「破壊」
5
私の仕事というのは、極論を言ってしまえば外部とやり取りのできるインターネットに繋がったパソコンさえあれば、大体の事は片付いてしまう。
事件の概要を各国の警察から聞き、必要な捜査を指示して事件を推理する。時には追加の捜査を依頼せず、ただ事件の証拠品を確認するだけで解決する事もある。
このスタイルを推理小説に例えるならば、アームチェア・ディテクティブというところだろう。
といっても、今の私はアームチェアではなく、専らベッドの上で推理を行っているのだが。
「では、彼の部屋から片足だけ薬物の付いた革靴が出てくれば確実です。すぐに捜査員を向かわせてください」
ベッドの上に置いたノートパソコンのマイクに向かって、ドイツ語でそう指示をすれば、画面の向こう側に居るドイツ警察の面々が騒がしく動き始める音が聞こえた。
これでドイツ国内を騒がせているシリアルキラーも捕まるだろうと考えながら、私は捜査責任者からの感謝の言葉を聞き流し、あとはそちらで頼みますと早々にパソコンの画面を閉じた。
今回も最初に期待したよりは簡単に解決してしまった事件に、やはりキラ事件のような難事件はそう簡単に起こらないらしいと、どこか退屈さを覚えた。
だが、本来世界というのは、私のような存在など不要としているほうが喜ばしい。それはきっと、彼が望んでいた『キラが神となる新世界』に近しい、けれど不可能な世界なのだろう。
「貴方が表舞台から消えて、一年程度しか経っていないというのに、世間はもうこの有様とは……キラとはいったいなんだったんでしょうね、月くん」
静かになった部屋で、私はそう隣に居る彼、夜神月へ問いかける。
しかし、彼は私の言葉に対し、なにひとつ反応を示さない。その様子に、私は今日もちゃんと彼が壊れたままなのだと確認して――喜びの笑みを零した。
「月くん」
今まで他人に一度も晒したことのない、愛しいものを心の底から思うような、夢心地な声で。
私はそう、ベッドの上で虚空を見つめる彼の頬を撫でた。
夜神月が壊れたのは、今から二週間前ほどの事だった。
長期間の監禁と拷問でも心を壊さなかった彼を徹底的に追い詰める為、三ヶ月ほどわざと私の手元から逃してみせ、彼が安心しきったところで全て私の手の内であることを明かす。という作戦は、見事なまでに成功してくれた。
やはり心を壊すには、一度救いを与えてから再び奪うというのが確実らしい。心を壊す絶望には落差が必要だ。幸せであるほど、救いを見出して、未来を確信していたのに、自分は所詮手のひらでまやかしを見ていたに過ぎないと知る時、人間は最も早く心を壊す。
再び私の元に戻ってきた彼が狂うのは早く、半年間の拷問など比較にならないほど、彼は見る見る内に疲れ果て、やがてその瞳に光を宿さなくなった。
いくつかの検査の結果、刺激への反応や脳波、意識レベルから見ても、彼の心が壊れたのは間違いないとようやく確信した私は、こうして彼を鎖から外し、柔らかなベッドに寝かせながら、その隣でLとしての活動をするようにした。
常に彼の温度を感じながら生活が出来るのは、実に幸福感を私に与えてくれる。と、自分の極力外に出ない捜査スタイルに良かったと思ったのは後にも先にも今が一番だろう。
彼の身体は、三ヶ月の休養のおかげである程度健康体に戻っていたが、やはり連れ帰ってきてから少し痩せてしまったようだ。初めて出会った頃は若いながらもしなやかな筋肉がついていた身体も、今は少し肋が浮き出ている。と言っても、無論彼の身体は未だ健康体の水準に入るだろう。その点に関しては、私は細心の注意を払っている。
「L、お疲れ様でした」
私が夜神月の身体を背後から抱きしめ、柔らかな髪の毛に顔を埋めていると、ワタリがティーセットの乗ったワゴンを押しながら部屋に入ってきた。今日は前から要望していた有名なショコラティエのチョコレートを用意してくれたらしい。宝石のようなチョコレートが綺麗に詰め込まれている箱と紅茶を用意しながら、ワタリはそういえばと口を開いた。
「ハウスから、そろそろ後継者選びのためのテストをしてみないかと打診がありました」
その言葉に、二年ほど前、キラ事件に関わる前にハウスでパソコン越しに少し話をした日を思い出す。あの中でLを継ぐに相応しい能力があるとすればニアかメロという少年のどちらかだが、そろそろ少しずつテストをして見極めを行ってもいい時期かもしれない。と、私はテストの内容を考えながら、チョコレートを一つ口の中に放り込んだ。
「分かった。では一週間後、個別に面談形式のテストを行う。テストを希望する者には、事前にレポートを作成させてくれ。レポートの題材は……キラ事件の犯人像と犯行方法について、だ」
「分かりました。こちらで把握しているキラ事件の捜査記録はどこまで公開しますか?」
「何も公開しなくていい。今、世間に流布している内容から、どこまで推理できるか。それが見たい」
そのレポートの内容によって、たとえ正解でなくとも見込みのある者にだけ、面接を行う。いや、もしかすれば、ニアかメロであれば、今公表されている情報だけでキラ事件の真相の、いいところまで推理できるかもしれない。
「……もしも正解したら、褒美としてキラの現状について教えてあげようか」
私の腕の中で虚ろな目をしている彼を見つめながら、悪戯を企む子供のように呟く。
と、珍しくワタリが怪訝な表情で私を見つめた。
「それは、表向きの『自殺』の方ですか?」
「いや、本当の方だ。キラは今、私の腕の中に居ると、そう話してあげよう」
「……貴方がそんなに自慢したがる質だったとは、初めて知りました」
ワタリの言葉に、なるほどたしかに私は誰かに彼のことを自慢したいのかもしれないと、今更ながら自分の心に気付く。
私は夜神月に、キラに勝利した。という事は、誰に自慢しなくとも皆が讃える私の経歴だ。
だが、私が求めているのは人類史上最悪の殺人鬼であるキラを捕まえた賞賛ではない。そんなものよりも私は今、とても幸せだ。誰と比較しても圧倒的なまでに満たされている。と、皆に言って回りたいような、そんな気持ちを抱えていた。
まるで恋人との蜜月を自慢する俗物のようだと、今までの自分では考えられない変化に笑いながら、私はワタリの用意した紅茶にどぽどぽと角砂糖を落した。
「Lは犯罪者を自分の欲望のままに使っている。と、うら若き子供たちに誤解を与えてしまいそうです」
「別に誤解ではないし、その程度で失望してLを継ぐのを止めるなら、最初からLとしての資格などない」
事実私がしていることは、ワタリの言った通り『キラである夜神月を自分の欲望のまま捕らえている』という行為に他ならない。
とはいえ、こんなに時間も労力も使って、壊してでも手元に置いておきたいと思ったのは、夜神月が最初で、そしておそらく最後の相手だろうが。
「では、その通りに準備を進めます」
ワタリはそう言いながら最後の茶菓子の配膳を済ませると、来た時と同様に銀色のワゴンを押して部屋から出て行った。
その姿を横目で見送ってから、私は箱の中からチョコレートを一つ摘み、彼の口元へと運ぶ。
「月くん、美味しいですよ」
さぁ、食べてみてください。と、今まで誰ともお菓子を分け合ったことなどない私が、彼と甘味を共有しようと声をかける。
すると、夜神月はゆっくりではあったが、小さく口を開けると私が唇の前に運んだチョコレートを咀嚼した。
今の夜神月はそれこそ人形や死体のように、その瞳に光を宿さなくなっているが、私が散々躾けてきたことが肉体に染み付いているのだろう。私が口にした言葉に関しては、それがどんな内容であろうとも、たとえ肉体が疲労と限界の最中にあろうとも、彼は従おうとする。必死に応えようとする、なんともいじらしく愛らしい姿だろうか。
だが、今回のチョコレートはうまく飲み込めなかったらしい。彼の唇の隙間から、チョコレートが溶けた唾液が線を引いて落ちた。あの夜神月が赤子のような姿を晒す彼を微笑ましく思いながら、私はそっとタオルで彼の口元を拭ってやる。
「月くん、飲み込みにくいですか? なら、一緒に食べましょうか」
私はそう告げると、夜神月の前に周り、彼の体を脚の間に滑り込ませ、腕の中に抱きかかえる。そして、舌先で夜神月の薄い唇を割って、彼がまだ口の中に含んでいたチョコレートを私の側に移した。
「ん……っ、は」
私の口内でチョコレートを溶かしてから、今度は彼の舌先と私の舌先を絡め合い、その甘味を分け合うように堪能する。
やがてチョコレートが口の中から消えた頃。唇を離せば、互いの間にチョコレートの色が混じった唾液が糸を引いて垂れ、その光景に思わず笑みを浮かべた。
「美味しいですね」
さぁ、もう一個。と、新しいチョコレートを手に取り、それを唇にくわえながら再び夜神月に口付ける。互いの舌先で溶かし合う甘味に、私は恍惚とした表情を浮かべながら、何度も何度も彼の唇を貪った。
夜神月を壊す最中では、決してすることのできなかった行為。
慈しみと愛を際限なく与えるための、口付けという行いが、私を何よりも幸せにさせてくれる。
だから私は、互いの口の中からチョコレートがなくなっても、再び補充するために唇を離すのさえ惜しくて、そのまま絶えず互いの舌先を絡め合った。
「……っ、は、月くん……。愛しています」
交わる間に、ごくありふれた、恋人同士の間で紡がれるような、愛を伝えるための言葉を紡ぐ。
今まで、私はそんな陳腐な言葉を決して彼に伝えてはならぬ人間だった。
私が夜神月に対する愛を自覚したのは、一体いつのことだっただろうか。
キラと言う存在を認知した時だろうか。あるいは夜神月を初めて監視して、その頭脳の片鱗に触れた時だろうか。それとも彼をキラ容疑者として監禁した時か。もしかしたら、彼と手錠で互いを繋ぎ共同生活を送った時か。はたまた、彼こそがキラであるという確証を得て、その身柄を拘束したあの最も興奮した時か。
候補になる瞬間は数多あれど、最終的に確かに言えることとして、私は夜神月をキラとして捕らえた時、この男をどの国の司法にも引き渡したくないと強い衝動を抱えてしまった。
「(私は、お前を処刑台に送ると言ったのに、出来なかった)」
夜神月の命が失われると考えた瞬間、激しい嫌悪と恐怖に震えた。初めにその感情を自覚した時、私は己の正気を疑ったが、しかしどれほど考えを巡らせたところで私の感情に変化は訪れなかった。そんな経験はLとして、否、エル・ローライトという一個人として生きてきた中で初めての経験だった。
そして、もしも夜神月を私の手元に置いておけるならばと考えた瞬間、今まで感じたことのないほどの幸福感がこの身体を駆け抜けた。駆け抜けてしまった。
世界の切り札等と称賛された『L』は、大量殺人鬼キラである夜神月を愛している。という答えに至るのに、時間はかからなかった。その事実に気付いてしまった瞬間、私は私自身に大いに失望した。
夜神月は、多くの犯罪者を殺してきた殺人犯、キラだ。連続殺人鬼という括りであれば、彼は人類史上最も多くの人間を殺してきた、恐るべき犯罪者。そんな人間を司法の手に渡さず、己の手の内に監禁することなど許されるわけがない。
しかし、どんな人権を無視した捜査にも罪悪感を抱かない私が、その程度の倫理観で己の願望を止めることなど出来る訳が無かった。それどころか、私でなければキラを捕まえることが出来なかったのだから、キラに対しての権限は全て私にあるべきだとさえ思った。
「(キラはもう二度と、現れない。世界にとってはその結末さえ同じであればいい)」
ならば、私が夜神月を監禁してもなんら問題はないと、ワタリに己の意志を伝え手を回させるのは早かった。
夜神月が何処で裁きを受けることになってもいいように、想定出来る限りの全てのパターンで夜神月の死を偽装する準備を企て、そして実行に移した。結果は驚くほど簡単に、家族でさえ夜神月の死を信じたのだ。
こうしてキラ事件は犯人死亡により解決。世界はキラの脅威から解き放たれ、今まで通りの犯罪者が蔓延る世界へと戻った。めでたし、めでたし。と、表側の物語はハッピーエンドで締めくくられた。
あとは、裏にて生きる私も、ようやく手に入れた夜神月と蜜月を過ごせばいい。とは、そう簡単にはいくわけがなかった。当然だ、なにせ、相手は私を何度も殺す寸前のところまで追い込んだキラだ。彼に私の恋心などというものを告白して、それを利用されないと考えるほど私も能天気に浮かれてなどいない。
相手は、あのキラ、夜神月だ。
彼はそれこそ詐欺師のように自分の印象をコントロールすることに長けており、その能力においては私以上だ。下手をすれば、今回の捜査に協力してくれた世界的な詐欺師、アイバー以上に、彼には他者を騙し思い通りにする力がある。
そんな彼に、私の感情を曝け出すことなど、出来るわけがない。私の初めて恋心などというものを覚えた未熟な情緒では、すぐに彼の誘惑に負けてしまう。私は負けず嫌いではあるが、己が勝てない分野がなんであるかは熟知している。
けれど、私は何がなんでも、どんな方法を取ってでも、夜神月が欲しかった。
彼の全てを支配したかった。
あの美しい青年の全てを抱きしめたかった。
あのキラに自分の欲望の全てをぶつけて、受け止めさせたかった。
だからその為には、夜神月を壊すしかないと、私が決断するのは早かった。
「月くん、っ、はぁ……」
彼の身体を抱きしめながら、何度も何度も口付けを交わす瞬間ほど、幸せなことはない。
私としてはそれだけで満たされる気分なのだが、しかし夜神月を壊すにあたって様々な快楽を教え込んでしまったせいだろう。私がキスを繰り返していると、抱きしめている彼の下半身が反応していることに気付き、その愛らしさに思わず笑みが溢れてしまう。
「月くん、感じてしまいましたか?」
こんな触れ合いのキスで感じてしまうなんて、随分と卑猥な体ですね。と、自分でそうなるように散々彼の肉体を調教しておきながら、わざとらしく羞恥心を煽るような言葉を口にする。だが当然、彼が私の言葉に反応することはない。壊れた彼は私の声に気付くことも理解することもなく、ただ呆然と虚空を見つめるだけだ。
その人形のような姿に安心感を覚えながら、私はそっと彼の下半身に手を伸ばした。
「少し、しましょうか」
太ももまである長いシャツの裾をめくりながら、下着を身につけていない彼の素肌に触れる。こうして時折、彼と肌を触れ合わせる今、私が彼に着せているのは肌触りのいいシャツ一枚だけで、あとは何も身につけさせてはいない。彼の美しい四肢を覆う布は少ないほうがいいという私の微かな芸術心と、少しくらいは隠していたほうが脱がせる楽しみがあるという下心による選択だ。
その狙い通り、薄い布の隙間から僅かに勃起させたペニスを覗かせる彼の姿は実に私の劣情を煽り、すぐに己の身体がその気になっていくのを感じた。
「月くん」
名前を呼びながら、彼の肌に触れ、服の隙間から鎖骨に唇を落とす。
私が好んで口を触れさせるのは今まで甘いものだけだったが、こうして彼を手に入れてからはまるで飴玉のように彼の肌を舐めてしまう。空調が整った環境であるため、セックスをする前は石鹸の匂いをさせる、微かに汗の味を感じる程度。
だから、私はもっと夜神月の味を感じたいと、散々この手で開発し尽くした彼のアナルへと指を伸ばした。
「ぁ……、あ、ぁ」
私の指先がシワを撫で上げた途端、彼は今まで無言で虚空を見上げていたのが嘘のように、喉を小さく振るわせて嬌声とも悲鳴ともつかない声を上げた。これから何をするか、本能がよく覚えているのだろう。彼はすぐに私の差し入れた中指を飲み込むと、こちらへ腰を差し出すように体を後ろへ傾けた。
「期待していますか、月くん」
仕方のない子供だと笑いはするが、この反応が彼に染み付いた防衛本能だということはよく理解している。自分にとって一番苦痛のない状況を選択している、というよりは、何度も教え込まれたから体が自然と反応していると言ったほうが正しいか。今の彼には、快楽を追い求める欲望も、痛みから逃れたい欲求もない。ただ、今までの日々で学んだことを繰り返しているだけだ。
おかげで私はさほど苦労することなく、彼のアナルを十分に広げることに成功する。もっとも、彼のアナルはもはや排泄器官というよりは性器としての役割が大きいため、そう難しいことでも無かったが。
「月くん、挿れますね」
彼の体を己の上に抱き上げ、そう首筋に唇を落としながら、確認というにはあまりに一方的な言葉を告げる。だが、彼が私を拒絶することはないため、どれほど一方的であろうと問題はない。
そして、私は今度は彼の唇に深く舌先を絡ませながら、さらに深く繋がるように、己の昂ったペニスを彼のアナルの淵に当て、そしてゆっくりと時間をかけながら彼の温かな肉の中に挿入した。
「っ――、ぁ、あ」
自分の体重によって沈んでいく感覚に、夜神月の口から甘い声が漏れる。
すっかりと性器としての役目を果たすようになったそこは、ただ挿入するだけで彼によほどの快楽を与えてくれるらしい。初めて彼を捕らえて挿入した日の姿を思えば、随分な変化だと我ながら思う。
「とっても、気持ちいい、ですね。月くん」
彼の蕩けるような表情を確認しながら、ゆさゆさと腰を動かす。彼の中は、見た目の廃人具合からは想像できないほど熱を持っており、温かく私を迎え入れてくれる。これが拒絶の無い夜神月の肉体かと思うと、それだけで幸福感が脳裏を駆け抜けた。
あの日、私のことを憎悪と嫌悪の視線で睨み、殺してやると息巻いていた、夜神月。キラ。
私に犯される度に、この世の全てを恨むような勢いを持っていた男。
それが今、私のする行為をここまで受け入れ、快楽に身悶えている。
「ようやく、壊れてくれましたね」
待ちに待った、念願の瞬間。決して折ることが出来ないとさえ思えた、彼の精神を破壊できた喜び。彼を壊すことが出来たからこそ、私はキラであった貴方を愛することが出来る。
それが何より嬉しいと、私は幸福を噛み締めるように彼の体を強く抱きしめた。
「月くん」
彼にどんな勘違いをされようと、どんな考えを抱かれようと、どれほど恨まれようと、どうでも良かった。
犯罪者を陵辱するのが趣味だとか、彼の為だけに用意したこの檻をリンド・L・テイラーはじめ他の犯罪者を蔑めるために使用していただとか、そんな話も今では遠い思い出だ。とはいえ、初めてその考えを彼の口から聞いた時は、なぜ私がお前以外にこんな行為をしなければならないのかと、彼の無理解に苛立ったりもしてしまったが。
しかし、彼を手に入れた今、全てはどうでもいい事だ。
無論、本音を言えば、欲しいものはいくらでもあった。私はキラとしての夜神月も愛していたし、彼の知性にも尊敬を抱いていた。私にとって夜神月は唯一、この世の全てにおいて、他の何にも代え難い形をしていた。だから、僅かでも彼が、彼の要素が欠けることは苦痛そのものだった。
それでも、私が『L』である以上、彼が『キラ』である以上、選ばなければならない一線があった。
たとえそれが、彼の全てを壊す事であっても、それでも、僅かにでも残った夜神月という存在が、私は欲しかった。
「(とはいえ、全てを薬ではなく己の手で行ったのは、私のエゴだろうが)」
人間の意識を壊す、あるいは管理下に置く事は、この医療が発達した現代において難しいことではない。本来、彼をただ人形のようにするだけなら、薬物で意識レベルを操作するだけで事足りてしまう。
だが、ただでさえ何一つ失いたくないと思った彼を壊す事に、それならば多少の苦痛を経たとしても、己の手で行いたいと思い実行した事こそが、私が彼を歪んだ形とはいえ愛した結果とも言えるだろう。
「ん――、っ、う、あ……ぁ、あ」
そんな事を考えながら、今までの扱いとは正反対に、壊れものを扱うように優しく、彼の温かな中を堪能するように動いていると、次第に彼の反応が大きくなってきた。ここ最近は特にそうだが、今の彼は理性も何もないおかげか、とても敏感に快楽を拾い上げてしまう。今まで優等生の夜神月として抑圧していた部分を取り払ってみれば、この少年には随分と快楽を享受する才能があるらしい。
「っ――――、あ、がぁっ!」
そんな姿を微笑ましく眺めながら、私が少しばかり強めに突き上げた瞬間だった。
彼の下半身が、ビクビクと大きく痙攣を繰り返した。
ふと私と彼の接合部に視線を向ければ、彼のペニスは弱々しい勃起をして先走りを垂らしているだけだ。だが、この痙攣と共に締め付けてくる感覚からして、おそらく中で絶頂を迎えているのだろう。所謂ドライ・オーガニズムというやつだが、ここ最近、夜神月はこのイキ方しかしない。というより、散々教え込んだせいで、もうそのイキ方以外、忘れてしまったのかもしれないが。
「う、あぁ……っ、あ、あぁ、はっ、はぁ、あ」
ドライでイったばかりの夜神月は、必死にその快感を逃そうと、激しく呼吸を繰り返す。ただ射精するよりもよほど気持ちが良いとは聞くが、彼にとってはいっそ苦痛に感じてしまうほどの快楽なのだろう。夜神月にまだ抵抗の意思があった頃から彼はこのイキ方が苦しかったようで、何度も身悶えていた事を思い出す。
「今日も頑張りましたね、月くん」
そんな彼を労るように、私は彼の背中を撫でてやりながら、ゆっくりと刺激しないように、彼の中からまだ固く勃起したままのペニスを抜く。ズルズルと抜く感覚でさえ彼は快楽を拾ってしまうのだろう。その唇からは、留めておけなかった唾液が溢れ、透明な線を彼のきめ細やかな頬に描いていた。
彼を陵辱し、その精神を壊す事を目的としていた頃であれば、ここからが苦悩の始まりだと責め立て続けるのがセオリーではあったが、今の私達にそれは必要ない。私の目的は夜神月を苦しめることでは、もう無くなったのだ。
とはいえ、私自身もイクことが出来ないのは中々に辛い。飽きるほど彼の中を突き上げて、肌を嬲って、この美しい体に私の跡を刻んで、そしてこの温かな肉の奥に出してしまいたい。と言うのが本音ではあるが、しかし彼をこの手で苦しめた時期が長かったせいだろう。
それよりも、私の今の欲求は、彼を深く慈しみたいというものが大きかった。
だから、彼が壊れたからこそ出来る方法もあると、私は彼の両手をこちらにと自分の側へと引き寄せた。
「月くん、抜いてください」
弱々しい、力のこもらない夜神月の両手を補助しながら、私のペニスを包み込ませる。
それは彼に対して、こちらに危害を与えてこないと信頼しているからこそ出来る行為であり、彼が壊れた事の証明でもある。
事実、夜神月はただ私に導かれるままに両手を上下に扱くように動かすだけで、そこに意思は介在していなかった。
「っ、ぁ……いい、です、月くん」
無論、先程まで堪能していた、彼の温かな、私を包み込むように脈打つ、最高に相性のいい肉の穴には及ばない。
だが、彼の手が。かつてキラとして多くの人間を殺すために、ノートに名前を書いてきた手が、今はその役目を放棄して、私のものを扱いているというのは、精神的な満足感があった。
彼はもう、キラとして私を殺そうとはしてこない。
私に嘘をつかない。
ずっと、私達の間に介在してきた。否、夜神月という人間の人生において多くを占めていた嘘という仮面は、もう私達の間には存在しない。
それはまるで、キラとLが互いに全力で向かい合った時のように――。
「っ、――らい、と、くん」
物理的な刺激というよりも、精神的な昂りによって、彼の手の中で果てる。
断続的に吐き出される私の精液を受け止める彼の手。それさえ健気に愛しく思いながら、しばらくの快感に目を瞑った。
やがて全てを吐精した頃、搾り取るように彼の手を動かしてから開かせれば、思わず呆れてしまうほどの量の精液が、彼の白い手のひらを汚していた。
「っ、ふふ……見てください、月くん。貴方のおかげで、こんなに出ました」
貴方の手に包まれただけでもこれです。と、彼の視界に映るように、精液を受け止めた手を彼に近づける。
すると、その姿と匂いに気付いたのだろう。夜神月はまるでそうプログラムされた機械のように、自分の手を口元に運ぶと、なんの躊躇いもなく手のひらに付いた精液を舐めようと舌先を伸ばした。
「月くん、大丈夫ですよ」
慌てて彼が精液を舐めないように手を引き離すが、それでも彼はまだ顔を近付けて精液を口にしようとする。
それほど飲精が好き、というわけでは無論ないだろう。彼は壊れる寸前まで精液を飲むことに嫌悪感を示していたし、事実彼に精液を無理矢理飲ませる度、プライドの高い夜神月という人間は屈辱的だとその顔を歪めて苦しんでいた。
だが、それも繰り返しの調教の末、飲まなければもっと酷い目に合うと体が学んでしまったらしい。だから壊れた今、彼はたとえそれがどれほど不味かろうが苦痛だろうが、その苦味を口の中に取り入れようとしてしまう。
私としても、彼に己の体液を飲んでもらうことに快感や満足感を感じはすれど、そこまで嫌がる事を積極的にしたいとは思えない。だから、私は彼の精液に塗れた手を拭ってやりながら、もう貴方はこんなことをしなくてもいいのだと、優しく頬を撫でてやる。
「こんなものより、もっと美味しいものを食べましょう」
ほら、と彼の口に、再びチョコレートを押し込む。
苦く青臭いものとは正反対の、唇の温度だけで溶けるやわらかなトリュフチョコレート。甘い味をもたらすそれを再びキスで分け合いながら、私は何度も彼の唇を貪った。
そんな行為を繰り返しながら、そういえば彼を一次的に手放している時、世話係兼報告役として使っていた少女に、彼がアップルパイを自分のフォークで食べさせていた事があったなと、数ヶ月前を思い出す。
おそらく、夜神月は彼女を利用するつもりで仕掛けたのだろうが、その姿をカメラ越しに監視していた時、悍ましいほどの嫉妬が全身を駆け抜けたことを覚えている。裏があると分かっているのに、それでも彼が私以外に恋愛的な風を装って触れるのは、どうにも許せない。彼を一次的にとはいえ手放していて気が立っていたのもあるが、なんたる俗物的な感情を覚えるようになかったものかと、当時は衝動的な己に驚いたものだ。
しかし、夜神月は今、私の腕の中だけに存在する。
こうして、彼を抱きしめ、口付けを交わし、ただアップルパイを食べさせるよりも深く甘味をやり取り出来るのも、彼の肌に痕を残すことが出来るのも、彼の身体と深く繋がることが出来るのも、未来永劫ただ一人、己だけなのだという満足感が、その嫉妬の全てを消し去っていく。
「んっ、は……っ、ぁ」
夜神月。月くん。キラ。
彼を意味する名前を何度も心の中で呼びながら、僅かにも離れることが惜しくて舌先を絡める。思えば、彼を手に入れて口付けを交わせるようになってから、すっかりと指を噛む癖が無くなった。その代わりとでも言うように、彼の体には私の歯形や鬱血の跡が増えていったが、彼が私のものである証が増えているだけなので問題は何もない。
そうやって、何度も飽きることなくキスを繰り返していた頃。
ふと、頬が濡れる感覚を覚え、何かあったかとようやく唇を離してみると、夜神月の目から涙が溢れていることに気付いた。
「っ、ぅ、あ――、あ、ぁ……あ、ぁ」
微かな、今にも子供が泣きじゃくりそうな声を上げながら、あの夜神月が泣いている。
その日本人にしては色素の薄い瞳を覗き込めば、そこに映し出されているのはまさに、恐怖そのものだった。
「月くん」
あの夜神月が、泣いている。
それも、幼い子供がオバケを怖がるような泣き方で、震えている。
その姿に、私は満面の笑みを浮かべて、優しく彼の頬を伝う涙に舌先を這わせた。
「貴方の涙が見られて、とても、嬉しいです」
あの夜神月が、私に涙を流している姿を見せることに、一切の抵抗を見せていない。
彼は決して、私に涙など見せることは無かった。高慢とさえ言えるほどのプライドを持った彼は、自分が弱者であるような素振りを嫌う。否、あの父親に育てられ、正義などというものを胸に抱いて生きてきた故、その正義を守る側として涙を見せるなど相応しくないと、潔癖な彼は思っていたのだろう。
だから、どんな理不尽な監禁をしようとも、どんな拷問的な陵辱を行おうとも、生理的な涙を流すことはあれど、彼は感情から泣いたことなど一度もなかった。
私が見た彼の感情による涙はおそらく、尊敬する父に信じてもらえず撃ち殺されそうになった時だけ。あんな、肉親に殺されるという極限の状態でなければ、夜神月という人間は涙を流さなかった。
それが今、彼はこんなにも簡単に、私に涙を見せる。
「月くん」
彼が流す涙の味が、甘くもないというのに、極上の雫に感じる。
もっと、彼の涙が欲しいと、気付けば舌先が彼の眼球を舐め上げていた。舌先に触れるその感覚に、思わず背筋が震えた。
それでも、夜神月は瞼を閉じることなく、ただただ震えながら涙を溢れさせているだけで、僅かな抵抗すらしてこない。否、することが出来ないようだった。
「っ、ひぃ――ぁ、ぁ……あ、ぁ、いやだ、竜崎」
彼の唇から、再び悲鳴が漏れ出る。私を意味する名前が零れる。
その悲鳴さえ愛おしいと、私は再び彼の唇に貪りつきながら、彼の薄くなった体を抱きしめた。
「私がずっと、一緒に居ます。月くん」
貴方が泣く度に、私がこうして抱きしめて、私の温度を教えてあげよう。
優しく、優しく、今までの陵辱の日々が夢か幻であったかのように。真綿に包み込むように、大切にこの腕の中で飼い殺してやるのだ。
それこそが、苦痛と現況の落差こそが、彼にとっての絶望だ。私の与える優しさが、彼を壊す。
キラ事件で互いに頭脳戦を繰り広げたのも、一次的に記憶を失った頃に共に捜査を行ったのも、監禁後に散々苦痛と陵辱を与えてきたのも、そして今、こうして窒息するような優しさを与えているのも、全てが『私』だ。流河、竜崎、そしてLであり、エル・ローライトという人間だ。
決して『悪魔』などという、得体の知れない存在が与えているわけではない。
それを何度も、何度も、彼に教え込む。それが、彼をここまで恐怖の渦の底に叩き落としていることを知っていながら。それでも私は、まるで慈悲ある男のように彼の体を抱きしめて囁くのだ。
「愛しています、夜神月」
この愛こそが、永遠に彼を壊し続けることの出来る、たったひとつの方法だ。
だから私はこの愛をもって、彼を永遠に破壊しよう。
その破壊の末に、Lとキラはようやく、嘘偽りなく愛しあうことが出来るのだから。