「ハツコイ」
夜神月さん、ですか?
ああ、粧裕ちゃんのお兄さんのことですね!懐かしい、よく覚えてますよ。なんてったってあの人、みんなの初恋泥棒って有名でしたから。
あ、すみません。このネタ、昔からの友達の間では鉄板で……。それくらい、粧裕ちゃんのお兄さんに初恋した子多かったんですよ。本当に。
私の知ってる限りでも、確か……六人はいたと思います。実際に私が知らないだけで、あの人に、夜神月さんに初恋してた人って多かったんじゃないのかな。
でも無理ないですよね。昔から本当にかっこいい人で、スポーツもできて勉強もできて、それでいてすごく優しいんですよ。私が粧裕ちゃんのお家に遊びに行った時とか、遊び相手になってくれたりして。少女漫画の王子さまとかよりもずっと王子様って感じだったなぁって、今でも思います。特に子供の頃なんて同級生が男子は幼く見えるものですから、ちょっと年上のお兄ちゃんって、やっぱり憧れちゃいますよね。
まあこんな感じで言ってる通り、実は私の初恋も夜神月さんだったんですよ。私、結構粧裕ちゃんと親しくて、しょっちゅうお家に遊びに行ってたんです。その度に夜神月さんに会ってたら、もう当然のように恋しちゃってましたよね。粧裕ちゃんと遊ぶのはもちろんですけど、半分くらいは夜神月さんに会いたくて遊びに行ってました。
だから修学旅行の時、夜にみんなで恋バナでもしようかってなったんですけど、粧裕ちゃんと共通の友達の子みんな「粧裕ちゃんのお兄ちゃんが好き」って言って、私すごいびっくりしました。っていうか、みんなビックリしてましたけど。
ここまで来ると気まずさとか一切なかったですね。それどころか笑い話と言うか。なのでそれ以来、粧裕ちゃんのお兄さんは『初恋泥棒』ってあだ名で呼ぶことになったんです。もちろん、粧裕ちゃんには秘密でしたけど。
でも、やっぱりあれだけかっこいい人だから、そりゃ彼女も可愛いかったらしいですよ?誰だったかははっきり教えてもらえなかったんですけど、確か有名なアイドルとかモデルさんとか、そういう人が彼女だって粧裕ちゃん言ってました。分かってはいますけど、やっぱり美男美女同士が付き合う物って言うか、現実はなかなかに残酷ですよね。でも、粧裕ちゃんのお兄ちゃんくらい完璧な人だと、私みたいなのが付き合えたところで気後れしちゃいそうですけど。
そんなお兄さんの妹だから、やっぱり粧裕ちゃんも美人ですよね。中学生くらいの頃はそこまで男子の注目の的ってことはなかったんですけど、高校生になってからもう高嶺の花でしたね、粧裕ちゃん。よく男子に粧裕ちゃんのこと紹介してって言われましたもん。
だけど粧裕ちゃん、何人かの男の子と付き合ってたけど、あんまり長続きしないタイプだったんですよね。粧裕ちゃんの話とか聞いてると、めちゃくちゃいい彼氏だったのに、何か誰も粧裕ちゃんのお眼鏡にはかなわなかったみたいで。
って言っても、理由はだいたいわかりますけどね。だってあんなにいいお兄さんが近くにいたんじゃ、周りの同級生じゃ全然、レベルが違いすぎて恋愛対象にならなかったんじゃないんですか?どいつもこいつも子供っぽいと言うか、男子なんてヤることくらいしか考えてない猿みたいな人間なんだなーって。まあそれは成人した今でも女の子はみんな思ってることですけど。あのお兄さんと比較しちゃうのも可哀想な話ですけどね。
と言うかやっぱり、あんなに素敵なお兄さんだったから粧裕ちゃんも……。あ、すみません。この話はえっと……。この話、みんなには秘密ですよ?
粧裕ちゃんの初恋の相手って、多分、お兄さんだったんだと思います。だからどんな男子が相手でも、粧裕ちゃんは一切関心が抱けなかったんだろうなって思ってるんです。
夜神月さんが初恋泥棒だっていうのはさっきも言った通り、女の子が抱く理想の王子様っていう人だったんです。勉強もできてスポーツもできて……しかもできるレベルが全然違うんですよ。確か東大の新入生代表挨拶に選ばれたとか、首席で卒業したとか、後は中学時代にテニスでジュニアチャンピオンになったとか……そんなのもう、漫画の世界の話じゃないですか。それでいて、モデルとか俳優さんかなって思うくらい、びっくりするくらいかっこよくて。人間っていうよりは、あまりにもいろんなものを持っていすぎて、神様みたいな人だったなって今では思います。
だから粧裕ちゃんも、実のお兄さんとはいえ、夜神月さんが初恋の人だったんじゃないのかな。普通の兄妹だったらまずないですけどね。私も兄がいるんですけど、これがまあひどい人で。絶対にあの兄にだけは初恋なんてないなって思うんですけど、もしも自分のお兄ちゃんが夜神月さんだったらって考えたら……うん、血のつながりがどうこうって言う前に、好きになっちゃいますよ。絶対にお兄ちゃんが初恋の相手ですね、なんて。
実は一回だけ、そのことで粧裕ちゃんを揶揄ったことがあるんです。
その時どうにもむしゃくしゃしてて……私がずっと好きだった人が粧裕ちゃんに告白したって知って、でも粧裕ちゃん全く興味がないからってすぐに振っちゃって……だからつい意地悪したくなったんです。
粧裕ちゃんはずっとお兄さんに初恋してるから、クラスメイトみたいに幼稚なのなんて好きにならないよねって。
そしたらさやちゃん固まっちゃって……私としてはすぐに否定してくれたり、そんなことあるわけないじゃんって言って欲しかったんですけど。なんだか粧裕ちゃん少し考えちゃったみたいで、凄いびっくりしてました。
すぐにやらかしたなって気づいて、色々とフォローを入れたんですけど、粧裕ちゃんなんだかぎこちなくて……。友達の初恋、それも禁断の初恋を自覚させちゃったかも、ってとても後悔しました。その後めっちゃ共通の友達から責められましたもん。そういうのは思ってても言わないものでしょって。ってことはやっぱりみんな思ってたってことなんですけどね。
それが高校生くらいの頃でしたから、確かもうお兄さんには彼女がいたんじゃなかったのかな。初恋を自覚したのに、その相手は実の兄で、もう付き合ってる彼女がいるって、どんな気分なんだろう。
しかもお兄さん、とってもその彼女のことが大好きだったみたいで。一度家出騒動まで引き起こしたらしいですよ。彼女との付き合いを認めてくれないならこんな家出てってやるみたいな。すごい真面目な方だったみたいですから、粧裕ちゃんもまさかのお兄ちゃんがこんな事って、とても驚いてて……。私も正直驚きました。あんなに真面目そうで思慮深い人がそんなことするんだって。私でもこんなに驚いたんですから、ずっとお兄さんと一緒にいた粧裕ちゃんなら尚更ですよね。
結構長い間いなかったみたいで、その頃の粧裕ちゃん本当にかわいそうでした。全然元気がなかったって言うか、あれはもう憔悴してたって言ってもいいですね。だから冬のちょっと手前にお兄さんが戻ってきて、すごい喜んでたのよく覚えてますもん。
それで、粧裕ちゃんの初恋の話に戻りますけど、私が初恋の相手はお兄ちゃんなんじゃない?って言っちゃった日から、粧裕ちゃん誰とも男の子とは付き合わなくなったんです。本人は勉強頑張りたいから今はそんな時期じゃないとか言ってましたけど、なんだかそれが余計に失恋した子みたいに見えちゃって。
それに大学に受かってからも、粧裕ちゃん全然彼氏とか全然作らなかったんです。いろんな人からアプローチされてたのに、全部うまい具合に交わすようになっちゃって。粧裕ちゃんのかわし方凄いですよ、百戦錬磨のプロって感じでした。それだけ色んな人から言われてきたんだろうなって思います。あれだけ可愛ければ無理もないですけど。
でも粧裕ちゃん、人から可愛いって褒められても、いつもぎこちなかったんです。毎回苦笑いしてるって言うか、自分は可愛いって言われるにはふさわしくないみたいな、そんな感じだったかな。
それだけ可愛いのに謙遜してたら、私みたいなのはどうなっちゃうわけ?ってふざけて聞いてみたことがあるんですけど、粧裕ちゃんすごく真剣そうな顔で言ったんです。私は私よりもずっと可愛い人の事知ってるから、どんなに褒められてもバカバカしくなっちゃうんだって。自分はあの人には絶対敵わないからって。
粧裕ちゃんが言ったあの人が誰かって、もうすぐにわかっちゃいましたよね。絶対にこれ、お兄さんの彼女のことだなって。粧裕ちゃん、多分お兄さんの彼女に嫉妬してたのかも。ただでさえ兄妹っていう血の繋がりがあるのに、それ以上にそもそもお兄さんの彼女が自分よりもずっとかわいいって。
それにしても、粧裕ちゃんでもかなわない人って、一体どんなレベルの人なんでしょうね?アイドルとか女優さんとか?それこそミサミサくらいのレベルで可愛いんですかね?有名人だと聞いてますけど全く想像がつかないです。
でも、あの時の粧裕ちゃん、本当に苦しそうで、くやしそうでした。
まさに、失恋に嘆く乙女っていう感じで。
だからこの話、私にとっての後悔の話なんです。私が言わなければ粧裕ちゃんはずっと、自分の初恋なんてものに気づかないで、自分を大切にしてくれる彼氏と出会うことができたんじゃないのかなって……。粧裕ちゃんくらい優しくて可愛い子ですから、いい人がいっぱいいたと思います。
あんな事に……誘拐事件の被害者なんてものになった、粧裕ちゃんの心を支えてくれるような……いい人が、本当はいたんじゃないかって。お兄さんへの初恋にさえ気づかなければ、もっと早くに見つけられたんじゃないかって、ずっと後悔してるんです。
そりゃ、私が言わなくても自分で気付いていたかもしれませんけど、でも一番最初に言っちゃったのは私ですから。だからこれは私の責任なんじゃないかって、今でもあの日の子供っぽい感情に流された自分が嫌いで、タイムマシンなんてものがあるんだったら殴ってでも止めたいですもん。
こんな初恋、気づかせてあげるべきじゃなかったなって。