ前の僕は多くの犯罪者を殺した『キラ』だったかもしれないが――今は『キラ』なんてどこにも居ないだろう?」

 

 ニヤリと微笑みというには凶悪な感情を携えながら、僕はそう純然たる事実を告げる。

 そう、この世界に、まだキラは存在しない。僕はまだ、誰一人として殺していない。

 現時点で僕に罪があるというならば、せいぜいLを殺そうとした殺人未遂だろうが、しかしそれだってLが用意した偽物のノートに名前を書いたという、とても司法で殺人未遂を成立させるようなものではない。

 つまりLは今、僕をこうして捕まえたところで、何一つ罪に問うことが出来ない。それどころか、今の日本の法律で見れば、僕をこうして捕らえている時点で監禁罪が成立するのだ。この状況であれば、Lの方が立派な犯罪者だと言えるだろう。

 

「僕はまだ何もしていない。お前は僕を処刑台に送ることは出来ない」

 

 結局僕を捕まえたところで意味がない。これなら、僕が数人犯罪者を裁くまで捕まえるのを我慢しておくべきだったなと笑っていると、Lはさして気にしていないといった様子で口を開いた。

 

「はい、そうですね。私も月くんを司法に引き渡せるとは思っていません。なので私は、私自身が犯罪者として、月くんを誘拐することにしました」

「は?」

 

 あっけらかんとした様子で僕にそう宣言したLに、思わず間抜けな声が出てしまう。

 けれど同時に、たしかにあのLならば、なんの躊躇もなく犯罪行為と知りながら僕を誘拐くらいするだろうなと納得してしまった。

 

「申し訳ありませんが、月くんを二度と家に……いえ、二度と日本に帰すつもりはありません。このまま月くんには一生、私の監視下に居てもらうことになります」

「待ってくれ! 僕はもうノートを持っていない。お前がノートを燃やせば、僕はもう犯罪者を裁くことなんて出来ない。そんな僕をずっと捕らえていく必要が本当にあるのか?!」

「貴方が本当はもっと前に記憶を取り戻していて、尚且つ自分以外にも記憶を取り戻している人間が居ると想定していた場合もあります。その場合、偽物のノートを用意しておき、一度ノートを奪われたフリをしておいて、開放されほとぼりが冷めた時点で隠していたノートで私を殺す可能性もありますので。事実、私はノートに触れましたが死神の姿が見えません」

 

 それは、リュークがノートを落してから五日ほど誰が拾うか待っていたからだ。僕にだってリュークの姿は見えていない。

 そもそも仮に僕がLの言う通りもっと前に記憶を取り戻し、Lにも記憶が戻っていると気付いていたとすれば、ノートを拾ってから真っ先にLの名前を書くわけがない。偽物のノートをわざと拾い、チラリとノートを確認する素振りを見せてから、興味がないと捨ててしまえば僕への疑いは消えてしまうのだから。

 それくらい、Lは分かっているだろうに、それでも未だにLの視線からは僕を疑う色が消えることは無かった。

 

「貴方が今、ノートを隠し持っていないのは確認済みです。直腸や尿道の中、それから胃の内容物にもノートの切れ端は見当たりませんでした」

 

 そんなところまで調べていたのか。通りで起きてから気持ち悪いわけだと、僕は自分の身体を見下ろす。

 その時、今更ながら気付いたが、どうやら僕が気を失っている間に全て脱がされていたらしい。患者衣に着替えさせられているが、その下には何も着ておらず、下着すら身に着けている気配は無かった。ここまでしておいて未だに僕を疑うとは、この男は本当に限度というものを知らない。

 

「月くんの制服や鞄の中身については、全部解体して調べた後に焼却処分しました。まぁ、もう高校に通うこともないのでかまいませんよね」

「そこまで調べてるなら、僕がノートをもう持ってない事ぐらい分かってるだろ」

「はい、現時点では間違いなく。しかし、本物のノートを家やその周辺に隠している可能性もありますし、弥海砂が手にする予定のノートもあります。月くんであれば弥海砂がノートを手に入れた経由も知っていて奪うことも出来るでしょうし、以前あれほど月くんに惚れていたミサさんですから、今回も月くんに惚れてノートを渡しかねない」

 

 そこは、正直に言って指摘されると痛い部分ではあった。

 もしも今開放されれば、僕はなんとかしてミサからノートを回収していただろう。そして今度こそLを殺していた。あるいはレムという絶対にLを殺すことの出来る、死神という存在に殺してもらう流れを作っていた。そうやって次の策を練っていたことは否定できない。

 しかし、Lのこの警戒は、たとえミサという選択肢が無かったところで、決して消えるものではないことは、僕を見つめる瞳からよく分かった。

 たとえどれだけ僕が潔白を証明しようと、Lは僕を疑うのを止めない。

 かつての戦いでそうであったように。

 あの時は本当に僕は『キラ』だったのだから、Lの目を誤魔化すことは出来ないというだけだったが、今は違う。

 僕は本当に、もうノートを持っていない。

 それでも、Lは僕がかつての『キラ』であったとう時点で、決して僕のことを信用などしないのだろう。

 

「……本当に、僕を開放するつもりはないんだな」

「はい。夜神月には、よくある行方不明事件の被害者の一人になってもらいます」

 

 頑ななLの決断に、僕はそうかと、小さく息を吐き出した。

 僕だけに記憶があったならば、僕は誰にも負けることはなかった。けれど、Lにも記憶があるのでは、僕はもうどれだけ抗っても無駄だ。

 相手は世界の警察を動かすことが出来る、犯罪行為などに罪悪感を抱かない、世界の切り札。

 一方の僕は、デスノートという武器を持たない、頭脳はLと同等であっても、世間的に見ればただの高校生。

 そして、このまま僕はどことも知らぬ場所に連れていかれ、死ぬまで監禁される。

 Lがそうすると決めたのであれば、本当に僕は一生開放などされないのだろう。こいつがそういう男だということは、きっと僕がこの世の誰よりも理解している。

 それならば、まだ監禁の状況等に対して要望が通りやすいよう、従順な態度で居たほうが今後の人生のためにもいいだろうと、僕は分かったと小さく呟いた。

 

「お前の……Lの言う通りにする。だから……たのむから、家族が納得できる形にしてくれないか?」

 

 Lに一生監禁される上で、要求したいことは山のようにある。

 だが、今朝、家族のなんでもない幸せそうな日常を見たせいだろうか。まず初めに考えたのは、あれを出来る限り崩したくないという思いだった。

 一方で、Lは僕の要求を何か裏でもあるのかと疑っているようで、鋭い視線で僕を射抜きながら首を傾げた。

 

「お宅の息子さんは将来的に世界を揺るがす大犯罪者になるので、こちらで監禁させてくれませんか。と、私がLだと名乗った上で説得しろとでも?」

「違う。ただ、失踪事件にするにしても、僕は普段の素行が良かったから……父さん達に、まだ僕はどこかで生きているという期待を抱かせて、ずっと捜索させることになる」

 

 もしもこのまま僕が忽然と姿を消したとして、家族が夜神月は死にましたとすぐに受け入れられるわけがない。

 決して見つけることの出来ない僕の捜査しつづける父の姿や、僕の顔写真が載ったビラを何年も配り続ける母や妹の姿が、安易に想像できてしまう。死んでいると分かっていれば、悲しむことにはなるだろうが、もう二度と戻ってくるものではないのだと、諦めることが出来る。そして、諦めた末に、次に進むことが出来るのだ。けれど、下手に希望を残したまま消えてしまえば、見つかるわけがないものをずっと探し続けてしまう。永遠に、僕が戻ってくるなどという幻想に囚われてしまう。それは僕の死を告げられるよりも、ずっと残酷な話に思えた。

 

「僕は家族を不幸にしたくないんだ」

 

 だから頼むと頭を下げる僕に、Lは目を見開き不思議そうな顔でしばらく見つめたかと思うと、唖然とした様子で口を開いた。

 

「月くん……貴方、キラなんてものになっておきながら。家族を不幸のどん底に突き落としておいて、幸せになってほしかったんですか?」

「ッ――――!」

 

 Lの言葉に、思わず胸倉を掴もうとして、鎖に動きを止められる。

 自分が拘束されていた事を忘れていたのも癪だが、何より、Lが本当に不思議だといった様子で僕を見つめるのが我慢ならず、僕はLを殺すつもりで睨みつけた。

 

「僕はずっと、僕の家族のような善良で心優しい人達が幸せになるのを願ってきた! だから、僕はキラになった!」

「その割には、貴方がキラになったせいで随分と不幸な家族になってしまったようですが。妹さんの誘拐に、夜神さんの死。全て、貴方がキラになったから起こったことでは?」

 

 それなのに僕が怒り狂うのはあまりに滑稽な姿だと、Lは僕言葉が本気なのかと疑いの眼差しのまま、こちらを観察していた。

 僕がキラになる為の意思を捨てていないだとか、ノートを未だにどこかに隠しているだとか、そういった疑いを持たれるのは別にいい。そこまで警戒されなければ僕としても拍子抜けだ。

 けれど、僕がキラになった根本を疑われるのは、動機を疑われることだけは、あまりにも不快だった。

 たしかに、Lの言うことは事実だ。悔しいがそれは認めよう。

 だが、それはあくまで結果論であって、僕が望んでいたわけではない。僕が、家族の不幸を願っていたなど、ありえない。

 

「僕は……本気で世界を変えられると、善人のための新世界を作ることが出来ると考えていた。今でも、間違っていたなんて思わない。本気で、父さんも母さんも、粧裕も、幸せに、悪人に人生を邪魔されることなく暮らしていける世界を作りたかった」

 

 僕の断言に、Lのどこまでも暗い瞳は、じっと僕を見定めるように向けられていた。

 やがて、何かを諦めたように、Lは珍しく感情的なため息を吐き出す。

 

「…………そうですか。現時点では無罪の貴方を一生監禁して未来を奪うことに、私なりに罪悪感なんてものを抱いていたのですが――今確信しました。私の選択はなにも間違っていない」

 

 長い沈黙の後に、そう確信を持った様子で僕に告げてきたLの姿に、やはり僕らは互いに理解し合うことなど絶対に出来ないのだと悟る。

 僕が僕である以上、LがLである限り、僕らの意見はどこまでも平行線で交わることも寄り添うこともない。

 分かりきった事をお互いに再確認したところで、Lは僕から視線を外すと、のろのろとした動作で僕の上から退き、再びソファへといつもの姿勢で腰掛けた。

 

「貴方の思想は理解できませんが、ご家族に心配をかけたくないという意思は尊重します。なにより、夜神さんの性格と執念であれば、何かの切欠で本当に貴方を追って私に辿りついてしまうかもしれない。なので、ある程度『優等生の夜神月が家出するに相応しい理由』の案は考えてあるので安心してください」

「……ああ、それはどうも、感謝するよ」

 

 互いの相容れない考えは今は隅に追いやるとして、重要なのは家族に心配をかけないことだ。家出という時点である程度の心配をかけてしまうだろうが、少なくとも突然の行方不明よりはマシなはずだ。だから、今はLの言う案とやらを聞いてみようと、いったいどんなものかとLに問いかける。

 

「それで、どんな案なんだ」

「そんなに大したものではありません。と言うより、以前月くんを監禁した時と同じ理由にしようかと」

 

 なんでもないように告げられたLの言葉に、以前の監禁の時はいったいどんな理由で母さんと粧裕に説明していたのか思い出して――僕はまさかと、思わずLを凝視した。

 

「おい、同じ理由って……!」

「はい、恋人との駆け落ちということにしようと」

 

 おい、マジか。と、唖然としている僕の一方で、Lはこの案に何か不満なことでもあるのかと、平然とした面持ちで僕のことを見つめる。

 

「以前もこの理由で数ヶ月の監禁、監視を行いました。何か問題点でもありますか?」

「駄目だ。さすがに、今の僕でその理由は……」

「数か月後の月くんでは大丈夫で、今の月くんでは難しいというのが、私にはよく理解できませんが」

 

 本気でよく分からないといった様子で首を傾げるLに、この社会性が皆無な男の常識に期待するなど馬鹿げていたと後悔する。

 たしかに、あの時はミサとの同棲を堅物の父さんに認めてもらえず、抵抗するためにしばらく連絡が取れない。という名目にして、長期間の不在の言い訳を作った。

 だが、それは僕が大学生という、ある程度の自由が認められる年齢と立場になったからだ。

 一方で、今の僕は卒業間近とはいえセンター試験を控えた真面目な受験生だ。親からも世間からも、駆け落ちのために家出なんてものがそう簡単に受け入れられるわけがない。特に、このまま順風満帆な人生を歩むと思われている僕では、かなり。

 

「そもそも、あれは事前に、母さんと粧裕にミサを恋人だと紹介していたから通じたんだ」

「無論、その点は理解しています。なので、月くんには秘密の恋人が居たことにしました」

「秘密の恋人? 誰だよ、それ」

「私です」

 

 Lの言葉に、今度こそ僕は絶句した。

 何かの聞き間違いかと己の耳を疑ったが、違う。こいつは、目の前の男は、今たしかに、僕の『秘密の恋人』は自分だと言った。

 Lはいったい何を考えているんだと、突然の事に一切思考が追いつかない。そんな混乱の最中に居る僕に、Lは懇切丁寧にといった形で、どうして自分を恋人にするに至ったかを話し始める。

 

「夜神月には、家族にも友人にも秘密の恋人が居た。何故なら相手は、年上の、同性の恋人だから。昔ながらの堅物の父親相手では、自分の性的指向を話すことも、年の差がある恋人を打ち明けることも出来なかった。けれど恋人を諦められない夜神月は、恋人に誘われるまま駆け落ちを選んだ。十分に筋が通る理屈です」

 

 異議を挟む暇もないまま一方的に告げられた言葉に、両手が自由に動いていれば頭をかかえていただろう。

 何故頭を抱えたいかといえば、Lのとんでもない案そのものに対して。なのだけれど、一番悩ましいのは、Lが語った理由が、理屈としてはおかしな部分はない事、見当たらない事だった。

 父さんや母さんは同性愛なんてすぐには理解出来なさそうだし、息子が実は同性愛者でそれを隠していた。というのは、たしかに納得が出来る。どうせ理解してくれないなら、言ったところで認めてくれないなら、強硬手段に出るというのも、人間の心理として不思議ではない。

 否、待て、僕までLの言葉に納得してどうする。このままだと本当に、Lが僕の恋人だったという体で話が進んでしまう。それはどうにも嫌だと、僕はなんとかしてLの理論に破綻はないかと必死に探し続ける。

 

「だ、だけどそれじゃ、大学生活を目前にしている僕が、わざわざ駆け落ちを選ぶなんて不自然じゃないか。大学に入学すればいくらでも自由な時間があるんだから、その未来を棒に振ってまで選ぶのは僕らしくなくて、父さんの不審を買ってしまう」

「その辺りは、月くんの恋人である私がイギリスに帰国するからそれについていく。という理由でいいんじゃないですか? 恋人を追って国外にという理由なら、受験間近で駆け落ちする理由にもなります。学歴という世間体を重視しているなら、ケンブリッジかオックスフォードの入学許可証でも送ってみせれば納得するでしょう。偽造を用意してもいいですし、そんなことせずとも月くんの学力なら簡単に入学の許可が出ますよ。まぁ無論、合格したところで通う許可は出せませんが」

 

 ドーナツを咀嚼しながら適当に思いついた、といったLの言葉に、まったく反論の糸口を見つけられない。もっと何か切り崩す隙間はあるだろうと、散々騙し合いを行ってきた脳をフル回転させるが、混乱しているのか言い返す言葉が何も浮かんでこなかった。

 とんとん拍子で進んでいく話に、このままではまずいと悟った時だった。

 Lはそれにと、ドーナツの皿の隣に置いていた薄型のノートパソコンを持ち上げると、その画面を僕の目の前に突きつけてきた。

 

「こういった写真も偽造しておきましたので」

「偽造って、何を――、ッ?!」

 

 Lが見せてきたノートパソコンの画面に映っていたのは、所謂、セックスが終わった後に撮影したであろう、ベッドの写真だった。

 所謂ポルノの類ではなくて、恋人同士が戯れで撮影したような写真なのだが、問題なのはそこに写っているのが、明らかに僕とLの姿だという事だ。

 

「ッ、おい! なんなんだよ、これは!」

「月くんが寝ている間に撮影しました。我ながら上手く撮れていると思います」

 

 Lの語る通り、たしかに写真の中の僕は目を閉じており、裸体のLの腕に頭を預けている状態だ。僕の首元にはいくつもの鬱血の跡があり、どう見ても事後にしか見えない。というか、鏡が無いから確認できないが、この跡は今も僕の首元にあるのか。だとしたら、まさか、Lが付けたのか。直接、僕の首に、このドーナツを咀嚼している唇で?

 その姿を想像した途端、全身に羞恥の感情が走り、ふざけるなと音にならない声が出た。

 

「この写真なら、夜神さんも月くんに同性の恋人が居たと信じてくれるでしょう。とはいえ、情事の写真だけでは信憑性が足りないので、今ワタリに頼んでデートの最中らしい他の写真も合成してもらっています。あとはそれを月くんの部屋に分かりやすく置いておけば」

「待て! 止めろ、絶対に止めてくれ!」

「では、単純な失踪事件にするしかありませんが、それでは月くんの要望は満たせないのでは?」

「違う、そうじゃなくて、もっと……もっと別の方法があるだろう。何か、何かが!」

 

 わざわざ僕とLが恋人同士だったなんて事をねつ造しなくても、もっと上手い方法があるに違いない。否、あってもらわなくては困る。と、僕は必死にLのふざけた提案を拒絶する。

 そうやって別の方法を模索する僕の一方で、Lは自分の提案が受け入れられなかったことが不満らしい。新しいドーナツを一口サイズに分解しながら、唇を尖らせて目を細めた。

 

「何がそんなに不満なのか、理解できません。そんなに世間体よく失踪したいんですか? 難しい話ですね」

「世間体とか、そういう話じゃないだろう、これは」

「まさか、自分の中の貞操概念とでも言うんですか? キラとして動くために弥海砂や高田清美と肉体関係を結んでいた月くんに、婚前交渉を嫌うような前時代染みた価値観があるとは到底思えませんが」

 

 この話をミサや清美と寝たことと一緒に扱っていいわけがないとすぐに反論したくなったが、しかしLの言う通り、僕にそんな貞操概念なんてものはない。無論、性欲や支配欲のために誰とでもすぐに身体を重ねるという意味ではなくて、利用するためだったどんな行為も厭わないという意味だ。

 だが、それならどうしてLと恋人だと思われる事に、ここまで反抗したくなるのかと突き詰めていくと、何故かすぐに答えが出なかった。

 

「ミサや清美とは、違う話、だ」

 

 無理矢理言葉をひねり出した僕に、Lはまた呆れたようにため息を吐き出した。

 

「月くんらしくない、曖昧で要領を得ない答えですね。ああ……それとも、月くんは同性愛嫌悪があるタイプでしたか? たとえ素振りだとしても他人に同性愛者だと思われるのは嫌だと。それも正直、意外ですね。月くんであれば、必要になればあの魅上照という男とも肉体関係を持つだろうと想定していました」

「は? どうしてここで魅上の名前が出てくるんだ」

「彼の貴方への崇拝は異常でしたし……月くんとしても、崇拝よりも肉欲の絡む恋愛感情の方が弥や高田の経験もあって御しやすい。もしも、魅上が貴方に恋愛感情を抱いていた場合、彼を長く利用するためにも肉体関係を受け入れていたでしょう?」

 

 そんな可能性は考えたことも無かったが、たしかにLの言う通り、魅上のキラへの崇拝が、僕と会うことで恋愛感情に傾いたとすれば、それを受け入れ利用していたかもしれない。

 魅上は死神の目を抜きにしても優秀な男だった。何より、キラ信者としての魅上の忠誠は確かなものだった。もしもそこに、恋愛感情という新たな感情が加われば、魅上は絶対に僕を裏切らない盤石の関係を築ける。

 そのために魅上と肉体関係を結ぶ必要があるなら、多分、僕は魅上とも寝ていた。男相手に勃起するかは分からないから、きっと僕が魅上を受け入れる側になっていただろうが、躊躇いは少なかっただろう。

 そこまで真剣に魅上のことを考えていると、Lは荒々しくティーカップをソーサーに置いて、僕の注意を自分へと向けさせた。

 

「散々、私との『恋人のフリ』は抵抗しておいて、魅上との肉体関係にはすぐに嫌だと答えない、と。それどころかこの沈黙、具体的な行為までちゃんと想定して考えているといった様子ですね。参考までに、初夜でどのように篭絡させるシミュレートだったか後で教えていただいても?」

「別に、そこまで詳しく想像してない! ただ、どっちが、その、挿入することになるか程度は」

「……そこまで想像できていてその反応なら、同性愛嫌悪というわけでもなさそうですね。では、実際に肉体関係を結ぶわけでもない、私と『恋人のフリ』をする程度の何が、そんなに不満ですか」

「それは……」

 

 詰問するようなLの言葉に、らしくもなく口ごもる。

 改めてそう問われると、いったいLと『恋人のフリ』をする事に対して、どうしてこんなに拒絶感と言うべきか、反発してしまうのか、自分でも上手く言葉に表現出来なかった。

 突然『同性の恋人と駆け落ちする夜神月』という案を出されたり、情事に見せかけた写真を撮られていて混乱したというのも、無論ある。だが、普段の僕であればどんな状況だろうとここまで心を掻き乱されることはないし、自分の考えや感情を言葉に出来ないなんてことはない。

 ならば、僕のこの感情はいったい何なのかと何度も自問自答を繰り返して――やがて浮かんできた、答えになっていない言葉を口にする。

 

「それは、お前が……Lが、僕の中で特別すぎる相手だから、だ」

 

 利用する相手でもなく、思い通りに動かしてやろうと企む相手でもなく、ただ僕と対等な存在である、世界最高峰の頭脳を持つ男。それが、僕の目の前に居るLという存在だ。

 そんな人間相手だからこそ、僕は自分の本心を殺して接するようなことに、躊躇いを持ってしまう。と、僕は自分の中の感情をそう定義づけた。

 すると、僕の言葉を聞いたLはしばらく呆然としたかと思うと、思い出したように首を傾げた。

 

「月くん、もしかして……私を口説いて、絆そうとしていますか?」

「今の言葉で、どうして口説かれてるって思ったんだよ」

「いえ、すみません、こういうのを口説き文句と言うのかと。まぁ、月くんの立場としても、今後一生監禁する相手に媚びを売っておきたい企みも理解できます。ですが、私をこの程度で懐柔できるとは思わないでほしいですね」

 

 と、言葉としては不満そうな事を言っているというのに、Lは先ほどとは正反対に、ウキウキというオノマトペでも聞こえてきそうなほど嬉しそうな様子でドーナツを頬張っていた。

 いったい何が楽しいのかと僕が疑問に思っている中、Lはそれよりもと話を仕切りなおす。

 

「結局、どちらにしますか? 月くんが理論的な反論を思いつかない限り、私としては準備を進めている『恋人との駆け落ち』が一番やりやすいのですが。それか、どうしても私と恋人を演じるのが嫌だと言うならば、単純な失踪事件でもかまいません。私としてはどちらも大差ありませんので」

 

 さぁ、早く選んでくださいと迫ってくるLに、僕はもう限界かと目を閉じて考える。

 Lと恋人を演じるか、失踪事件にするか、とんでもない二者択一だ。しかし、今の僕が一番考慮するべきは、前回のせめてもの罪滅ぼしとして、家族に心配をかけないことだろうか。

 失踪事件は論外。それなら僕の死を偽装する方法もあるが、結局それも家族に大きな悲しみを残してしまうだろう。それならば、事件性は皆無で、世界のどこかで幸せにやっているのだろうとある程度想定出来る駆け落ちが、もっとも心配をかけない。

 と、結局はこの結論に至ってしまう己に悔しさを覚えながら、僕は長い時間をかけてようやく絞り出すように言葉を紡いだ。

 

「…………分かった。恋人との駆け落ちにしよう」

「分かりました。では、その方向性で偽装を進めます」

 

 ついに決まってしまった事に、僕は大きなため息を吐き出して後悔を必死に押し込める。

 駄目だ、あまり考え続けても意味がない。それよりも今の僕がしなければならないのは、どうやって父さんたちに僕が駆け落ちしたと信じさせるかということだ。あまり唐突すぎる駆け落ちでは、本当は事件なのかもしれないと疑われる。まぁ、実際に事件みたいなものだけれど。

 

「L、今はいったい何時なんだ」

「私の体内時計が正確ならば、そろそろ夜の10時を過ぎる頃です」

「そうか。ギリギリだけど大丈夫か……実家に電話させてくれないか」

 

 僕の実家という言葉に、Lは一体何を企んでいるのかと訝しげな視線でこちらを見つめる。

 

「夜神さんに、親子だけに分かる特別なメッセージで助けを求めるつもりですか?」

「違う。高校生が本当に駆け落ちをするつもりなら、遠くに逃げるために時間稼ぎをするものだろう。これから母さんに電話して、塾の友達の家で泊りがけで受験勉強することになったから今日は帰らない。休日もそのまま皆で勉強するから、もしかしたら日曜日に帰ることになるかもと伝える」

「家に帰らないことをわざわざ伝える必要があるんですか?」

「あのな、僕は至って真面目な受験生なんだ。門限だって10時だと決められているし、無断外泊なんてもっての他だ。そんな僕が今日一日帰らなかっただけで心配性の母さんや父さんなら捜索騒ぎになる」

 

 それでは偽装工作した写真を仕込む暇が無くなるだろうと、僕としては最大限Lの計画に沿った行動を提案したはずなのに、Lは何故かしばらく呆然と僕のことを見つめるだけで何も言ってはこなかった。

 その沈黙が不気味で、言いたいことがあるならばはっきり言えと、Lを睨む。

 

「なんなんだよ、そんな顔して」

「…………いえ、貴方が『キラ』になった年齢は分かっていましたが、改めて門限のあるような子供だったと思うと」

「なんだ、少年法で僕を裁く気になったか?」

「まさか。キラの罪状ならば少年法の適用は認められないでしょうし、そもそも日本で裁かれるとも限りません」

「そんなの分かってるよ、今のは冗談だ。それで、電話させてくれるのか、くれないのか」

 

 僕がそう言って凄めば、Lはやはり僕が父さんへ暗号的なもので会話をしようとするのを警戒しているのか、しばらく考え込みはじめた。

 だが、結局僕が父さんや母さんとどんな会話をしたところで、ずっと僕を捕らえて監視していれば問題ないと判断したのだろう。

 Lは重たい腰を上げるような口調で、分かりましたと僕の提案を受け入れた。

 

「それでは、万が一に備え、ご家族へ伝える言葉は私が用意した台本に従ってください。少しでも怪しい言動を見せれば、貴方の失踪届けが受理されて死亡扱いになるまで貴方の一切の行動を制限します」

「元々、一生僕を監禁するつもりなんだろう」

「この監禁は、誰とも意思疎通の取れない密室に閉じ込めるという意味です。日本で失踪が死亡扱いになるのは7年ですから、最低でも7年間はそういう扱いをさせてもらいます。と言っても、夜神さんのことですから簡単に失踪宣言はしないでしょうから、実際はもっと年数が必要かと思いますが」

 

 それでもまだ私を欺いてみようなどと企んでいるならばご自由に。

 と、不敵な笑みを浮かべてみせるLに、思わず対抗してしまいたい気持ちが沸いてくるが、そんな一切刺激のない生活を何年も続けるなんて絶対に御免だ。今日一日退屈だと感じていた高校生活どころか、Lに監禁を申し出た時の何倍も退屈な生活を過ごす可能性があるなら、ここはLの言う通りに従っている方が無難だ。

 

「分かったよ。僕だって、今後の監禁生活は豊に暮らしたいからね」

「そう言っていただけて幸いです。月くんが今後も殊勝な態度で居てくれるなら、私も月くんが監禁生活を楽しめるよう、最大限努力させてもらいます」

「へぇ、なに。ゲームの相手でもしてくれるのか?」

 

 それならとても楽しみだと、嘲笑を込めて冗談で言ったはずなのに、Lは至って真面目な様子で惜しいですねと答えを返した。

 

「たしかに月くんにとっても、これはゲームのように面白いかもしれません」

「……僕に何をさせるつもりだ」

 

 含みのある言い方をするLに、一体何を企んでいるのかと、必死にその思考を読み取ろうとする。

 だが、僕が警戒している姿が滑稽で面白いと言った様子で、Lはニヤニヤを僕を見つめた。

 

「そんなに怯えた表情をしないでください。別に、監禁した月くんを取って食うつもりも、手足の腱を切って四肢の自由を奪うつもりも、性奴隷に躾けるつもりもありませんので」

「そんなことしてみろ。僕が巻き添えになってでもお前を殺してやるからな」

「と、まぁ……このように、月くんをあまり理不尽に扱っては報復を受ける可能性がありますので。ちゃんと月くんが楽しめるように、考えてあるんですよ」

 

 何か知りたいですよね。と、サプライズの種明かしをしたくて仕方ない子供のような、楽し気な子供のような表情のLに、何故だか背筋がぞわっと震えた。

 Lには下手に睨まれたり凄まれたりするより、楽し気に見つめられるほうがよっぽど恐ろしいと、今更ながらに過去の事を思い出した。

 

「何をさせるつもりだ」

「はい、実は、月くんには私の稼業を……『L』としての仕事を手伝ってもらおうかと考えているんです」

 

 Lがそう楽し気に告げた言葉に、僕は今日一日で一番、お前は本気なのかとLを疑った。

 だが、Lの表情にはどこにも冗談の色など浮かんでいない。仮に嘘だとしてもLは隠し通すことが出来るのだろうが、僕はまだLがこんな笑えない冗談を言う理由が推理しきれなかった。

 

「月くんもご存知の通り、ワタリも高齢になってきましたので、そろそろ代役になる人間が居ればと思っていたところでした。そんな中、月くんは語学力もあり社交性も詐欺師並み。また私より若く健康体で先に死ぬ心配もなさそうですし、いざとなれば『L』の影武者として表に出ても決して疑いなど抱かれない外見と知性を持っている。さらに言えば手錠で生活していた頃、私の生活の補助も十分出来ていました。貴方ほど優秀な人材を暗い檻の中に入れておくのは、実にもったいない。世界の損失です」

 

 つらつらとそう語るLの様子からして、こいつは本気で僕を『L』の手駒にしようと考えているのだろう。

 そんな、僕のことをまったく警戒していない様子のLに、湧き上がってきたのは明確な苛立ちと怒りだった。

 

「ははは、死んでからしばらく僕を見てたと言っていたけど、長年死人でいたせいか生存本能も機能しなくなったのか、L」

 

 僕を手駒にしようなどと、いくらあのLであろうと、僕のことを舐めすぎているとしかいえない。散々僕には勝ちを確信したらボロを出すと言っておきながら、こいつも僕を捕らえたという安心感から、随分と危険な行動まで取れると思い込んでしまったらしい。

 だが、僕が監禁された程度で、そう簡単に諦めると思われては困る。と、口角を吊り上げLを嘲笑った。

 

「お前は僕を影武者にするつもりらしいが、そのまま僕が『L』という存在を乗っ取るとは思わないのか? お前が死んでから、何年僕が『L』を演じてきたと思ってる」

 

 お前という存在を乗っ取るなんて、僕には簡単なんだよ。

 そう、Lの心積もりを馬鹿にしてやれば、Lは一瞬だけ感情の籠らぬ瞳に戻ったかと思うと、次の瞬間には高慢な笑みを張り付けて口を開いた。

 

「夜神月、お前が演じていた『L』とは、あのお粗末で無能な『L』のことか? だとすれば、あんな醜態を晒しておいて、本当に私の存在を乗っ取れると思っているとしたら滑稽だ」

 

 敬語を使うことも忘れた、Lの何一つ隠さない嘲りに、僕は思わず息を飲む。

 それはLに対する畏怖であったのと同時に、どうしようもなく刺激される、己の中の対抗心とプライドに火が着いたからでもあった。

 

「へぇ、一度は僕に負けて無様に死んだ人間が、よくもまぁそんな強気な言葉を選べるものだな。面白い冗談だよ、L」

 

 僕の言葉に、今度はLの方が息を飲む番だった。苛立ちを抱えたであろう不機嫌そうな表情に、おもわずゾクゾクとした快感が背筋を駆け抜けた。

 互いに一歩も引く気などない。当然だ、僕もLも、どこまでも幼稚で負けず嫌いな子供なのだから。互いに成人していい年を重ねているだろうに、どちらも相手の前では負けなど決して認めない。それが分かり切っているせいか、僕たちは互いに笑顔で見つめ合いながら、内心ではどうやって相手の裏をかいてやるかと思考を重ねていた。

 

「……懐かしいですね」

 

 そんな、互いの腹を探り合う関係に、Lはどこか懐かしさを滲ませた声色で、そう呟いた。

 

「まぁ、たしかに、僕らは表面上は別として、内心ではずっとこんな感じだったな」

「ええ、そうですね。どうですか、月くん。デスノートで犯罪者を裁くより、今の方がずっと楽しいでしょう?」

 

 今まで互いに同じ立場だったのに、突然年上らしいような、僕を慈しむような様子でそう告げてきたLに、僕はLがこんな姿を見せることがあるのかと、驚きのあまり目を見開いた。

 

「デスノートで新世界なんてものを作るより、私の元で『L』の手伝いをする方がよっぽど楽しいことを教えてあげますよ、夜神月」

 

 そのLの言葉に、なるほど、これがLの最終兵器なのかと、どうしてLが僕に『L』の手駒を演じさせようとしているのか悟る。

 Lは僕にデスノートを使わせない方法として、ノートを僕から奪うと共に、犯罪者裁きというそのものに興味を持たせないことで、僕が『キラ』にならないよう食止めるつもりなのだろう。

 かつて僕が殺してしまったLと直接、Lの座を奪い合う新たなゲーム。

 それを面白いと思ってしまうのは、Lの策略に乗せられるようで不愉快ではあったが、しかし自分の中に浮かんできた感情を否定することは、僕には出来なかった。

 

「ああ、そうだな。お前が、どこまで僕を楽しませてくれるか……」

 

 かつてLを殺して、最初は勝利に浮かれていた心が、次第にLが存在しない退屈さに打ちのめされていった日々を思い出しながら。

 まだ誰もデスノートによって殺していない、新しい人生の僕だからこそLも提案できたであろう道に。

 

「期待しているよ、L」

 

 いつの間にか、デスノートで今度こそ完璧な新世界を作るのだと心に決めた今朝よりも、今のほうがずっと楽しいと、僕はもう気付いていた。

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