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「隠シ物」

 物事において、必然性というものはとても重要だ。

 特に、何かを欺こうと思った時。嘘をつく時。自分が行った行動に、合理的な説明がなされなければならない。

 そう、例えば、部屋の中に家族が入ったかどうか確かめているという行動にも、もっともらしい必然性、合理的な説明が必要だ。


 

「よし、今日のノルマも完了」

 監視カメラが仕掛けられた自室にて、僕はそう参考書を閉じながら自然を装って大きく背中を伸ばした。

 おそらく今頃、僕を監視しているであろうLは迷っているに違いない。なにせ、僕がなんの情報も得ていないはずなのに、犯罪者が死んだのだ。ポータブルテレビなんていう骨董品のようなガジェットをわざわざ手に入れた甲斐がある。

 電源を切っておいたスマホも、傍から見れば受験勉強に集中するための行動だと映るのと同時に、僕がSNS等で犯罪者の情報を得ていなかったという証明にもなる。

 これだけしておけば僕に容疑を絞り込むことは難しいだろうと、思わず笑いたい気持ちを抑えながらスマホの電源を付ければ、山元達のライングループからくだらない会話の通知が届いていた。それに適当な返事を返しながら、僕は横目で本棚を見つめた。

「(……ここまでは完璧だが、この先は、本当にやるべきか?)」

 本棚の、とある図鑑のカバーの中に隠してあるものを思い返しながら、僕はどうしたものかと心の中でため息を吐き出す。


 

 この部屋に誰かが入ったか確認するための仕掛けを三重に用意しておいたおかげで、僕は無事、この部屋に監視カメラと盗聴器が仕掛けられていることに気付くことが出来た。

 しかし、同時に僕は、この部屋に誰が入ったのか確認していたのには理由があるのだとLに対して釈明しなければならない。無論、年頃の子供が、十七歳の高校生がちょっとした興味本位でやっていたという説明でも通るだろうが、真面目な優等生としての行動とはあまり適切とは言えないだろう。何より、僕は少しでもLが僕を疑う余地を消しておきたい。

 だから、この部屋にトラップを仕掛けた時、もしも捜査の手が自室まで及んだ時のために、僕はあるものを用意しておいた。そしてそれを使えば、おそらくLも僕が家族の立ち入りを警戒していた理由に納得がいくはずなのだが。

「…………」

 何度か躊躇いを繰り返したが、どうせ風呂もトイレも見られて、羞恥心なんてものは既に機能していない。何より、一般的な高校生として、一度くらいはやっておいた方がいいだろう。

 と、僕は心の中でこっそりと覚悟を決めてから、それを隠してある本のケースへと手を伸ばす。

「…………っ」

 ごろり、とケースの中から出したのは、真っ黒でマットな色合いを持った、ゴム製の小ぶりな玩具――所謂、エネマグラと呼ばれる性的な玩具だった。

 ひと昔前ならば、男子高校生の部屋の中で家族に見られたくないものの筆頭と言えばグラビア雑誌やAVだっただろう。しかし、スマホが普及した今となっては、自慰のための興奮材料と成り得るものは全てネットで手に入る。コンビニの本棚からアダルト雑誌が消えて久しい今、わざわざ紙媒体でそういった本を持っているのはむしろ不自然に思われてしまう。

 となれば他に何を隠し持っていればそれらしいか、というのは中々難しかった。

 書籍や映像のような、データに変換できるものは駄目だ。電子で管理出来るものは、スマホやパソコンのロックに気を使うものだろう。部屋そのものに立ち入られることを気にはしない。

 あとは、周囲に秘密にしたい趣味がある。という方向で、例えば男性アイドルに興味があって写真集を持っているというのも考えたが、これもわざわざ隠したがるほどのものではないし、今後直接質問をされる機会があった場合、整合性を取る事が難しい。電子でなんでも手に入る時代にわざわざ紙媒体で欲しいほど好きなファンを装うのであれば、そのアイドルに対してある程度の知識や熱量がなければ怪しまれる。無論、ファンであることを装うのは簡単だが、ただでさえ時間が足りない今、アリバイ作りとはいえ多くの時間を割いてはいられない。

 と、色々考えた結果、電子に変換出来ない物質的なもので、尚且つ男子高校生が隠したいと思える性的なもの、という条件で絞り込んでいった結果が、今僕の目の前にあるエネマグラというわけだった。

「(買うだけ買っておけばいいと思ってたけど、まさか使うことになるなんて……)」

 ネット通販で注文し、コンビニで支払いと受け取りが出来る時代のおかげで、わざわざそういう商品を扱っている店に行く必要がなかった点については、現代の技術進歩に感謝しなければならない。知り合いにこんなものを買っている姿を見られるなど、いくらキラであることを隠蔽するためとはいえ耐えられない。

 所謂オナホールと呼ばれる玩具も候補にあったが、カモフラージュのために何人かの女の子と付き合っている中で持っているのは不自然かと思った。しかし、こうしていざ使うとなると、やはりオナホールにしておけば良かったと微かに後悔する。ただ勃たせて穴に突っ込めばいいだけの簡単な使用方法で、使い捨てのものならば抜いてゴミ箱に棄てておけば、ポータブルテレビと合わせて破棄できた。

 今更迷っても遅いが、しかしエネマグラも利点はある。付き合っている女子には付き合わせることの難しい性癖で、絶対に家族には見られたくない秘密の玩具。これならば、十分に動機として通用する。

「(あとは使うだけだが……大丈夫だ、使い方は購入する前に調べてある……)」

 言ってしまえば、こちらも穴に入れるという意味ではオナホールと同じだ。それが僕自身の中というだけで、随分躊躇ってしまうが。

 しかし、あまり時間がかかっても怪しまれると、僕は意を決して一緒に隠しておいたローションのボトルを手に取る。使ったことのある形跡を残すため中身を半分ほど捨ててあるが、実際にこういう目的のために手に出したのは初めてだった。ひんやりとした感覚に、微かに指先が震える。

「(まずは、エネマグラに全体的に馴染ませてから、残ったものを指に絡めて、後ろを解す……)」

 何度か使ったことがある体なのだから、ここでもたついてはいけないと、僕はさも慣れているように淡々と、ネットで調べた通りの手順で準備を進めていく。

 スラックスを太腿まで下ろしてから、ベッドに横向きで寝転がり、下へと指を伸ばし、窄んだ窪みに一本指を宛がい、押し込める。

「ん……っ」

 

 アナルに指を入れるなど初めての経験で、気持ち悪さに吐き気がして、思わず吐息が漏れてしまった。正直こんなもので気持ちよくなれるのか半信半疑だったが、男性用エネマグラなんて商品に需要があるのだから性感帯とやらは存在するのだろう。

 その片手間、ワイヤレス式のイヤフォンを耳に入れてから、健全な男子高校生が抜くのに丁度いいキーワードをスマホで検索すれば、すぐにいくつもの海外サイトの動画がヒットした。その中から、友達が下世話な話題でよく話していた動画サイトを見つけ、これでいいかと適当に動画を開けば、胡散臭い出会い系アプリの広告の後に、丁度よく切り抜かれたAVのワンシーンが再生された。

 両腕を縛られた女性が出てくる、少しSMチックな動画。正直言って僕の趣味じゃないが、受験勉強に疲れてエネマグラなんていうもを購入してしまった高校生という体にしてあるのだ。見る動画も、少しマニアックな方がいい。

「(まぁ、これなら抜けるか)」

 女優の顔や体型にそこまでこだわりはないが、あからさまな盗撮ものや非合法なものは被害者のことが気になって興奮出来ない。一方、今流れている動画は、分かりやすく作り物のAVだ。これなら変に意識を邪魔されない。

 やがて、ほどよく動画が盛り上がってきたところで、僕はゆっくりと指を引き抜き、代わりにローションによってテカテカとした光を帯びたエネマグラを手に取る。挿入中に外れるのを防止するための、ペニスに通す用の輪へ、自分のほどほどに隆起したそれを根本まで通す。あとは、エネマグラの本体を自分の中へ入れれば準備は完了だ。

「(本当に、こんなもの……入れるのか)」

 己の窪んだ穴へゴム製のエネマグラを宛がいながら、小さく息を吸う。

 このベッドの上も、様々な角度で監視カメラによって撮影されている。その映像を誰が見ているのかは定かではないが、おそらくLは絶対に見ているだろう。もしかしたら父さんや、何度か会ったことのある部下の人達も一緒に。

「(駄目だ、意識するな……ここで躊躇ったり萎えれば怪しまれる……。カメラのことなんて考えるな、ここには誰もいないと思い込め)」

 自分を騙すように、洗脳するように、何度も何度も、誰も見ていないと己に言い聞かせる。

 そして心を落ち着かせてから、僕は意を決して、エネマグラの先端を己の中に沈めた。

「ん……っ」

 ローションで濡らしておいたおかげか、小ぶりなエネマグラはなんの抵抗もなく僕の中に全て収まる。

 正直、自分の中に異物が入り込んでいる違和感はかなりあったが、思ったほど痛みも快感も何もない。本当にこんなもので気持ちよくなれるのかと、再び疑問を抱いた。

 まぁ、仮に気持ちよくなれなかったところで、僕としてはまったく問題ないのだけれど。これはあくまで、監視カメラの向こうに居る、Lに向けた演技だ。ほどよく感じているように見えれば問題はない。

「(……さっさと抜いて終わりにしよう)」

 僕は再びスマホに視線を戻して、AVに集中する。

 両腕を手錠で捕らえられた女優へ、男優がわざとらしい言葉責めなんてものをしていた。こんなに濡らして変態だね、とか。すぐにこの中に出してあげるからね、とか。実際のセックスで言えば女の子に引かれそうな言葉だが、非現実を楽しむAVではこういうものが受けるのだろう。

 たいして面白くもない男優の台詞が終わって、ようやく挿入シーンが開始されれば、あとは女優の喘ぎ声と水音をBGMに、お決まりの構図で延々と挿入を繰り返す映像が流れるだけだ。挿入が繰り返される局部と、女優の顔が一緒に映る構図というのは限られてくるせいだろう。

 しかし、今はそういう即物的な映像の方がさっさと抜けると、僕は自分のペニスを扱く速度を早めた。

「ん、っ……は」

 鼻を抜ける息と、下半身に集まる熱の感覚は、とても久しぶりだ。

 キラとして動き始めて処理している暇なんてなかったというのもあるが、リュークが居る手前する気にもなれなかった。今回だって、あいつの姿が見えたり声でも掛けられれば気が散ってしまうので、この時間はどこかに遊びに行ってこいと姿を消してもらっている。

 まぁ、そもそもの話だが、僕自身、あまり頻繁にこういった自慰を行いたいと思うタイプじゃない。友人の中には口を開けば下世話なネタが出てくる奴も居るが、そういう人間を見ていると別の生き物なんだろうという気さえしてくる。

「(側から見れば、随分間抜けな姿に見えるんだろうな)」

 自分のアナルにエネマグラを挿入して自慰に耽っている優等生。と字面を思い浮かべただけで、それが自分の今の姿であるということに寒気と嘲笑が襲いかかった。まったくもって耐え難い屈辱だが、けれど僕は必要とあればキスでも自慰でも性行為でも、なんだって出来る。

 それでLを騙し、自分がキラとバレないのであれば、なんでも。

 死刑になるよりは、こんなふざけた行為をしている方が何倍もマシだ。

「ふっ……は」

 そろそろ高まってきた自分の熱に、呼吸が荒くなり、前屈みになる。

 スマホの画面に映るAVもそろそろ終盤なのだろう。女優の甲高い声が、発情期の猫のように激しく、途切れ途切れながらも早くなっていくのがイヤフォンから聞こえる。

 ああ、そろそろ来たなと、肉体を駆け抜けた快感に目を細めた。

「っ……、ん」

 サイドテーブルのティッシュを数枚手に取り、吐き出す準備を整える。出してしまえば、こんな屈辱的な姿を晒さないで済む。と、思った、その瞬間だった。

 イク、と身構えた時、先ほどまでただの違和感のある遺物でしかなかったエネマグラが、途端に快感を与える玩具としての猛威を振るった。

「――――ぁ、ッ?!」

 突然身体を駆け抜ける、通常の射精とは違う感覚に、何が起こったのかと目を見開いてしまう。

「(待て、なんだ、今の)」

 その快感は、ペニスではなく、直腸からやってくる、今まで感じたことのないものだった。

 ペニスの根本、快感の源を直接刺激されたような、深く穿つような快楽。

 射精の、過ぎ去ればすぐに冷静さを取り戻すものとは異なり、甘くズキズキと余韻を残す快感のせいで、吐き出したばかりのペニスが再び硬さを取り戻していく。

「(嘘、だろ……)」

 未だ己の精液に塗れた手の中で、ドクドクと脈打つペニスに、どうしてだと混乱を覚える。

 男の自慰など、一度出してしまえば突然冷めて、すべてがどうでもよくなるものだ。僕だって何度も経験してきて、その度に馬鹿なことをしているなと自分を嘲笑っていたのに、未だに僕の頭は快感と熱に魘されたままだ。

 そしてそれは間違いなく、己がこの程度ならばと軽く考えて選んだ玩具、エネマグラのせいであることは間違いなかった。

「(駄目だ、外さなきゃ、これ……)」

 あの細いながらも曲がったり折れたりしていた形には、ちゃんと男の性感帯を責め立てる理由があったのだと、今更になって理解できた。

 この玩具がこんなに恐ろしいものだとは思わなかったと、僕はさっさと抜いてしまおうと手を伸ばして、気付く。

 エネマグラは僕のペニスの根本に輪を通して固定してあるせいで、このまま抜こうとすれば少し無理に動かさなければいけない。

 だが、もしも今エネマグラを動かせば、先ほどの脳に響く快楽をもたらした場所――おそらく位置からして前立腺を抉るように抜くことになるだろう。

 イク時、締め付けただけでこれなのに、抉るように動かしてしまったら、いったい僕はどうなってしまうんだ?

「(無理だ、出来ない……)」

 先ほどの、悲鳴のような声を上げてしまった快楽を思い出して、背筋が震える。

 待て、落ち着け、とらしくもなく混乱した自分に言い聞かせながら、僕は大きく深呼吸を繰り返す。無理に抜こうとするからいけないんだ。ペニスにかかっている輪の方から外せば問題ない。

 とはいえ、再び隆起してしまったペニスから輪を外すには、もう一度出して萎えさせなければならない。仕方ないかと、僕は手についた精液をティッシュで拭ってから、再びペニスに指先を沿わせる。

「ん――っ、……は」

 普段は二回も連続ですることなど無いから、達したばかりで敏感なペニスに触れると電流のような、甘い快楽に身悶える事になるなんて知らなかった。知る必要もなかったはずなのに。

 スマホでは依然としてAVが再生されているが、もはやそんなものを見なくても身体は勝手に興奮して感度を貪欲に求めている。

「(くそッ、なんて無様なんだ……!)」

 監視され、録画されているであろうこの部屋で、これ以上、自慰に耽溺している己の醜態など晒せない。何より父さん達が見ている可能性があるんだ。あの人は僕に『理想の真面目な息子』を夢見ている節があるから、僕のこんな姿を見たらショック死してしまうのではないか。なんて、冗談なんだか本気なんだか自分でも分からない考えが湧き上がってくる。

 だがそれよりも、何よりも。Lは確実に、この映像を見ている。

 どんな人間か、男か女か、年齢も、そもそも個人なのか集団なのかも分からない。

 けれど、Lの正体がなんであろうと、僕の理想とする世界を否定する、絶対に殺さなければならない相手に、こんな姿を晒し続けるのはなんて――。

「(……ッ、ああ、駄目だ、こんなこと考えてたらいつまで経っても終わらない)」

 これ以上長引かせてはいけないと、僕は必死に考えを振り払い、下半身の熱に意識を集中させる。

 少し痛いくらいの勢いで擦り続ければ、エネマグラからのペニスを裏から押し上げるような快感も相まって、二回目だというのに先ほどよりも早く達せそうになった。

「っ、は……は」

 呼吸が浅く、早くなっていくのを感じながら、僕は再び込み上げてきた射精感に、上半身を丸めながらその快感に備える。

 やがて、求めていた絶頂が、再び身体を駆け抜けて――そして僕は再び絶望した。

「んッ、――――っ! ひぁ、っん!」

 一回目に達した時よりも深い快感が、再びアナルの中、自分の内側に襲い掛かってくる。

 先ほどの比ではない苦痛染みた刺激に、声が抑えきれず甲高い声が漏れ出てしまった。隣の部屋では粧裕がまだ起きてるだろうに、聞こえてしまったのではないかと、慌てて口を抑える。

「(……最悪だ)」

 父さんだけでなく、母さんや妹にまでこんな醜態を晒してしまったら、しばらく平常心に戻れそうにない。

 いや、最悪なのはそれだけでない。一番最悪なのは、二回目を出したばかりだというのに、未だに自分のペニスが勃起を続けているという事実だった。

「(くそ! なんなんだよ!)」

 さっさと萎えてエネマグラを抜きたいがためにやっていたというのに、未だに硬さを保ち続ける己が恨めしい。

 まさか、このままもう一度?と、嫌な汗が背筋を流れた瞬間、気付いてしまう。

 この状態、下手したら永遠に続くのか。

 射精と共に、一番深くて快楽の源に直結している場所を強制的に刺激されて、再び勃起してしまう。その繰り返し。

 無論、いつかどこかで体力が続かず終わってくれるのだろうが、しかしそれはあと何回射精したら訪れるのだろうか。

 それも、射精の度に、全身を支配する苦痛みたいな快感を覚えながら。

「(無理だ)」

 こんなことずっと続けていたら頭がおかしくなると、本格的に恐怖を覚えた僕は、自分のペニスにまとわりつくエネマグラの輪を恨めしく見つめる。

 輪自体はエネマグラと同様に、ゴムで出来ている。やろうと思えばカッターでもハサミでも使って切断することは安易だろう。

 しかし、それは誰の監視もない状態だったらの話だ。わざわざローションを使いかけに見せたり、エネマグラのパッケージを処分して何度か使ったことを装っている中、今回だけ抜くことが出来ないなど馬鹿げている。初めて使ったと言っているようなものだ。偽装工作に気付かれてしまえば、なんの為にこんな無様な姿を監視カメラの前で晒していたのか、という話になる。

 だから、僕が選べる手段は一つ。無理矢理でもかまわないから、僕の中からエネマグラを抜いてしまうことだ。

「(大丈夫、大丈夫だ……っ、さっきイった時みたいな快感をずっと繰り返すことに比べたら、この程度)」

 必死に自分を説得しながら、僕はゆっくりと身体を横にして、枕に頭を埋める。先ほどの事を考えると、またどんな嬌声が僕の喉から漏れてしまうか想像も出来ない。絶対に家族には悟られてはならないと、枕の端を噛みながら、僕は覚悟を決めて下半身を支配する悪魔に指先を伸ばした。

「っ、……ん!」

 指先にエネマグラが触れて、中を微かに擦っただけで、もう声が漏れ出てしまった。

 身体がエネマグラによってもたらされた快感を覚えてしまっている。早く抜かなければという焦りを必死に抑えつけ、やるなら確実に、けれど無理のないようにだと冷静になるよう勤めながら、ゴム製のそれに指をかける。

「ん、ッ――――ぁ!」

 ペニスに巻き付いている輪に引っ張られて、真直ぐに抜くことが出来ず、堅いそれは僕の肉壁を好き勝手に押し上げて、凌辱していく。

 ただの玩具に意思など無いことは分かっていても、まるで拷問のために作られた道具のようだと、勝手に脳内が悪意を感じてしまう。

 入れる時はあんなにも簡単に挿入出来て、何にも感じなかったのに。今となっては楔のように堅く抜くことが出来ず、少し動かすだけで僕を責め立てるのだから。罠のような作りだと思ってしまうのは仕方ないだろう。

「っ、ぁ、あ…………!」

 そうこう格闘している内に、エネマグラの一番曲がりくねった部分が、一番敏感な所。

 快感の根源の部分に、深く食い込んでいく。

「――――ッ、ん! んんっ!」

 抑えきれない声が、枕の端を噛んだ口の隙間から、漏れ出る。

 もしも何も噛まずにいたら、わざとらしいと呆れていたAVのような声が出てしまっていただろう。あんな馬鹿みたいな喘ぎ声を本当に上げるなんて、絶対にあってはならないとさらに強く枕を噛めば、飲み込めなかった唾液が隙間から漏れて、シーツに染みを作った。

「(大丈夫、ここを越えれば、抜ける。耐えろ、耐えろ……ッ!)」

 自分を必死に鼓舞しながら、身体の中を滅茶苦茶にされる感覚に、耐え忍ぶ。

 何より、ここでずっと留まっていたら、ただ悪戯にエネマグラで刺激し続けているだけになってしまうと、僕は最後の覚悟を決める。

「(一瞬だ、一瞬で終わらせる)」

 長い間、苦痛を味わうよりは、どんなに激しくなろうとも一瞬で終わってしまったほうがいい。と、僕はこれで最後だと、思いっきりの力でエネマグラを引き抜いた。

「あ゛ッ――――――!? ん、んんッ!」

 瞬間、訪れた快感に、目の前が真っ白になる。

 覚悟を決めていたはずなのに、それを凌駕するような、いっそ痛みにさえ似た感覚に、許してくれと誰に乞うているのか分からない言葉が脳裏に浮かんだ。

 同時に、本日三回目の、出すものが無くなった弱々しい射精を迎える。けれど、やってきた快感だけは、今日の中で一番酷く激しいものだった。

「っ、はぁ……、はぁ、っぁ、あ」

 枕から口を離して、荒い呼吸を繰り返すが、いつまで経っても快感の余韻は抜けきらない。エネマグラが抜けてたのにも関わらず、長い間入っていたせいでぽっかりと穴が開いたままのアナルに、外の冷たい空気が寒さを教えたのが、なんとも屈辱的な気分に僕をさせる。

 何より、裸体の下半身を出したまま放心しているというのは、傍から見てかなり滑稽な姿に見えているだろう。

 だが、吐き出したばかりの身体は未だに動くことが出来ず、熱に犯された頭はまともに働かなかった。

「(くそ、最悪だ、僕がこんな、こんな……)」

 これまでの人生で、こんな惨めな後悔を覚えたのは初めてだと、ベッドに転がるローションに塗れたエネマグラを憎らし気に睨む。

 だが、僕を苦しめた杭とはいえ、愛用品ということになっているそれを感情のままゴミ箱に投げ捨てるわけにもいかない。

 ようやく呼吸が落ち着いてきたので、ゆるゆると身体を起こしながら、僕はまだ生温かいエネマグラを拾い上げる。

「…………っ、もう、しばらくはいいかな」

 二度とこんなものを使ってなるものか。というのが本心だが、これで監視がどれだけ長引いても自慰をしないことの理由付けにはなるだろう。

 ふと自分の身体とベッドを見下ろせば、所々に精液が飛び散っていて、シーツどころか服にまでべっとりと染みついている有様だった。

 その惨状に、僕は大きくため息を吐き出しながら、ティッシュで粗方のものを拭って、早く片付けてしまおうと身なりを整える。

 シーツと服の洗濯に、それから換気も必要か。

 だが、まずはこの身体を清めて、冷たいシャワーで未だ火照る頭を冷やさなければならない。

「(ああ、でも風呂場も監視されてるんだったな)」

 どこまで己の痴態を晒さなければならないのかと、怒りと失望を覚えながら、僕は死んだような目で部屋の扉を開けた。

 その際、中に残っていたローションが滴り流れて太腿を汚したことには、絶対に意識を向けないようにと心に決めながら。





 

 画面越しに彼の姿を見送ってから、私は思い出したように呼吸を再開した。

「優等生の隠し持った性癖、か」

 自分の口に出してみて、まるでAVの煽り文句のようだと思ったが、実際にエネマグラを使用して自慰を行う彼の姿は、そこいらのAVよりもよっぽどエロティックで劣情を誘うものだった。

 元々の容姿が優れているのは勿論、普段は優等生として凛とした雰囲気を持つ少年が、性に乱れるというのは中々に絵になる。

 何より、彼は実に悩ましい表情で快楽に身悶えるのだ。どんな小さな異変でも見逃さないようにと高画質で録画できるカメラにするようワタリに伝えておいたおかげで、私は彼の苦しいくらいの快感に眉を顰める顔や、必死に枕を噛み快感を押し殺していた艶めかしい喉元まで、全てを観察することが出来た。

「(夜神総一郎がこの場に居なくて良かった)」

 彼は今、休憩ということで仮眠を取ってもらっている。あの人は、息子がAVを見ていることすらショックを受けそうなくらい、彼に『真面目な息子』という幻想を抱いている。もしも息子のこんな姿を見ればショック死していたのではないか。などと考えてしまう。

 ああ、だが、何よりも。

 そう、何より、彼の痴態に反応してしまった、私自身の下半身の熱を知られなくて良かったと、心の底から安堵した。

「(私は性愛に興味がないと思っていたが、まさか子供に反応するとは……)」

 自身の性的な遍歴を思い出しながら、私は他人事のように自身への驚きを抱く。

 たしかに彼は既に成長期も終えているような、立派な青年の姿をしているが、しかしまだティーンであり子供の範疇だ。無論、彼がキラであれば少年法の適用は望めないが、それとは別にして、彼のような子供は保護すべき対象であり、性欲を向けるべき相手ではない。

 と、頭で理解はしつつも、私はシャワーを浴びて体を清めている夜神月の映像を横目に、先ほどの自慰映像を隣のモニターで再生した。

 改めて見ても、なんて劣情を誘う姿なのだろうか。監視カメラ故の固定視点ということもあって、まるで盗撮もののAVのようだ。この映像をポルノ動画サイトに投稿すればかなりの再生数を稼ぎ、相当のファンが付くだろう。あるいはAVとして編集して販売すれば、これまたかなりの売上が見込める。無論、どちらもするつもりは無いが。

「(だが、しかし……私のこれは、それだけではない、な)」

 自分のジーンズを押し上げる、久しぶりに隆起したそれを見下ろしながら、私は自分の反応を冷静に分析する。

 たしかに夜神月の自慰は扇情的で、たとえ男が性的な対象でない人間であろうとも、気の迷いを起こさせるに十分な魅力を持っている。

 しかし、私はただ彼の容姿、痴態そのものに反応しているのではなく、彼がもしもキラだったならばという仮定によって、ひどく興奮を覚えていた。

「(夜神月は初日から驚くほど白だ。しかし、私が今まで相手にしてきたキラ像に一番近いのは彼しかいない。もしも彼がキラだとすれば、何かしらの方法で監視カメラに気付き、自分が白であると私に見せつけようと策を練った可能性が高い……)」

 そして、もしも夜神月が監視カメラの存在に気づいているとすれば、彼は私が見ているのを想定の上で、先ほどの高校生にしてはマニアックな自慰に耽ったことになる。

 羞恥もなにもない淫らな行為に及んだのは、監視カメラの存在になんて気づいていないというアピール。部屋に誰かが入ったのか確認していたのは、こんなイケナイ玩具を持っていたからという言い訳。

 そう考えれば、彼の行動は完璧すぎる。

 完璧すぎるからこそ、面白い。

「(夜神月がキラならば、彼は潔白の証明のためならば、こんな痴態すら演じられるのか)」

 通常、いくら前立腺を弄ったところで慣れていない人間では快感を得にくいと言う。しかし、画面の向こうの彼は面白いほど身を捩り、嬌声を噛み殺し、快楽に全身を委ねていた。これが全て演技ならば天晴れと言わざるを得ない。否、案外、本当にそういう趣味があったか、あるいはアナルで感じられる天性の才能があったのかもしれないが。

「(だが、どの可能性であろうと、キラの演技力、決断力は異常だ。潔白のためなら、それこそ簡単に脚を開くのだろうな)」

 そこまで考えて、私は自分の中に浮かんできた欲望に、我ながら悪趣味だと笑みを零してしまう。

「(夜神月は、私の下で喘ぐことで身の潔白が証明できるならば、率先して痴態を演じるのだろう)」

 彼がキラならば、いずれ重要参考人として私の目の前に引きずり出す時が来る。

 私はキラ捜査のためであれば、相手がたとえ未成年であろうとも手段を問わない。絶対に、どんな方法を使ってでも自白を引き出す。その時、夜神月はどのように抵抗するのだろうか。自分は無実だと訴え続け、どんなことでもするから信じてくれと言ってくるのか。

 あるいは、私が夜神月へ気がある振りをすれば、恋愛感情を装い、自分の身体を使って篭絡してこようとするのかもしれない。

 ああ、それは、実に面白そうだと、思わず生唾を飲み込んだ。

「(こんな感情は、欲望は初めてだ……)」

 いつもの私であれば、どのような美女だろうが美男だろうが、誰が誘惑してこようと心が傾くわけもない。そんなことで傾く心など持ち合わせてはいないし、傾いていてはLという存在は勤まらない。

 無論、キラに対しても私は淡々と捜査を行い、追い詰める。

 だが、その過程で、彼の痴態を間近で拝みたいと、そんな欲望を抱いてしまった。

「(キラ、お前は私を殺したくて仕方ないだろう。自分の理想を邪魔する私を憎悪してもいる。だが、そんな相手でも、お前は今のような痴態を見せ、愛欲の虜になった振りが出来るのか? もしそうなら)」

 もしもの可能性の姿、モニターの中で乱れるように、私の下であのように喘ぐキラの姿が見られるならば、私は。

「私は、お前を追い詰めたい」

 気づけば口から零れ出てしまっていた、願望。

 改めて言葉にしてみて、私の内側にはこんなサディスティックな一面があったのかと、自分のことながら驚く。

 だが、私は見てみたい。キラが心の内では私を憎悪しながらも、私に服従の姿を見せるのが。ああ、いっそ、キラを捕まえた後の取扱も全てが私に一任されればいい。そうすれば、私はキラが死ぬまで可愛がって、愛玩人形として汚してやれるのに。などと、今までどの犯罪者に対しても抱いてこなかった欲さえ沸いてくる。

 それほど、キラは私を追い詰めてきた。私の興味を引いた。私の喉元まで死の恐怖を突きつけてきた、唯一の犯罪者だ。

 だから、キラを支配できたならば、私は一度も味わったことのない満足感を得るのだろう。

「……キラ」

 画面の向こう、夜神月の姿を見ながら、私はそう名前を呼ぶ。

 ともかく、彼の自慰行為のシーンは捜査本部に公開するデータからは削除しておこうと、私はキーボードを叩きながら六十四つ全てのカメラの映像を切り取る。

 無論、データを削除などしない。このキラの姿は、私だけが大切に保管して、いつか夜神月が捜査本部に来た時に突きつけてみよう。その時のキラは、いったいどんな表情を見せてくれるのか、想像するだけで性器が痛いくらいに張りつめた。

「(私も一度、抜いておくか……)」

 さすがに言い訳が出来ない大きさになってきた己の下半身に苦笑しながら、私は手元のタブレットに、夜神月が快楽に悶えている顔だけを映した映像を送る。

 

 今は、この画面に出すだけで満足してやる。

 だがいずれ、本物のお前を私の精液で汚す時が楽しみだと、私は誕生日を待つ子供のように笑みを浮かべた。

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