「From L to L」
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『From L to L』
『僕のゲームは楽しいか?』
夜神月から手紙が届き、キラはまだ生きていると調査をはじめた翌年。
夜神家に海外から直接届いたという手紙を確認しながら、私は大きくため息をついた。
「全くもってふざけているとしか思えません」
同じように暗号文によって書かれた手紙を解読して出てきた言葉は、実に簡単ながらも私を煽る言葉だった。
大統領から直々に引き出した資料だけでは、結局彼がどうやって死を逃れたのかはわからなかった。
だが、夜神月はかつて自室に仕掛けられた六十四個の監視カメラを掻い潜り、キラとしての疑いを持たれず犯罪者裁きを行った人間だ。その男が関わっているのであれば、いくら探したところで証拠などというものは出てこないのだろう。おそらく私に渡された資料についても、彼が事前に、入念にチェックしていたに違いない。それほどまでに夜神月というのは慎重で、警戒心の強い人間だ。
だから私は、彼がどうやって死刑から逃れたのか。という線ではなく、彼が今どこにいるのかという線で捜査を開始した。
しかし、一度私に負けたせいだろう。夜神月はそう簡単に、私に足取りを掴ませはしなかった。
まったくもって、夜神月という男は油断ならないと親指を噛んだ時、特別な着信を告げる音がパソコンから鳴り響く。
『L、メロだ。ついさっき、上海での事件が解決した。後で報告書を送るから確認してくれ』
私の後継者候補として夜神月の追跡捜査に関わってもらっていたメロからの報告に、この期間で今回の事件が解決できるならば及第点だろうと考えながら、彼の報告に答える。
「はい、お疲れ様でした。それで、キラに繋がる何かは見つかりましたか?」
『……正直、なんとも言えない。ただのマフィアが起こした事件にしちゃ冴えてはいるが、裏に誰が居るかまでは確認できなかった』
メロの悔しさを滲ませる声色に、想像はしていたがはやりそうかと、私はサイドテーブルに積み上げていた『香港マフィア連続不審死事件』のファイルを投げ捨てた。
これで、夜神月が関わっているであろう可能性のある事件は五件目の解決となるが、一向に夜神月の存在は確認できていない。いっそ、夜神月など生きていないと思った方が整合性が合うような状況に、かつてのキラ事件を思い返す。
キラ事件も、犯罪者だけが心臓麻痺で死んでいるという事実だけを見れば、何者かの意思があるのは明確だったが、しかしそのあまりにもの不可能殺人の連続に、神の選定だと考えたくなるほどだった。
しかし、神は選定など行っておらず、その事件を引き起こしたのは当時まだ十七歳の学生だった。
その犯人であったキラが関わっているのだ。どれほど証拠が見つからなかったとしても、あの夜神月が私に対して『僕はまだ生きている』と告げてきているならば、私はLとして必ず夜神月を見つけ出さなければならない。
「分かりました。私も後で報告書を読んで、キラが関わっていないか検証してみます。それから……メロ、貴方なので見落とし等はないとは思いますが、念のため、もう一度今回の事件を念入りに調査し直してください。事件を解決してから改めて見ることで、別の発見があるかもしれません」
『それは別に構わねぇけど、わざわざもう一度調べろなんて珍しいな』
「今日、キラから二通目の手紙が届きました。発送元は中国の北京、消印は一週間ほど前、おそらく貴方に事件の調査を依頼した後すぐの頃です。暗号を復号したところ『僕のゲームは楽しいか?』という文章になりましたので、私が貴方を送った時点で、キラは既に高跳びが完了していたようですね」
私が彼からの手紙をつまみ上げながら淡々と説明した内容に、メロは通信機の向こう側でふざけるなといくつかの罵声を口にした。相変わらず感情的になりやすい欠点があるなと思いながらその声を聞いていると、随分と苛立った様子でメロはため息を吐き出した。
『本当に、キラっていうのはどうかしてるな……そのくせ、臆病なくらい用心深すぎる』
「ええ、そうですね。以前もそのせいで、随分とキラには手こずらされました。どれほど可能性が低くとも、常にキラの存在を疑ってください」
無論、メロへのこの忠告はこれが初めてではないから、今回の捜査においてもメロは十分すぎるくらい可能性について模索してはいるはずだ。しかし、その疑いの眼差しすらかいくぐる程、夜神月もまたこちらに対して用心している。
それが、夜神月が手紙で伝えてきた、私と行っている『ゲーム』なのだろう。
「……しかし、あのキラが私との『ゲーム』の為にどこまで犯罪者に協力するか、疑問ではあるが」
私がふとこぼした言葉に、メロはどういう意味かと疑問符を浮かべた。
『相手はあの大量殺人鬼のキラだろ。どんなことをしたって不思議じゃない』
「確かにキラは大量殺人鬼でしたが、キラは自身の正義の信念によって裁きを行っていました。私からすれば幼稚で独善的な犯行動機ですが、しかしキラの中では正義の基準に当てはまっていた。その基準から考えると、いくら犯罪者が被害者になる事件とはいえ、犯罪者の利益にも成りうる事件に手を貸すか疑問なんです」
私が、キラが関わっていると判断して捜査を行っている事件は今回の『香港マフィア連続不審死事件』を含め全て、犯罪者が被害にあうものばかりだ。
それは夜神月の思考からして、善良な一市民が被害にあうような事件には加担しない、という分析から絞り込んでいる。だが、今回の『香港マフィア連続不審死事件』に関しては、民間人にも僅かとは言い難い被害が出ている。
あの夜神月が、キラとして犯罪者を裁いてきた男が、そんな事を許すだろうか。
『Lとゲームをしているつもりなんだ、それくらいするだろう』
そんな私の疑問に、メロは一切の迷いなくそう答えた。
『正直なところ俺は、あんたやメロに勝つためなら、躊躇なくマフィアだろうが犯罪組織だろうが利用できると思う。キラだって、同じなんじゃないのか? 最初は御大層な理由を掲げていたとしても、Lとゲームをするためならその信念だって投げ捨てる。実際、キラは犯罪者じゃなくたって何人も殺してきただろう』
そんな人間が、今更どんな犠牲が出ようとも、躊躇するわけがない。
そう語るメロの言葉に、確かにそうだと彼のことを思い出す。
夜神月という人間はたしかに、父親譲りの正義感を持っていた。だが、それと同じくらい彼は幼稚で、負けず嫌いだった。
そんな人間が、一度私に負けて、再び戦うことが出来るとなった時、何を考えるか。
今までの自分は甘かった。これからはどんな犠牲も厭わない。Lに勝つためであればどんなことでもしよう。
それこそ、かつて自分の信念による裁きだといった事すら覆して。
『今回の事件のことをゲームとか言ってるんだ。Lがシャーロック・ホームズで、自分がモリアーティ教授のつもりなんだろう』
世界で一番有名な名探偵の物語に見立てて、私とキラの関係を語るメロの言葉に、それが今の夜神月の姿なのかもしれないと思い、ため息を吐き出す。
犯罪を憎み、結局は自分自身が犯罪者として処刑された、憐れむにはあまりにも大きな罪を犯してしまった子供。そして、その子供はついに、犯罪者にとってのカリスマ的存在になってまで、私との戦いを続けようとしている。
「……どのような理由にしろ、私は必ずキラを捕まえます」
あの愚かで道を誤ってしまった子供に、今度こそ終わりを与えるためにも。
この事件だけは、自分の命に代えてでも必ず、解決してみせると、私は再び己に誓った。
また季節が巡ってきた頃に見た夢は、珍しく私の記憶の中でも強く残っている一場面だった。
「以上が、火口を殺した方法だ」
それは私が夜神月と最後に会話をした日。
火口殺しについて、夜神月がついに口を割った日のことだった。
「なるほど、ここにデスノートの切れ端を仕込んでいたんですね」
彼が大学の入学祝に父親から贈られたという腕時計を操作しながら、私は感慨深くその仕掛けを何度も作動させた。彼は実に手先も器用で、よくこのような隠し場所を思いついたものだと、父親からの入学祝ですら躊躇いなく利用するその精神に冷笑が零れた。
一方、興味深く腕時計をいじくり回していた私とは対照的に、夜神月はこれが最後の自白であり調書の作成だと理解しているのだろう。
これでついに終わってしまったと、しばらくのあいだ天井を見上げてから、大きく息を吸い再び私に視線を向けた。
「……これから僕は、どうなる」
「法務省の管轄になりますが、その後、どういう経由になるかは国同士の関係もあるので私にはなんとも言えません」
お前が終身刑になるのか、あるいは死刑になるのかすら、私には分からないことだし、興味の対象ではない。
そんな私の意思を感じ取ったのだろう。夜神月は『そうか』と小さく答えると、立ち上がって私たちの間を隔てる分厚いアクリル板に近づいた。
当然だが、今更どんな抵抗したところで無駄だということは十分に理解できているだろう。ただでさえ利口である彼ならば、無意味なことはしないはずだ。
その彼がこうしてアクリル板に近づいてきたのだから、きっと何か意味があるのだろうと私もまた、アクリル板へと近づく。
「L、お前に頼みたいことがある」
隔たれた向こう側で、夜神月はわざわざそう、自分の考えていることを言葉にした。
珍しいことだと思った。私も彼も、思考の回転力が常人より早すぎるが故、他人にわざわざ分かり切っていることを説明しなくてはならない。そんな日々にうんざりしている性質だ。
だから、その気遣いが不要な私たちの間には時として、傍から見れば話が繋がっていないような会話をする時がある。だが、それが私たちにとって心地よかったと、少なくとも私は彼とキラ事件の捜査を行っていた日々を思い返す。
だが、その日は珍しく、夜神月はわざわざ確認をするように話し始めた。
「僕が死んだら、デスノートは誰の手にも渡らないように、お前の手で処分してくれ」
「元々そのつもりです。しかし、時期に関して言えば、私は貴方の引き渡しが済んだ時点で、ノートを焼却処分するつもりです」
「別に、お前がそうしたいならすればいい。ただ、僕にキラとしての意識がある状態で刑を受けさせたいなら、僕が死ぬまで待て」
「それが、貴方がずっと黙秘している『火口を殺した理由』に関わる事、ですか?」
長い尋問の中で、夜神月が決して口を割らなかった部分がある。
どうしてあのヘリの中で、火口を殺したのか。なぜ、殺す必要があったのか。
だが、その点についてどれだけ尋ねたところで、それこそ肉体的に痛めつけたところで、夜神月は決して口を開くことはなかった。
結局、その部分に関しては早くキラを引き渡せと言う各国からの圧力と、それを食い止める警察庁との戦いのタイムリミットが先に来てしまった。
だから私としては、キラ事件に不完全燃焼の部分が残ってしまったのだが、やはり彼は最後まで明かすつもりはないらしい。
「ここまで詳細な調書を作らせておいて、相変わらずですね」
「僕にも交渉材料は必要だからな。これくらい許せよ、それか、自分で推理してみたらどうだ?」
お前のその、キラを捕らえた天才的な頭脳とやらで。
と、嘲笑的な笑みを浮かべた彼に、やはりキラは幼稚で負けず嫌いで、己とよく似ていると親指の爪を噛み締めた。
「分からないと言えば、もう一つ分からないことがあるんですが」
「なんだよ。教えたら、減刑にお前が尽力してくれるっていうなら答えるけど」
「キラとして捕まった時点で、どれほど減刑があっても末路は変わらないと思いますが」
だったら答える義理はないなと背を向けようとした夜神月に、私は別に答えを得られなくてもいいだろうと、ダメ元でその問いかけをしてみた。
「貴方が、私を殺す算段を用意せずに、今回の第三のキラを用意したとは思えません。どうやって私を殺すつもりだったんですか?」
そう、夜神月の調書を作っている時、一番疑問に感じていた部分を問いかける。
夜神月は、先のことを読む天才だ。圧倒的な分析力と想像力、咄嗟の対応力は、もはや神の領域だ。よくそこまで先のことを想定して動くことができたと、この私ですら感心してしまうほどに。
だから夜神月が、今回私に話した策だけで挑んできたとは到底思えない。
いくら自分からキラの疑いを反らすためとはいえ、この第三のキラのせいで夜神月はデスノートという存在を私に知られることになった。それは、キラにとって最も恐れるべき事態だったはずだ。
だが、夜神月は、キラはその方法を選んだ。それだけ追い詰められていたのだと考える事も出来るが、あのキラ果たしてそれだけの策で私に挑むだろうか。
彼にはまだ、私に話していない何かがあると思った。
それを彼に問いかけると、彼はなぜか迷ったような表情をして見せた。
「それは」
とても珍しく、夜神月は言い淀む。
今までどのような問いかけであっても、それこそキラとしての正体を隠しながら捜査本部に潜り込んできた時も、彼は言い淀んだりしたことはない。すらすらと、それこそ怪しいほどに、流暢に言葉を並べて見せていた。
だが、今日の彼はとても迷っているようで、私から視線をそらし、じっと何かを考え込んでいるようだった。
「月くん」
あなたが伝えるつもりがないならば、私が独自で推理します。
と、彼の名前を呼んだ時だった。
夜神月は突然、私のことをジッと見据えたかと思うと、何かを覚悟したように。あるいは何かを諦めたように、嘲笑とも諦観とも言えない複雑な笑みを零した。
「死神を使う予定だった」
「死神、ですか」
「ああ、弥海砂さえ生きていれば、僕の思い通りになる死神が居た。そいつに、お前を殺させる算段だった。だが、お前も知っての通り、火口が捕まる際に、最後の抵抗でヨツバの面子を含めミサのことも殺したからな。その切り札が使えなくなったどころか、僕は死刑になるか死神に殺されるかしか、道が無くなった」
夜神月が語るように、火口卿介は高速道路での逃走劇の末、もう逃げられないと悟ると、自身が所有していたデスノートにいくつもの名前を書きなぐった。
これから自分へキラの調査をされる際、少しでも証言者を少なくして有利になろうとしたのだろう。ノートにはヨツバの死の会議に参加していた面子にくわえ、第二のキラだと火口も認識していた弥海砂の名前も書かれていた。
結局、火口は夜神月によって殺されたため、彼の最後の抵抗は無意味と化してしまったわけだが、弥海砂が死んだことだけは、夜神月の計画の想定外だったらしい。
「なるほど、だから貴方は、キラとして素直に自白していると」
「ああ、そうだよ。まったく……本当に厄介な死神だよ、あいつは」
そう吐き捨てるように、彼は私の知らぬ『死神』とやらについて語る。
だが、その死神について詳しく話を聞く前に、調書作成が終了したことを確認しに来た夜神総一郎の姿によって、私達の会話は中断される。
「竜崎、そろそろ、時間だ」
「はい、分かりました。夜神さん、時間の引き延ばし、ありがとうございました」
これで聞きたいことも聞き終えたと、私は小皿に残っていた大福を最後に口に入れ、そのまま部屋を後にしようと立ち上がる。
その時、夜神月が私を呼び止めた。
「竜崎」
その声に、なんですかと振り向けば、そこに居たのは先ほどまで浮かべていた自嘲も諦観も、何もかもが消え去った。あまりにもキラに似つかわしくない、真摯な表情をした彼の姿だった。
「ノートの事、頼んだぞ」
それだけ告げると、夜神月は自分から部屋を出ていった。
その後ろ姿が、私が最後に見た、夜神月の姿だった。